白山比咩神社しらやまひめじんじゃ

「白き神々の座」と言われる白山をご神体とする加賀一ノ宮、延喜式内の名社で、古くから「下白山」あるいは「白山本宮」と呼ばれ、地元では「白山(しらやま)さん」として広く親しまれている。白山頂上の御前峰に奥宮を祀り、全国約3,000社以上に及ぶ白山神社の総本宮として、白山信仰*の中心となっている。祭神は白山比咩大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊の3柱で、白山比咩大神はまたの名を菊理媛尊(くくりひめのみこと)とされる。「くくり」は「括る」にもつながり、現在は「和合の神」「縁結びの神」ともされている。
 〔歴史〕社伝によれば、崇神天皇(紀元前91年)の時代に、白山の遥拝所として創建されたといわれる。平安初期に加賀馬場*が開かれて以来、その中心として広大な領地、多くの衆徒を擁し、一大勢力を誇っていた。鎌倉初期以降は武士団との抗争、白山宮間の分裂、一向一揆などによってしだいに勢力を失っていった。もともと白山本宮は手取川畔にあったが、1480(文明12)年大火にあい、末社三宮のあった現在の地に移った。明治維新後、神仏分離政策によって、白山本宮は白山比咩神社となり、白山頂上の御前峰・大汝峰・別山の三社も帰属した。
 〔年中行事〕・例大祭(5月6日)・みにえ講大祭(6月第1土曜)・白山奥宮大祭(7月18日、奥宮)
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みどころ

北参道に駐車場があるが、鶴来から表参道を登って参拝するコースがお勧め。大鳥居をくぐり、スギやケヤキ、カエデなどの樹木に覆われた約250mの表参道には荘厳な雰囲気がただよい、苔むした石段を登ると、途中に樹高約42mの御神木(老杉)や手水舎などがあり、徐々に気持ちが洗われるとともに高まっていく。神門をくぐると切妻造り、銅板葺き、檜造りの優美な姿の外拝殿がある。もともとは、1920(大正9)年に建てられた旧拝殿だったが、1982(昭和57)年の増改築で外拝殿になった。その後ろに、直会殿(なおらいでん)、拝殿、幣殿(へいでん)、本殿までが一直線に並ぶ。本殿は江戸時代の1770(明和7)年に、加賀藩10代藩主前田重教(しげみち)の寄進によって造営された。神門の右側に白山奥宮遥拝所があり、さらに南参道を進むと禊社・禊場がある。神門から左側に進むと北参道の鳥居の近くに「宝物館」がある。白山比咩神社は古来朝廷や前田藩との関係が深く、寄贈された宝物を多く蔵するが、この宝物館では、「木造狛犬」*や「木造獅子狛犬」「鳳凰文沈金彫手筥」(いずれも国指定重要文化財)などが展示されている。
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補足情報

*白山信仰:高山峻岳に神が宿るという山岳信仰に始まるといわれる。白山を仰ぐ加賀・越前・美濃の三地域に独立して形成され、平安初期には、加賀馬場(白山宮)、越前馬場(平泉寺)、美濃馬場(長滝寺)が開かれた。八世紀初頭に越前で白山信仰を広めたと伝えられる泰澄の伝承が平安中期以後に権威を高め、泰澄を生んだ平泉寺が白山信仰の中心として優位を占めた。ほかの馬場も泰澄伝承に帰一し、中央の延暦寺との結びつきを競い合った。各馬場には大勢の衆徒・参拝人が集まり、夏は六根清浄を唱えて白山に登拝し、冬は白山妙理大権現のお厨子を背負って全国に布教した。平安末期、加賀では白山本宮を筆頭に白山七社が成立、政教両面に一大王国を形成していた。
*加賀馬場:信仰登山のための登山路を禅定道といい、馬場はその起点である。
*木造狛犬:高さは阿形像130cm、吽(うん)形像132cm。寄木造で、黒漆が塗られ、唇に朱、歯牙に金箔が残る。胸をそらし背を起こした鎌倉期特有のもの。
関連リンク 白山比咩神社(WEBサイト)
参考文献 白山比咩神社(WEBサイト)
うらら白山人(一般社団法人 白山市観光連盟)(WEBサイト)
ほっと石川旅ねっと(公益社団法人石川県観光連盟)(WEBサイト)
『石川県の歴史散歩』石川県の歴史散歩編集委員会=編 山川出版社
『北陸新幹線沿線パノラマ地図帳』能登印刷出版部

2023年08月現在

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