あばれ祭
7月の第1金・土曜日に、能登各地のキリコ祭りの中で最初に開催される。宇出津の八坂神社の夏祭りで「いやさか祭り」ともいう。祭りの起源は、江戸時代初期に疫病が大流行した際に、京都の祇園社(八坂神社)から牛頭天王を勧請して神事を行ったところ、神の化身とされる大きな青蜂が現れ、刺された人々が快癒したことに感謝し、お礼としてキリコ*を担いで参拝したのが始まりとされる。男衆(現在は男女)に担がれた約40基のキリコが大松明の火粉の中に乱舞し、その合間をぬって白山神社・酒垂神社の氏子が担ぐ2基の神輿が海や川、火の中に投げ込まれるなど大暴れし、「雄壮な祭りとして北陸地方では昔からその名が知られています」(「能州能登町物語」五)といわれる。これらの「あばれ神輿」は毎年、新しく製作されるが、簡単に壊れるような粗野なものではなく、屋根に金色の翼を広げた鳳凰(神鶏ともされる)を飾り、そこから担ぎ棒である肩ね棒までの高さが約1.8m、総重量は約1tあり、12人の男衆で担がれる(ただし、渡御中は鳳凰は外される)。一方、宇出津の各町内で管理運営されるキリコは高さ約7mで、キリコの上には子供たちが多数乗り、子供や若い女性が笛を吹き鉦を鳴らして太鼓を叩き、50人から80人に担がれ乱舞する。

みどころ
初日の主役はキリコで、夕刻には全町約40基のキリコが棚木海岸(港の東側)に林立し、壮観な眺めが広がる。午後9時、花火が打ちあがると宵祭りが始まり、いやさか広場へ移動したキリコの入場とともに高さ7mにもなる5本の柱松明に火がつけられ、太鼓の音に合わせて「サカソイ、サカヨッソイ」と囃しながら、松明の周りを勇壮に乱舞する。
二日目はみこしが主役となり、「みこしを海や川へ投げ落とし乱舞する。火の中に投げ込み、何度も地にたたきつける。文字通り暴れまくる祭り。暴れるほど神様が喜ぶとされるため、川ではみこしを岸近くの松明にぶつけ火の粉を舞い散らせる。放った火に投げ込まれ、何度も地面にたたきつけられたみこしは、黒く焼け焦げた状態で神社にたどり着き、神事が営まれる。当初は乱舞するキリコが有名だったが、迫力が評判になりいつしかみこしの暴れ方に人が集まるようになった」(「祭りの国能登 渋谷利雄の世界」)とされる。
二日目はみこしが主役となり、「みこしを海や川へ投げ落とし乱舞する。火の中に投げ込み、何度も地にたたきつける。文字通り暴れまくる祭り。暴れるほど神様が喜ぶとされるため、川ではみこしを岸近くの松明にぶつけ火の粉を舞い散らせる。放った火に投げ込まれ、何度も地面にたたきつけられたみこしは、黒く焼け焦げた状態で神社にたどり着き、神事が営まれる。当初は乱舞するキリコが有名だったが、迫力が評判になりいつしかみこしの暴れ方に人が集まるようになった」(「祭りの国能登 渋谷利雄の世界」)とされる。

補足情報
*キリコ:「キリコは神輿渡御の夜道を照らす神灯が発展したもの」(「石川県の歴史散歩」)とされるが、神仏に供えた奉燈のあかりが消えそうになった時に竹籠を被せたところ火が燃え続けたので、その形をヒントとしてキリコに発展したという説、神輿のお供役の竹で田楽刺しにした小型の行燈であるレンガクが発展したという説、お盆の迎え火や送り火として使う盆灯篭が発展したという説など、いろいろな説がある。(「能州能登町物語」五)
関連リンク | 能登町(WEBサイト) |
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参考文献 |
能登町(WEBサイト) 『能州能登町物語(二)(五)』 数馬公 北國新聞社 『祭りの国能登 渋谷利雄の世界』北陸中日新聞2020/11/25 |
2023年08月現在
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