尾山神社
尾山神社は、金沢市の中心市街地香林坊の北にある。主祭神は加賀藩祖前田利家公とお松の方。
1599(慶長4)年、卯辰八幡宮として創建されたものが、1873(明治6)年に現在地へ遷座し、尾山神社となった。神門は重要文化財に指定されている。
1599(慶長4)年、卯辰八幡宮として創建されたものが、1873(明治6)年に現在地へ遷座し、尾山神社となった。神門は重要文化財に指定されている。
みどころ
重要文化財の神門(しんもん)は、正面石段上に西に面して立つ神社の表門で、1875(明治8)年に建てられた。和漢洋3つの建築様式が用いられた三層のアーチ型楼門で、高さは約25m。第三層には美しいギヤマンがはめ込まれ、その楼上に火を点し、神燈と燈台の役割を兼ねたといわれる。
東神門は、1662(寛文2)年に金沢城二の丸の唐門として建てられ、卯辰山招魂社神門として移されていたものを、1963(昭和38)年に現在地に移築した。向き合う二匹の龍と、加賀藩前田家の紋・剣梅鉢の彫刻があしらわれている。
境内南側の庭園は金谷御殿*の庭で、琴や琵琶をかたどる橋や島をもつのが特徴。江戸時代後期の手法を伝えている。
2020(令和2)年、金沢城の西側に位置し、江戸時代に玉泉院丸(現在の玉泉院丸庭園)と金谷出丸(現在の尾山神社)を結ぶ出入り口として使われていた鼠多門と鼠多門橋が復元された。金沢城公園から鼠多門と鼠多門橋を通って尾山神社へ、さらに長町武家屋敷跡界隈へと、新しい城下町巡りも楽しめるようになった。
東神門は、1662(寛文2)年に金沢城二の丸の唐門として建てられ、卯辰山招魂社神門として移されていたものを、1963(昭和38)年に現在地に移築した。向き合う二匹の龍と、加賀藩前田家の紋・剣梅鉢の彫刻があしらわれている。
境内南側の庭園は金谷御殿*の庭で、琴や琵琶をかたどる橋や島をもつのが特徴。江戸時代後期の手法を伝えている。
2020(令和2)年、金沢城の西側に位置し、江戸時代に玉泉院丸(現在の玉泉院丸庭園)と金谷出丸(現在の尾山神社)を結ぶ出入り口として使われていた鼠多門と鼠多門橋が復元された。金沢城公園から鼠多門と鼠多門橋を通って尾山神社へ、さらに長町武家屋敷跡界隈へと、新しい城下町巡りも楽しめるようになった。
補足情報
*金谷御殿 金谷出丸にあった御殿。現在の尾山神社が立つ敷地は、かつて金谷出丸という金沢城の一部であった。六代藩主吉徳公から十三代藩主斉泰公の時代まで、隠居した藩主などが居住した。
関連リンク | 尾山神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
尾山神社(WEBサイト) 金沢旅物語(金沢市観光協会)(WEBサイト) 国指定文化財等データベース(文化庁)(WEBサイト) 国指定文化財等データベース(文化庁)(WEBサイト) 金沢市(WEBサイト) |
2023年09月現在
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