この度の令和6年能登半島地震において、被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 石川県の掲載データにつきましては、2023年8月現在の情報となっております。現地を訪れる際は、最新の情報をご確認ください。


 石川県は、本州の中央部、日本海側に位置する。面積は4,186.23km2で、11市8町の19市町から構成される。県庁所在地は金沢市。北陸地方の中心的位置を占め、東は富山、南西は福井、南東は岐阜県に接する。
 南北に細長く、北半部は能登半島で日本海に突出して富山湾を東側に抱き、南端は県境の白山を主峰として北西に地形は傾斜して金沢平野で日本海に面する。能登半島は丘陵地で宝達丘陵や奥能登丘陵がある他、基部に邑知潟地溝帯あり、能登最大の水田地帯をなす。気候は日本海沿岸式の気候で、冬は曇りがちで雪の日が多いが、対馬海流の影響を受け、気温は比較的温和である。
 江戸時代には加賀百万石の城下町として賑わい、加賀藩の文化奨励により京都から技術を導入した九谷焼、蒔絵、友禅等の工芸は現在に受け継がれている。1871(明治4)年の廃藩置県で複数の再編を経て1883(明治16)年に能登、加賀2国の石川県が確定し現在に至る。
 農業は水稲作の他、大根、スイカなどの野菜やなし、栗等の果物栽培が行われる。また、畜産業も行われている。長い海岸線を持つ石川県は対馬暖流等により漁場に恵まれており、イワシ、アジ、サバ、カレイ、イカ、ニギスなどの他、ブリ、アワビ、ズワイガニ、ナマコを漁獲。この他、白山麓の両白山地と能登半島で林業、両白山地の陶石、能登の珪藻土の採掘、機械工業等が行われる。各種伝統工業の発達しているのも特色で、輪島塗、山中漆器、金沢漆器、九谷焼、金沢箔、加賀友禅、金沢仏壇、七尾仏壇、牛首紬、加賀繍の10品目が国の伝統的工芸品の指定を受けている。
 加賀百万石の歴史や風土に培われた伝統文化、芸能を始め、白山や海岸線がおりなす自然等、変化に富む多くの観光資源がある。豊富な文化財は水準が高く、とくに金沢は加賀百万石の城下町であり、兼六園や武家屋敷をはじめ、近世の金沢藩および明治以降の文化財に富む。古代から山岳信仰で栄えた白山、大陸や出雲との関係が深く早くから開け、文化財も多い能登半島等、地域ごとの特徴ある資源がある。
加賀地区は片山津、山代、山中、粟津の加賀温泉郷や白山、手取川ダムなどがあり、冬はスキー場群としても賑わう。能登地区は、能登内浦・外浦の海岸美や名所旧跡を巡る観光客が四季を通じて訪れ、夏は海水浴客で賑わう。

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石川県内の資源一覧

妙成寺の写真

妙成寺 ( 石川県 羽咋市 )

北陸における日蓮宗の本山で、能登一の大伽藍を誇る名刹である。羽咋市北部の丘の上にあり、シンボルの五重塔*が聳える。1294(永仁2)年、日蓮の孫弟子日像が開祖*し、建立したと伝えられている。現在の建物は加賀前田家初代から五代にわたって造営されたもので、天災・火災にあわず、10棟*が国の重要文化財に指定されている。  前田家...

氣多大社の写真

氣多大社 ( 石川県 羽咋市 )

能登一ノ宮として知られ、かつては国幣大社に列せられていた。羽咋駅の北方約4km、海を望む高台にあり社叢を背に神門・拝殿・本殿・摂社などが並ぶ。創建年代は明らかでないが、古くは崇神天皇が社頭を造営したといわれ、大己貴命を祀っており、奈良時代にはこの地で祭祀が始まったとされている。大伴家持が参詣した際の和歌が「万葉集」に載...

千里浜海岸の写真

写真提供:羽咋市

千里浜海岸 ( 石川県 羽咋市 / 石川県 宝達志水町 )

千里浜海岸は、能登半島の基部西岸、宝達志水(ほうだつしみず)町今浜から羽咋(はくい)市千里浜まで約8kmにわたる海岸線である。中でも、「千里浜なぎさドライブウェイ」は日本で唯一、世界でも珍しい「車で走行できる砂浜」であり、石川県の誇る貴重な財産だ。  車が走行できるのは、砂の粒子が小さく、かつ粒が揃い、適度な水分を含む...

片野鴨池の坂網猟の写真

片野鴨池の坂網猟 ( 石川県 加賀市 )

加賀市街の北西部にある「片野鴨池」は、日本海にほど近い約10万㎡の自然の池で、水田と山林が混在する丘陵に囲まれている。シベリアから飛来する渡り鳥の越冬地として知られ、とくにカモ類のうち、全国的に個体数の少ないトモエガモにおいては、日本に越冬する中の約半数が鴨池に飛来する。この池のカモを捕える古式猟法が「坂網猟」である...

山中温泉の写真

写真提供:(一社)山中温泉観光協会

山中温泉 ( 石川県 加賀市 )

山中温泉は、大聖寺川の渓流に臨み、東からは東山が、西からは水無山・薬師山が迫り、四方がほとんど山に囲まれた文字どおり山中の湯の町である。温泉の歴史は古く、医王寺に伝わる「山中温泉縁起絵巻」には、1300年前の天平年間(729~749年)に僧行基*によって温泉が発見され、 一時荒廃するも、長谷部信連(はせべのぶつら)*によって...

山代温泉の写真

写真提供:山代温泉観光協会

山代温泉 ( 石川県 加賀市 )

山代温泉は、加賀平野の南のはずれ、薬師山をはさんで山中温泉と背中あわせの地にある。725(神亀2)年に行基が開湯したという伝承があり、その後、10世紀後半(985~988年)に花山法皇が明覚上人を従えて北陸巡歴*のおり、この温泉に入浴、その効が優れているとして温泉寺を中興、七堂伽藍を建立したとされている。  また、1565(永禄8)...

加賀東谷の町並みの写真

加賀東谷の町並み ( 石川県 加賀市 )

加賀市南部の山間部は、近世には大聖寺藩の奥山方に属し、藩の御用炭を生産しており、近代から昭和前期にかけても大半の集落が炭焼きを主産業としていた。昭和30年代以降、ダム建設や災害、離村などにより失われた集落があるなかで、大日山を源とする動橋(いぶりはし)川と杉ノ水川の上流域に点在する荒谷(あらたに)、今立(いまだち)、...

橋立町の船板住宅群の写真

橋立町の船板住宅群 ( 石川県 加賀市 )

石川県南西部に位置し、JR北陸本線加賀温泉駅から北西へ約5km。橋立は、かつて北前船の船主や船頭、船乗りなどが多く住んでいたまちで、日本でも1、2を競う富豪村と呼ばれていた。北前船とは、大坂と蝦夷地(北海道)を結び、瀬戸内海と日本海の各港に寄港して積荷を売買する商売をしてまわった買積船で、近世後半から明治期にかけて盛んに活...

妙立寺(忍者寺)の写真

写真提供:妙立寺

妙立寺(忍者寺) ( 石川県 金沢市 )

犀川大橋のやや南に、犀川に沿うように走る寺町通りに立ち並ぶ寺町寺院群の一つ。1643(寛永20)年に3代藩主利常(としつね)が前田家の祈願所として建立し、日像(にちぞう)*作と伝わる日蓮像を安置している。外観は2階建てに見えるが4階7層からなり、29の階段、23の部屋があり、隠し部屋や隠し戸が極めて巧みに設けられている。本堂屋上...

尾山神社の写真

尾山神社 ( 石川県 金沢市 )

尾山神社は、金沢市の中心市街地香林坊の北にあり、主祭神は加賀藩祖前田利家公とお松の方。  1599(慶長4)年、卯辰八幡宮として創建されたものが、1873(明治6)年に現在地へ遷座し、尾山神社となった。神門は重要文化財に指定されている。

金沢城の写真

金沢城 ( 石川県 金沢市 )

浅野川と犀川にはさまれた小立野台地の北西端に位置する。面積は堀を含めて約30万㎡、最高所は本丸跡の海抜約60mで、南東へ延びる小立野台地とは百間堀によって分かれている。城内の建物は1881(明治14)年の大火で大部分を焼失し、今ではわずかに石川門などが往時の威容をとどめている。  〔歴史〕佐久間盛政が4年間居城とした尾山城に158...

金沢の武家屋敷の写真

金沢の武家屋敷 ( 石川県 金沢市 )

香林坊から歩いてすぐにあるのが長町武家屋敷群。黄土色の土塀や石畳の小路が続き、加賀藩士や中級武士の屋敷跡が立ち並び、往時の面影を今に伝えている。金沢市の伝統環境保護区域および景観地区にも指定されているエリアだ。かつての城下町の面影を次第に失いつつあるが、まだ各所に残る頑丈な武者窓をもつ長屋門や土塀に往時を偲ぶことが...

ひがし茶屋街の写真

ひがし茶屋街 ( 石川県 金沢市 )

浅野川の東側にあるひがし茶屋街は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、南北約130m、東西約180mの中に茶屋様式の町家が並ぶ一角だ。保存地区内にある140棟のうちおよそ3分の2が伝統的建造物で、1820(文政3)年の茶屋町創設時から明治初期に建てられたもの。そのうち約9割が2階建てで1階正面に出格子のある茶屋様式の町家だ。道の...

近江町市場の写真

写真提供::近江町市場商店街振興組合

近江町市場 ( 石川県 金沢市 )

前身は1580(天正8)年頃に始まった朝市で、1721(享保6)年に各所にあった市場が現在の地に集められたことが始まりとされる。以来加賀藩の繁栄とともに栄え、約300年もの間、金沢を代表する市場として賑わってきた。1966(昭和41)年には郊外に新しく開設された金沢中央卸売市場に卸仲卸が移転し、小売専門の市場となった。  売り子の威勢の...

卯辰山山麓寺院群の写真

卯辰山山麓寺院群 ( 石川県 金沢市 )

金沢駅の東方、卯辰山の西麓から山腹にかけて約50の寺院が散在している。1599(慶長4)年に前田利家を祀る宇多須神社、1601(慶長6)年には豊臣秀吉を祀る豊国神社(卯辰山王社)を建立し、歴代藩主が崇敬した。一方、前田家の祈願所である観音院が広大な境内を占めており、卯辰山は加賀藩の宗教空間として特別な意味を持つエリアでもあった...

兼六園の写真

兼六園 ( 石川県 金沢市 )

金沢市内中央部、金沢城跡の南東に隣接する、江戸時代を代表する大名庭園。築山や茶屋が点在し、曲水が巡る美しい林泉回遊式庭園で、日本三名園*のひとつに数えられている。1676(延宝4)年より5代藩主綱紀(つなのり)の時代に最初の庭(蓮池庭)が造られ、1822(文政5)年に12代藩主斉広(なりなが)が竹沢御殿を建てるに際し、御殿に付属...

玉泉園の写真

玉泉園 ( 石川県 金沢市 )

兼六園の北に隣接する傾斜地を利用した上下2段の池泉回遊式庭園である。江戸初期、加賀藩士脇田直賢(わきたなおかた)*にはじまり、4代約100年をかけて脇田邸に作庭されたという。下段は「水」字形の池のある本庭を中心に東庭・西庭より構成され、燈篭や飛び石が、うっそうと茂る樹林の中に配されている。上段は茶室灑雪(さいせつ)亭の露地...

金沢百万石まつりの写真

写真提供:金沢市

金沢百万石まつり ( 石川県 金沢市 )

戦後復興期、⾦沢市の前途を祝し、前⽥利家の金沢城入場を記念して企画された祭礼イベントで、1952(昭和27)年に始まった*。メインイベントは、前⽥利家の⾦沢城⼊城を模して市中を練り歩く百万⽯⾏列。⾏列の⼀環として、加賀とび、獅⼦舞などが披露される。また、期間中、兼六園及びその周辺での百万石茶会、百万石薪能、百万石踊り流し...

石川県立歴史博物館の写真

写真提供:石川県立歴史博物館

石川県立歴史博物館 ( 石川県 金沢市 )

兼六園に隣接する、本多の森公園*(金沢市出羽町)内に残る赤レンガの建物を活用した県立の歴史博物館。もともと旧陸軍の兵器庫として明治40年代から大正初期に建てられた3棟で、第2次大戦後、金沢市立美術工芸大学(当時は、前身の金沢美術専門学校)の校舎として使用されたもの。1968(昭和42)年には前身となる石川県立郷土資料館が金沢...

石川県立能楽堂の写真

石川県立能楽堂 ( 石川県 金沢市 )

「石川県立能楽堂」は、百万石の城下町金沢に伝わる加賀宝生流の能楽をはじめ、邦楽など伝統芸能の継承と振興を目的として建設された。兼六園の南東にあり、舞台および白洲(しらす)を旧金沢能楽堂より移したもので、約400名の収容力と近代的設備をもつ。能楽文化の拠点として、1972(昭和47)年に、全国で初めて、独立した公立能楽堂として...

成巽閣の写真

写真提供:成巽閣

成巽閣 ( 石川県 金沢市 )

兼六園の南東の一角にある。1863(文久3)年、13代加賀藩主前田斉泰(まえだなりやす)が建てた母真龍院の隠居所。近世大名御殿建築の貴重な遺構で、1階謁見の間は幕末期の書院造の好例とされる。御殿の各室内には、前田家伝来の調度品・美術工芸品が展示され、歴史博物館として一般公開されている。同御殿は、明治維新を機に兼六園が公園化...

前田家墓所の写真

写真提供:金沢市

前田家墓所 ( 石川県 金沢市 )

金沢市街の南、野田山丘陵の傾斜地にある、加賀藩前田家歴代の藩主・正室および一族の墓地。加賀藩藩祖の前田利家(としいえ)の遺言でこの地に墓が造られて以降、歴代藩主や正室、子女など、約80基が一堂に会す。6万㎡を超える広い墓所に並ぶ墓のほとんどは、土を盛った古墳式で、石の墓標が立てられている。なお、墓所の中で6代吉徳の左に...

金沢21世紀美術館の写真

金沢21世紀美術館 ( 石川県 金沢市 )

金沢市街の中心、広坂にある現代美術を収蔵・展示した市立美術館。開館以来入館者が増え続け、全国のみならず国際的にも有名になった人気の観光スポット。市民はじめ「誰もがいつでも立ち寄ることができ、様々な出会いの場となること」(美術館HP)を目指した現代アート美術館である。  金沢大学附属中学校・小学校・幼稚園があった敷地(...

主計町茶屋街の写真

主計町茶屋街 ( 石川県 金沢市 )

金沢市の「三茶屋街」のひとつで、北国街道が浅野川を渡る地点に架かる浅野川大橋の下流に位置する。茶屋町として明治期から昭和の戦前にかけて栄え、当時の建造物が多く残る。昼間でも薄暗い石段が続く「暗がり坂」や、2008(平成20)年に地元住民から依頼を受けて、作家・五木寛之氏が命名した「あかり坂」は、趣のある風景に出会える場所...

鈴木大拙館の写真

写真提供:鈴木大拙館

鈴木大拙館 ( 石川県 金沢市 )

金沢市出身で、世界的に知られる仏教学者である鈴木大拙への理解を深め、来館者の思索の場とすることを目的に、大拙生誕地の近くに2011(平成23)年に開館した。館内では展示空間、学習空間、思索空間の3つの空間が回廊で結ばれ、回廊脇には玄関の庭、露地の庭、水鏡の庭の3つの庭が配されている。こうした空間を回遊することによって、来館...

にし茶屋街の写真

写真提供:金沢市

にし茶屋街 ( 石川県 金沢市 )

ひがし茶屋街、主計町茶屋街と並ぶ金沢三茶屋街のひとつ。茶屋街のエリアはそれほど広くないものの、約100mのメインストリートには出格子の茶屋建築が連なり、江戸時代の面影を色濃く残している。現役の茶屋も多く、芸妓も活躍している。茶屋の跡地に建つ金沢市西茶屋資料館は見どころのひとつ。隣接する西検番事務所は芸妓衆の稽古場と事務...

国立工芸館の写真

写真提供:国立工芸館(写真 太田拓実)

国立工芸館 ( 石川県 金沢市 )

2020(令和2)年に東京から金沢市の中心部に移転した、近現代の工芸とデザインを専門とする美術館。兼六園や石川県立美術館、金沢21世紀美術館などの文化施設が集中する兼六園周辺文化の森にあり、作品や資料の収集保管および調査研究に基づく展覧会の開催、さまざまなラーニング・プログラムを行うなど、工芸文化の発信拠点となっている。

青柏祭の写真

写真提供:七尾市産業部交流推進課

青柏祭 ( 石川県 七尾市 )

5月3~5日に行われる大地主(おおとこぬし)神社の例祭。祭りの起源については、981年(天元4)年に能登国国守の源順が能登国の祭りと定めたことに始まり、1473(文明5)年の国祭りで、京都の祇園祭の山鉾にならって曳山を奉納したのが山車の始まりという説があるが、明確ではない。悪事を行って白狼に退治された3匹の大猿の慰霊のために3台...

石崎奉燈祭の写真

写真提供:七尾市産業部交流推進課

石崎奉燈祭 ( 石川県 七尾市 )

漁業が盛んで、能登国守護畠山氏から能登・越中一円の漁業権を免許されていたという伝承をもつ石崎町(いしざきまち)にある八幡神社の例祭。もともと祇園祭の流れを汲む納涼祭として行われていたが、何度も火事に見舞われて山車が焼け、明治時代の中頃に宇出津からキリコ(奉燈)を譲り受け、大漁や五穀豊穣の祈願とともに火を鎮める神事と...

のとじま臨海公園水族館の写真

のとじま臨海公園水族館 ( 石川県 七尾市 )

のとじま臨海公園*の中核施設として1982(昭和57)年7月3日に開館した石川県唯一の水族館。愛称ならびに通称は「のとじま水族館」*で、公式のウェブサイトや施設案内などではこの名称が使用されている。能登半島近海で見られる魚介類を中心に約500種を飼育・展示している。水族館本館のほかに、ジンベエザメ館、のと海遊回廊、ペンギンプー...

和倉温泉の写真

和倉温泉 ( 石川県 七尾市 )

北陸随一の規模を誇る”海の温泉”として、高温で豊富な湯量が魅力の温泉である。七尾湾に突き出た弁天崎の先端にあり、湾前に能登島や机島を望む。温泉の湧出は1200年前と伝わり、その後の地殻変動で湧き口が海中に移動したとされ、傷ついた足を癒すシラサギを見つけた漁師夫婦によって湯脈が発見されたという伝説がある。海中に湧き口があっ...

能登演劇堂の写真

能登演劇堂 ( 石川県 七尾市 )

能登演劇堂は、仲代達矢氏率いる無名塾と七尾市中島町との交流によって生まれた演劇専用ホールで、1995(平成7)年5月12日に開館した。名誉館長を務めるのは仲代達矢氏。舞台の奥の大扉が開くと能登の雄大な自然が広がり、舞台と自然が一体となる世界でも珍しい舞台機構を特徴とする。毎年秋の無名塾公演をはじめ、一年を通じて多彩な公演が...

見附島の写真

見附島 ( 石川県 珠洲市 )

能登半島の珠洲市の南部、鵜飼川河口一帯は、松林越しに内浦の海を望む穏やかな海岸である。その中央部に周囲約300m、高さ28mの大きな岩がそびえ立つ。市内にある式内社三社の一つである加志波良比古(かしはらひこ)神社の神(加志波良比古)が、当地に着いた際に初めて見つけた島、また弘法大師が佐渡から能登へ渡った際に最初に目についた...

奥能登の黒瓦の集落群の写真

写真提供:石川県観光連盟

奥能登の黒瓦の集落群 ( 石川県 珠洲市 / 石川県 輪島市 / 石川県 能登町 / 石川県 穴水町 )

「能登には、黒瓦の屋根と下見板張りの伝統的な住居が多く、統一感のある景観と独特の風情を生み出している。黒瓦は、「能登瓦」とも呼ばれ、材料に能登の水田の土を使い、山の薪を燃料にして、七尾市や珠洲市などの農村地帯で生産されてきた。黒あるいは銀黒の美しい釉薬で覆われた能登瓦は、耐寒性に優れるといわれている。輪島市の黒島(...

那谷寺の写真

那谷寺 ( 石川県 小松市 )

粟津温泉から山代温泉へ向かう県道が加賀市に抜ける1kmほど手前に立つ。717(養老元)年に泰澄大師によって創建されたと伝わり、自然智の道場とされる。その後、寛和年間(985~987年)に花山法皇がこの寺に御幸した折り、観音三十三身の姿を見て西国三十三ケ所を巡る必要はないとして、第1番札所の紀伊那智山と第33番札所の美濃谷汲山の山号...

こまつの杜の写真

こまつの杜 ( 石川県 小松市 )

建設・鉱山機械メーカーのコマツ(登記社名:株式会社 小松製作所)が、会社創立90周年の記念事業の一環として、会社発祥の地である小松工場跡地に整備した施設で、2011(平成23)年5月13日に誕生した。  コマツグループ社員のグローバルな人材育成の機能を担う「コマツウェイ総合研修センタ」、「テクノトレーニングセンタ」等の社員研修...

九十九湾の写真

九十九湾 ( 石川県 能登町 )

深い入り江が大小九十九もあるとされることから名付けられた、典型的なリアス海岸*の小湾である。江戸時代中期に著わされた「能登名跡誌」には、「風景日本の三景にもひとしき處也。誠に風景仙境共云つべし」とあり、古くから景勝地とされていた。東西1km、南北1.5kmの小さな湾だが、入り組んだ延長13kmにもおよぶ海岸線には赤松が生い茂り...

とも旗まつりの写真

とも旗まつり ( 石川県 能登町 )

5月2~3日に開催される、港町・小木の氏神である御船神社の勇壮で華やかな春祭り。地元の人々は「トンバタ祭り」と呼んでいる。神輿を載せた御座船が、高さ30m、幅2mの大きな旗と5色の吹き流しで飾られた9隻の伝馬船を率いて小木港の九十九湾内を連なって巡航する。祭りの起源については諸説ある。航海中に暴風雨に遭遇した大国主命が九十九...

あばれ祭の写真

あばれ祭 ( 石川県 能登町 )

7月の第1金・土曜日に、能登各地のキリコ祭りの中で最初に開催される。宇出津の八坂神社の夏祭りで「いやさか祭り」ともいう。祭りの起源は、江戸時代初期に疫病が大流行した際に、京都の祇園社(八坂神社)から牛頭天王を勧請して神事を行ったところ、神の化身とされる大きな青蜂が現れ、刺された人々が快癒したことに感謝し、お礼としてキ...

白山の写真

白山 ( 石川県 白山市 )

富士山や立山と並ぶ三名山の一つ。火山としては比較的小規模だが、白山火山帯の主峰として、山域は石川・富山・岐阜・福井の4県にまたがっている。万年雪を頂いた優美な姿は古くから信仰の対象として仰がれ、「越のしらね」、「しらやま」などと古歌*に詠まれてきた。最高峰は御前峰*(2,702m)で、北西の大汝(おおなんじ)峰*(2,684m)...

手取峡谷の写真

手取峡谷 ( 石川県 白山市 )

鶴来地域から山間部に入ると、手取川は狭い河岸段丘の下に深い谷をなし、中流域の黄門橋~対山橋間の約8kmにわたって高さ20~30mの絶壁が続く峡谷美をつくっている。清冽な流れは淵となり、瀬となり、幾条もの滝が白い飛沫を上げて岩壁を滑り落ち風情を添える。おもな景観に、黄門(こうもん)橋・御仏供杉(おぼけすぎ)・不老橋・綿ヶ滝、...

白山比咩神社の写真

白山比咩神社 ( 石川県 白山市 )

「白き神々の座」と言われる白山をご神体とする延喜式内の名社。加賀一ノ宮で、古くから下白山あるいは白山本宮と呼ばれ、地元では「白山(しらやま)さん」として広く親しまれている。白山頂上の御前峰に奥宮を祀り、全国約3,000社以上に及ぶ白山神社の総本宮として、白山信仰*の中心となっている。祭神は白山比咩大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊の...

岩間の噴泉塔群の写真

写真提供:白山手取川ジオパーク推進協議会

岩間の噴泉塔群 ( 石川県 白山市 )

白山国立公園の地獄谷に源を発する中ノ川の上流域に点在しており、一帯は国の特別天然記念物に指定されている。噴出する温泉に含まれる石灰質分が沈殿してできる石灰華が釣鐘型の塔状になったもので、高さ4mに達するものもある。先端の噴気孔から100度近くの熱湯が勢いよく噴き出し、2~3mの高さに湯煙を上げるものもある。噴泉塔の形成につ...

總持寺祖院の写真

總持寺祖院 ( 石川県 輪島市 )

輪島市門前町の中央、八ガ川の南にあり、山内の広さが約2万坪とされる風光幽玄な寺院。正式名称を諸嶽山總持寺といい、越前の永平寺とともに曹洞出世之道場として栄えた曹洞宗の大本山である。1321(元亨元)年、瑩山紹瑾(けいざんじようきん)*によって開かれ、2世峨山韶碩(がざんしょうせき)が定めた五院輪住制*により発展。前田氏の...

白米千枚田の写真

白米千枚田 ( 石川県 輪島市 )

輪島市白米町の国道沿いに広がる。山裾が落ち込む海に面した3.8haの斜面に1,004枚の小さな田が段々に並び、畦が美しい模様をつくっている。平野の少ない輪島は急傾斜地が多く、昔から地滑りに悩まされてきた。それでも、この土地は用水源が確保されれば地味が良く、適当な日当たりがあって良質の米が採れたため、幾つにも斜面を分けて田んぼ...

輪島の朝市の写真

輪島の朝市 ( 石川県 輪島市 )

日本三大朝市*の一つとされる。輪島の市の起源については明確ではないが、平安時代には市が立ち、室町時代には定期的に開催されるようになったといわれている。現在のように市が毎日立つようになったのは明治時代からで、午前8時を過ぎると、通称「朝市通り」と呼ばれる河井町本町通り商店街の道路両側に、約350mにわたって約160の露店が並ぶ...

輪島大祭の写真

輪島大祭 ( 石川県 輪島市 )

8月22日から25日までの4日間、連続して開催される旧輪島町4地区の産土神の例大祭の総称で、能登のキリコ祭りでも代表的なもの。舳倉島(奥津比咩神社)に鎮座した女神と、輪島市内(重蔵神社)の男神が年に一度、松明を目印に浜辺で逢うという祭典が原点で、300年以上の歴史があるといわれる。すべての祭礼が神様に涼んでいただくお涼み祭り...

名舟大祭(御陣乗太鼓)の写真

名舟大祭(御陣乗太鼓) ( 石川県 輪島市 )

舳倉島の奥津比咩神社の大祭で、7月31日~8月1日に行われる。奥津比咩神社は名舟の産土神といわれ、名舟大祭はまず、急陵な崖に張りつくように鎮座する奥津比咩神社の遥拝所である白山神社に各地区のキリコが参集。その後、海上の鳥居まで白山神社から下った神輿を乗せた舟を漕ぎ出し、奥津比咩の神を迎える神事から始まる。護岸堤に仮設した...

七尾城跡の写真

七尾城跡 ( 石川県 七尾市 )

七尾市街地の南東約4kmにある、戦国時代に能登国の守護・畠山氏が築いた山城である。標高約300mの本丸を中心に、石動山系の尾根上に築かれた城域は南北約2.5km、東西約0.8km、面積は約200haにおよび、一帯は「城山」と呼ばれている。山が急で谷が深いという自然の地形を巧みにいかし、七尾の地名の由来となった7つの尾根筋を中心に屋敷地であ...

雨の宮古墳群の写真

雨の宮古墳群 ( 石川県 中能登町 )

眉丈山(標高188m)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた古墳群で、現在、36基が発見されており、大部分が円墳である。雷ヶ峰の通称で呼ばれる山頂に築かれた1号墳は墳丘長が64mで、前方後方墳としては県内最大規模とされる。この1号墳の北東に向き合うように築かれた2号墳は、墳丘長が約65mの前方後円墳。いずれの古...