片野鴨池の坂網猟かたのかもいけのさかあみりょう

加賀市街の北西部にある「片野鴨池」は、日本海に面した約10万m2の自然の池で、周囲は水田と山林が混在する丘陵に囲まれている。シベリアから飛来する渡り鳥の越冬地として知られる。とくにカモ類は、マガモを始め、全国的に個体数の少ないトモエガモは全国で越冬する中の約半数が鴨池に飛来する。この池の鴨を捕える古式猟法が「坂網猟」である。坂網は、長さ2mのカセと称される柄の先に、36cmのクムギをはめこみ、それに2.4mの雌竹2本をV字形に組んだハザオをつけ、これに漁網や絹糸の網(現在は漁網や畳糸が主流)を張り、網の底をとめるメタバサミがつけられたものである。坂網猟は、元禄年間(1688~1704年)に大聖寺藩士村田源右衛門が始めたとされる。その後、鍛錬のため奨励されたことなどから文化・文政年間(1804~1830年)の頃に最も盛んとなったが、藩政期の鴨猟は、武家以外には許されなかった。現代の坂網猟は、大聖寺捕鴨(ほこう)猟区協同組合*に所属する30~80代のメンバーによって、狩猟が解禁される11月中旬から2月中旬に行われ、例年200羽程度の鴨が捕獲される。
 なお、片野鴨池の池畔にある加賀市鴨池観察館には望遠鏡が設置され、レンジャーの解説を聞きながらカモ類の観察ができる。カモを驚かさないため写真撮影などはガラス越しでしか行えないが、天然記念物のヒシクイが数mの距離までよって来ることもあり、日本で一番ガン類に近づける施設である。
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みどころ

坂網猟は晩秋から冬にかけて池の周囲の丘陵地に設定された「坂場」と称される場所で行われる。鴨取りは坂網をいく張りか用意し、風に逆らって飛ぶ鴨の習性を利用し、飛び上がった鴨の直前に素速く網を差し出して捕獲する。高く飛んだ鴨の場合は坂網を投げ上げる*という特殊な技を要する。鴨は日中池の中で遊び、夕方になるとまわりの丘陵を越えて周囲の水田などに餌をあさりに行き、翌朝早く池に帰る。このため、かつては朝夕に行われていたが、飛来数の減少や捕獲の難しさなどにより、現在は夕方の猟(夕坂)がほとんどで、朝方の猟(朝坂)は一般的には行われていない。坂網猟師の服装は、カモに目立たないように「黒っぽい」ものでなくてはならない。帽子なども同様である。かつては「坂帽子」という独特の猟装束があったが、現在は一般的な防寒帽に切り替わっている。また、不用意に野鳥の生態に悪影響を与えたり、猟の妨げにならないように、一般人が猟区に立ち入ることは禁止されている。
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補足情報

*大聖寺捕鴨猟区協同組合:坂網猟師を組合員として、「狩猟鳥類の保護繁栄を図り、狩猟鳥類の捕獲を調整し、投げ網猟法を永久に保存すること」を目的としている。明治時代になって、坂場の奪い合いが繰り返されるようになり、1877(明治10)年に捕鴨組合の前身となる組織が設立され、その後、池の縮小を防ぐための植林を行ったり、米軍やGHQへの嘆願など、鴨池や坂網猟を守るための活動を行ってきた。現在も、加賀市の「大聖寺捕鴨猟区条例」により猟区の管理を委託されており、鴨池周辺の里山の管理を積極的に行ったり、鴨池内水稲作の管理等を行う加賀市鴨池監察官などと協力して環境保護活動を行っている。なお、組合員でなければ坂網猟を行うことは出来ない。
*投げ網でカモを捕る猟法:坂網猟と同様に投げ網でカモを捕獲する伝統猟法は、ほかに宮崎市佐土原町の「越網(こえあみ)」と、鹿児島県南種子町の「鴨突き網猟」の2か所が確認されている。
関連リンク 加賀市鴨池観察館(WEBサイト)
参考文献 加賀市鴨池観察館(WEBサイト)
『片野鴨池と坂網猟 ガイドブック』加賀市片野鴨池坂網猟保存会
『坂網猟に係る民族基礎調査報告書』加賀市片野鴨池坂網猟保存会
『加賀市鴨池観察館 開館10周年記念誌』加賀市教育委員会

2023年08月現在

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