氣多大社けたたいしゃ

能登一ノ宮として知られ、かつては国幣大社に列せられていた。羽咋駅の北方約4km、海を望む高台にあり社叢を背に神門・拝殿・本殿・摂社などが並ぶ。創建年代は明らかでないが、古くは崇神天皇が社頭を造営したといわれ、大己貴命(オオナムチノミコト)を祀っており、奈良時代にはこの地で祭祀が始まったとされている。大伴家持が参詣した際の和歌が「万葉集」に載っていることでも知られ、古代から多くの信仰を集めていた。中世から近世には、能登国守護畠山氏や加賀藩前田家歴代藩主の崇敬を受けて、現在の社殿が造営された。本殿、拝殿、神門、摂社白山神社、神庫、随身門はその寄進によるものである。社殿の背後に広がる社叢(国指定天然記念物)には、素戔嗚尊と櫛稲田姫命を祀る奥宮が鎮座し、「入らずの森」と呼ばれる神域となっている。椎・椿・ヤブニッケイなど、暖地性高木の老樹が多く、北陸地方における原生的な林相を残すものとして学術的価値が高い。御祭神である大己貴命は出雲大社では大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)といわれる縁結びの神様であることから、近年、縁結びのパワースポットとしても知られる。春と秋に豊漁を願うために行われる「御贄祭」のほか、春の訪れを告げる「平国祭」、夏の「大祓式」、秋の「新嘗祭」、年末には次の年の吉凶を占う「鵜祭」など、四季折々に数多くの神事が行われている。
 参道の西側にある「正覚院」は氣多大社の神宮寺として重要な役割を果たしてきたが、明治期の神仏分離で真言宗寺院として独立した。その際に、氣多大社の大講堂に安置されていた阿弥陀如来坐像(重要文化財)や長谷川等伯の仏画、石動山関係の資料など多くの宝物が移され、正覚院の所蔵となった。
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みどころ

正面の大鳥居から入り参道を進むと、数々の重要文化財を見ながら参拝することになる。まず神門は、屋根の反り方に特徴がある檜皮葺の四脚門。神門を潜ると正面に「拝殿」が現れる。3間四方の入母屋造りの唐様建築で、1653~1654(承応2~3)年に加賀藩3代藩主前田利常によって再建された。拝殿の後の「本殿」は、ここと厳島神社にしか見られない珍しいものである。両流造り。桁行3間、梁行4間で、正面には1間の向拝と呼ばれるひさしが長く張り出し、周囲を高覧付きの縁が巡らされている。11代藩主治脩(はるなが)によって1787(天明7)年に再興されたという。本殿の右わきにある「摂社白山神社本殿」は3間社流造り、檜皮葺で、氣多大社本殿と同時に同じ大工によって造られている。本殿左わきの「摂社若宮神社本殿」は1間社流造りで、檜皮葺の小ぶりな建物。能登守護畠山義綱により1569(永禄12)年に建造されたもので、一列に並ぶ3殿の中で最も古い。本殿の背後に広がる「入らずの森」といわれる本殿の背後に広がる社叢は約3万㎡におよぶ広大な森で天然記念物に指定されている。年に1度、社叢内の奥宮で行われる神事でさえ、神官は目隠しをして通行しなければならないほど神聖視された神域である。しかし、2020年から2021年の年末年始には、この神の神域で神の氣を授かる「入らずの森詣」が行われた。
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補足情報

*氣多大社の文化財は、上記のもの以外にも、「後奈良天皇女房奉書」(国指定重要文化財)、「気多の鵜祭の習俗」(国指定重要無形民俗文化財)、「神庫」・「随身門」・「気多神社文書」(県指定有形文化財)、「ケタノシロキクザクラ」(県指定天然記念物)がある。
*無料の縁結び祈願が受けられる「ついたち結び」が毎月1日に行われている。
関連リンク 能登國一宮 気多大社(WEBサイト)
参考文献 能登國一宮 気多大社(WEBサイト)
ほっと石川旅ねっと(公益社団法人石川県観光連盟)(WEBサイト)
羽咋市(WEBサイト)
『石川県の歴史散歩』 石川県の歴史散歩編集委員会=編 山川出版社
『北陸新幹線沿線パノラマ地図帳』能登印刷出版部

2023年08月現在

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