那谷寺
粟津温泉から山代温泉へ向かう県道が加賀市に抜ける1kmほど手前に立つ。717(養老元)年、伝泰澄大師の開基による自然智の道場とされる。その後、寛和年間(985~987年)に、花山法皇がこの寺に御幸した折り、観音三十三身の姿を見、西国三十三ケ所を巡る必要はないとして、第1番札所の紀伊那智山と第33番札所の美濃谷汲山の山号をとって那谷寺と改め、自ら中興の開祖となったされる。南北朝から戦国時代の戦乱で堂宇が焼失したが、江戸時代に加賀藩三代藩主・前田利常が自ら指揮を執って復興したとされる。那谷寺の秋は有名で、鮮やかに色づいた楓が、白い岩山を背にして立つ堂塔と、みごとなコントラストを見せている。那谷寺を訪れた芭蕉は「石山の・石より白し・秋の風」と詠んでいる。境内にはその句碑が立っている。
みどころ
「自然智」とは、「その人間に生来備わっているすぐれた智慧。師の教えを受けないで、自然に悟りを開いた智。」(「デジタル大辞泉」)であり、自然の岩屋や岩山洞窟のある那谷寺は古来よりその修行の場としてふさわしい場として、「自然こそ神仏」の教えによって大切に守り続けられてきたとされている。拝観の順序として、山門を潜って左側にある金堂華王殿に参拝の後、奇岩遊仙境を眺めながら気持ちを高め、本殿*に参拝した後は、三重塔*、護摩堂*、鐘楼*などを巡って余韻を味わいながら山門に戻るというルートがお勧めコースといえる。また、秋の紅葉の時期には色づいた楓が堂宇や参道を飾り、より一層の魅力を生み出している。
補足情報
*書院および庫裏:境内中でもっとも古い建物で、桃山時代の入母屋御殿造、部屋はすべて高間造である。前田利常の休息所として建てられたもの。
*庭園〔名勝〕:庫裏庭園は、利常が小堀遠州の指導のもとに造らせたといわれ、東に大杉と小池、西に如是庵を配しており、阿弥陀三尊のご来光に似ていることから名付けられた三尊石がある。園内は緑の鮮苔が敷きつめられ、歩み石も苔むしている。奇岩遊仙境は、奇岩霊石に、いくつもの窟が開口して観音浄土浮陀落山を思わせるとされ、「おくのほそ道の風景地」として名勝指定された。
*本殿(唐門・大悲閣・本殿の総称):石畳の参道突き当りの左上方に、唐門と懸造の大悲閣拝殿が岩壁により添うように建てられている。正面3間、側面2間、入母屋造の拝殿の奥にある大岩窟内の本殿には、御本尊の千手観音が安置され、「胎内くぐり」がある。
*三重塔:中心柱を用いずに、組立て積み上げ方式をとっているので、高さ11.5mという桧皮葺の小さな塔ではあるが、内部は広い。鎌倉初期の作といわれる大日如来が安置されている。
*護摩堂:正面3間、側面3間の単層入母屋造で、8枚の大きな土台石の上に建てられている。外側周囲の腰板には八相唐獅子、4面には十二支の動物、そして牡丹などの彫刻が施してある。
*鐘楼:入母屋造、桧皮葺の唐様建築で、袴腰の上部まで石造となっている。内部には、戦国時代に朝鮮から渡来したと伝わる鐘が吊してある。
*庭園〔名勝〕:庫裏庭園は、利常が小堀遠州の指導のもとに造らせたといわれ、東に大杉と小池、西に如是庵を配しており、阿弥陀三尊のご来光に似ていることから名付けられた三尊石がある。園内は緑の鮮苔が敷きつめられ、歩み石も苔むしている。奇岩遊仙境は、奇岩霊石に、いくつもの窟が開口して観音浄土浮陀落山を思わせるとされ、「おくのほそ道の風景地」として名勝指定された。
*本殿(唐門・大悲閣・本殿の総称):石畳の参道突き当りの左上方に、唐門と懸造の大悲閣拝殿が岩壁により添うように建てられている。正面3間、側面2間、入母屋造の拝殿の奥にある大岩窟内の本殿には、御本尊の千手観音が安置され、「胎内くぐり」がある。
*三重塔:中心柱を用いずに、組立て積み上げ方式をとっているので、高さ11.5mという桧皮葺の小さな塔ではあるが、内部は広い。鎌倉初期の作といわれる大日如来が安置されている。
*護摩堂:正面3間、側面3間の単層入母屋造で、8枚の大きな土台石の上に建てられている。外側周囲の腰板には八相唐獅子、4面には十二支の動物、そして牡丹などの彫刻が施してある。
*鐘楼:入母屋造、桧皮葺の唐様建築で、袴腰の上部まで石造となっている。内部には、戦国時代に朝鮮から渡来したと伝わる鐘が吊してある。
関連リンク | 那谷寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
那谷寺(WEBサイト) コトバンク(株式会社DIGITALIO)(WEBサイト) 『石川県の歴史散歩』石川県の歴史散歩編集委員会編 山川出版社 |
2023年08月現在
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