石崎奉燈祭
能登国守護畠山氏から能登・越中一円の漁業権を免許されていたという伝承をもち、漁業の盛んな町・石崎町(いしざきまち)にある八幡神社の例祭。もともと祇園祭の流れを汲む納涼祭として行われていたが、何度も火事に見舞われて山車が焼け、明治中頃に、宇出津から奉燈と呼ばれる大きな奉燈が移入され、大漁や五穀豊穣の祈願とともに火を鎮める神事として復活し、今の形がつくられたといわれる。当初の奉燈の高さは10m前後で全村で1基だったが、その後区割りが行われ、各区で新調するたびにだんだん高くなり、現在の高さに至っているという。奉燈は各区大小1基ずつあり、漆塗りの丸柱て組まれた奉燈の高さは約12~15m、総重量は約2t、幅は約3m、担ぎ棒は約9m、子ども奉燈は高さが約5~6m、幅約1.5m程度で、担ぐ奉燈としては能登最大級の大きさを誇るとされている。毎年8月第1土曜日に開催される祭りは2日間。前夜祭の金曜、保育園児の小奉燈大行進が町内を回り、大小奉燈の安全祈願祭などがある。本番の土曜日は午後から大奉燈が各地区を出発し、深夜までに3回、堂前広場に奉燈が集まる。明治期以降、電線整備でやむなく奉燈が小型化した祭りが多い中、石崎町では奉燈が通りやすいように電線が道路を横切らないように調整したという。
みどころ
「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサー」。1基ごとに百人の男衆が息を合わせ、掛け声とともに狭い町内で乱舞する様子は大迫力、圧巻だ。奉燈祭は漁師町ならではの誇りと勇壮さで知られる。深夜までに3回、神輿のお涼み所となる堂前広場に集まる。そこが最大の見せ場だ。奉燈には勇壮で華麗な武者絵などが描かれ、明かりがともる夜は闇に浮かび幻想的なムードを醸し出す。ねじり鉢巻き、さらしに地下足袋姿の男衆。奉燈前面に大書された「群魚舞」「志欲静」「智仁勇」「襲銀鱗」などの願いよ叶えとばかり乱舞させる。軒家の期先をかすめるように狭い路地を通り抜ける奉燈。男衆の統制の取れた動きも見どころだ。」(祭りの国能登 渋谷利雄の世界)とされる。クライマックスはあたりが夕闇に包まれ6基の奉燈が勢ぞろいする堂前広場で、奉燈の胴体部に記された「大書」と豪快な武者絵が闇の中に幻想的に浮かび上がる。太鼓がドーンと打たれると、掛け声とともに奉燈が担ぎ上げられ、続いて囃子に合わせて、乱舞競演が始まる。
補足情報
*和倉温泉にある「お祭り会館」では、七尾市を代表する4つの祭り「青柏祭」、「石崎奉燈祭」、「お熊甲祭」、「能登島向田の火祭」を中心に、祭り文化と歴史を紹介している。大スクリーンを使用した映像と音による演出などで、祭りの迫力・臨場感を体感できたたり、実物大の「でか山」や「奉燈」なども展示している。
関連リンク | 七尾市(WEBサイト) |
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参考文献 |
七尾市(WEBサイト) 能登のキリコ祭り(日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」 活性化協議会)(WEBサイト) 『祭りの国能登 渋谷利雄の世界』北陸中日新聞2020/11/27 『石川県の歴史散歩』山川出版社 |
2023年08月現在
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