本州中部地方の北部、日本海の富山湾に面した県。
 JR城端線、氷見線、高山本線が通じ、北陸新幹線の黒部宇奈月温泉、富山、新高岡の三駅がある。他に、あいの風とやま鉄道(旧JR北陸本線)、富山市内を中心に富山地方鉄道(本線、立山線、不二越・上滝線、富山軌道線)、旧JR富山港線には富山ライトレール、高岡市や射水市を路面電車の万葉線(旧加越能鉄道)、黒部峡谷に沿っては黒部峡谷鉄道、黒部湖駅から立山駅には立山黒部貫光のトロリーバスやケーブルカーが通る。県内すべての自治体に鉄道駅が存在している。国道は東西に走る8号、名古屋から中部地方を横断して富山市に至る41号、庄川沿いの156号、能登方面への160号のほか、304号、359号、415号、471号、472号がある。北陸自動車道が県中央部を南北に走り、小矢部砺波ジャンクションで東海北陸自動車道、能越自動車道に分岐する。富山空港は羽田、新千歳線、上海線が就航。(ソウル、大連、台北路線運休中)
 本州中部の日本海側に位置しており、東は雄山・大汝山・剣岳をはじめとする3,000m級の立山連峰、南は飛騨山地、西は白山に連なる山地に囲まれる。各山地を源にしている黒部川、常願寺川、神通川、庄川などが北流して富山湾に注ぐ。山麓から富山湾岸にかけて複合扇状地の富山平野、小矢部川の流域を含めた礪波平野、富山湾に面する射水平野、および氷見平野からなる。富山湾では、「寄り回り波」と呼ばれる高波や、下層大気の逆転層の形成による「蜃気楼」等の珍しい現象が発生する。北アルプス一帯は中部山岳国立公園域で、薬師岳圏谷群(特別天然記念物)など氷河期の名残もみられる。また黒部峡谷は特別名勝・特別天然記念物に指定されている。海岸線の延長は約95㎞で、白砂青松の雨晴海岸、島尾海岸は能登半島国定公園の一部となっている富山湾岸で発見された魚津埋没林、富山湾のホタルイカ群遊海面はともに特別天然記念物に指定されている。
 県東部の上市町からナイフ型石器、魚津市桜峠からは縄文早期の押型文土器、氷見市朝日貝塚(国の史跡)からは縄文初期の朝日式土器が発掘されるなど歴史は古く、朝日貝塚の近く海食洞の大境洞窟(国の史跡)からは縄文・弥生式土器のほかに多数の人骨が発見されている。
 戦国時代、上杉謙信の死後は織田方の攻勢が始まり、1580年(天正8)織田氏の臣佐々成政が富山城に入った。本能寺の変後、越中の支配権は前田利家に移り、1639年(寛永16)加賀3代藩主利常は次男利次に神通川流域の婦負郡と、能美郡、新川郡の各一部を分封し、富山藩10万石が成立。利次は富山城を修築し、城下町を整備。富山藩2代藩主正甫が富山売薬を始めたとされる。1767年(明和4)に藩は反魂丹(はんごんたん)役所を設け富山売薬の保護、統制をした。1871年(明治4)の廃藩置県によって婦負郡と新川郡の一部が富山県となったが、まもなく新川県に改められ魚津に県庁が置かれた。1876年(明治9)加賀・能登・越前・越中の全域が石川県となったが、1883年(明治16)に越中国が分離して富山県として独立した。
 長く米作主体の農業が中心だったが、第一次世界大戦後、豊富な水資源を利用する電源開発が進み、化学肥料、電気製鋼や製紙、金属などの工場が立地し、日本海沿いでは有数の工業県となっている。また、繊維、木工などの軽工業が礪波平野などに多く、黒部市や高岡市にアルミ工業の工場群がある。林産物にはシイタケ、キノコ類、クリなどがある。富山湾は寒暖両流の影響で魚類は豊富で、サンマ、スルメイカ、マグロ、カツオ、アジ、ブリ、サケ、マスなどが獲れるほか、ハマチ、ワカメなどの養殖が行われている。このほか4月から6月上旬にかけて富山湾の滑川、魚津沖合いでのホタルイカ漁や、10月から2月までベニズワイガニ漁がある。礪波平野はチューリップの球根の産地として知られる。伝統産業では、藩政時代に始まった富山売薬は明治以降も「越中富山の薬売り」として知られる。他に、高岡銅器(武具、農具、仏具、花器、銅像、梵鐘など)、南砺市(旧、井波町)の井波欄間、高岡漆器、氷見市の畳表、ござ、南砺市のプロ野球用の木製バット製造などが知られている。
 自然公園には3つの国立・国定公園のほかに、朝日、有峰、五箇山、白木水無、医王山、僧ヶ岳の6県立自然公園がある。文化財も多数あり、高岡市の瑞龍寺は近世初期の禅宗伽藍を代表する建築で、仏殿、法堂、山門は国宝に指定されている。国の重要文化財として、神社建築では中新川郡立山町岩峅寺の雄山神社前立社壇本殿(北陸地方最大)、高岡市伏木一宮の気多神社本殿、南砺市の白山宮本殿(室町時代の建築)、小矢部市埴生の護国八幡宮の本殿、釣殿、拝殿及び幣殿の3棟(江戸初期建造)がある。また、民家建築では五箇山の合掌造が有名で、南砺市西赤尾の岩瀬家は庄川筋最大の合掌造で、同市の村上家、羽馬家はいずれも国重要文化財。また、合掌造の多い南砺市の相倉集落、菅沼集落はそれぞれ国の史跡で、1995年(平成7)には岐阜県の白川郷の集落とともにユネスコ世界文化遺産に登録されている。美術品では、富山市本法寺の「絹本著色法華経曼荼羅図」、富山市大津賀家の「紙本著色野郎歌舞伎婦女遊楽図」、南砺市安居寺の木造聖観音立像、富山市常楽寺の木造聖観音立像と木造十一面観音立像、上市町日石寺の不動明王、高岡市蓮花寺の銅製双竜飾錫杖頭は国の重要文化財に指定されている。県を代表する郷土芸能に越中オワラ節と麦や節がある。富山市八尾地区のオワラ節は「風の盆」ともいい、編笠をかぶった人々が三日三晩町を練る伝統行事。また五箇山には田植や祭りの際に行われる『こきりこ節』のほか、「といちんさ」「お小夜(さよ)節」「古代神(こだいしん)」など多くの民謡と踊りが伝えられ、「五箇山の歌と踊」として国の選択無形民俗文化財とされている。国の重要無形民俗文化財には、射水市加茂中部加茂神社・黒部市法福寺・富山市婦中町中名熊野神社の稚児舞(越中の稚児舞)、滑川のネブタ流しがある。また、高岡御車山祭の御車山行事、魚津のタテモン行事、城端神明宮祭の曳山行事(国指定重要無形民俗文化財)は、山・鉾・屋台行事としてユネスコ無形文化遺産に登録された。国の重要有形民俗文化財には高岡御車山7基、「立山信仰用具」「富山の売薬用具」がある。 

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富山県内の資源一覧

雪倉岳の写真

写真提供:一般社団法人糸魚川市観光協会

雪倉岳 ( 新潟県 糸魚川市 / 富山県 朝日町 )

新潟県と富山県との境界にある飛騨山脈後立山連峰にある標高2,611mの山。大きく根を張り、おおらかな山体を横たえる。山名は、積雪期に雪の間にところどころ岩が見え、その岩を地元猟師らは「倉」と呼んでいたことから、雪*と倉の山という意味で「雪倉岳」と呼ばれるようになったという。

朝日岳の写真

写真提供:朝日町観光協会

朝日岳 ( 富山県 朝日町 )

飛騨山脈(北アルプス)の後立山連峰の北部に位置する標高2,418mの山。古成層の変成岩で構成されている。富山県朝日町の東南端にそびえ、新潟県との県境に位置する。南陵には雪倉山、白馬岳が控え、北稜は長栂山、黒岩山、犬ヶ岳と続き、やがて親知らずに至る。  朝日岳を含む白馬連山高山植物帯は、富山県の下新川郡朝日町と黒部市、長野...

洞杉の写真

洞杉 ( 富山県 魚津市 )

魚津市南東部の毛勝三山を源として富山湾に注ぐ片貝川の上流部・南又谷の500~700m付近を中心に樹齢500年以上と推定される天然スギ(タテヤマスギ・アシウスギ)が群生している。これらの群生するスギの古木は、幹に空洞ができることから地元では洞杉と呼ばれている。洞杉の多くは、何本にも枝分かれしながら巨大な石や露出した岩の上に乗る...

富山湾の埋没林の写真

富山湾の埋没林 ( 富山県 魚津市 )

埋没林とは、「何らかの原因で林が地中に埋まり、現在まで保存されたもので、河川の堆積物に覆われたものや、地上で水成及び風成堆積物、火山の噴出物などに埋もれたもの」をいう。  魚津の埋没林は、河川の堆積物に覆われたのちに海水面下に没したもので、1930(昭和5)年、魚津港修築の際多くの古代の樹根が発掘された。この埋没林は約20...

富山湾の蜃気楼の写真

富山湾の蜃気楼 ( 富山県 魚津市 )

蜃気楼とは、大気中の温度差によって光が屈折し、遠方の風景などが、伸びたり、反転した像が現れたりする現象のこと。魚津市の海岸は古くから蜃気楼の展望地として知られており、対岸の建物や航行中の船舶が伸びた姿などが見られる。蜃気楼には2種類あり、春の蜃気楼として有名な「上位蜃気楼」と冬の蜃気楼として知られる「下位蜃気楼」があ...

大岩山日石寺の写真

大岩山日石寺 ( 富山県 上市町 )

大岩山日石寺は富山地方鉄道上市駅から車で15分ほど南方(山側)に向かったところに位置する真言密宗大本山。寺院の縁起では、725(神亀2)年、遊行でこの地を訪れた行基*1が、凝灰岩の一枚岩に磨崖仏*2を彫ったことを開基とするといわれている。もとは高野山真言宗であった。室町時代には、21の末社・七堂伽藍・60の寺が建ち並び、千を超...

剱の大王杉の写真

剱の大王杉 ( 富山県 上市町 )

剱の大王杉は剱岳の麓、上市町の早月尾根・松尾平(標高1,010m付近)の麓にある立山杉の巨木で、幹周りは約12m。早月尾根にある松尾平の麓、白萩川を見下ろす標高900~950mあたりに杉の巨木が何本も立ち並ぶエリアがあり、その最も奥に立つ。  一部の登山者の間では知られていたが、2004(平成16)年北日本新聞に取り上げられたことで知ら...

剱岳の写真

剱岳 ( 富山県 上市町 / 富山県 立山町 )

飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰にある標高2,999mの山で、富山県の上市町と立山町にまたがる。山名の文字は2003(平成15)年に現在の「剱岳」に登録された。山頂から東側に、長次郎谷、三ノ窓、小窓、大窓とU字谷が並ぶ。山頂のわずかに西より、背骨のような早月尾根が登山拠点となる上市町馬場島との2,200m以上の高低差を急角度で結ん...

黒部峡谷の写真

黒部峡谷 ( 富山県 黒部市 )

黒部峡谷は、北アルプスの中央部、雲の平の南方にある標高2,924mの鷲羽岳と2,721mの祖父岳付近を源として、富山湾に流れ込む黒部川が後立山連峰と立山連峰の間に刻み込んだ峻険な峡谷。黒部川の源流は雲の平の南側にあり、わずかな湧き水が雲の平を回り込む間に大量の水を加えて黒部川となっていく。黒部川は延長86kmと長さでは中級だが、滝...

黒部峡谷トロッコ電車の写真

黒部峡谷トロッコ電車 ( 富山県 黒部市 )

黒部峡谷鉄道株式会社が運営する黒部峡谷トロッコ電車は、黒部市の宇奈月駅から欅平駅までの黒部川沿いを走る黒部峡谷鉄道の列車。全長約20kmを片道約1時間20分で結んでいる。「トロッコ電車」はその愛称である。  黒部峡谷は水力発電による電源開発に適した地形であり、1919(大正8)年に東洋アルミナム株式会社が設立され、本格的な電源...

YKKセンターパークの写真

写真提供:YKKセンターパーク丸屋根展示館

YKKセンターパーク ( 富山県 黒部市 )

世界約70の国と地域で事業を展開しているYKKグループ*1は、黒部事業所の一部をYKKセンターパークとして一般に開放している。その園内には3つの展示館がある。丸屋根展示館1号館ではファスナーや窓の仕組みと歴史、創業者・吉田忠雄*2の企業理念について触れられる。YKKの技術を紹介している丸屋根展示館2号館では、海外へ初めて進出した際...

黒部五郎岳の写真

写真提供:小池岳彦

黒部五郎岳 ( 富山県 高山市 )

北アルプスの奥深く、立山連峰の南端に位置し、頂上は富山県と岐阜県の境となる(標高2,840m)。黒部源流の山々の中でも雄々しく、雄大な山である。頂上から大きなカールが形成されている。山頂には岩が積み重なっており、五郎というのは人名ではなく、岩のごろごろした場所を「ゴーロ」というところからきており、「黒部」にある「岩のごろ...

勝興寺の写真

勝興寺 ( 富山県 高岡市 )

雲龍山勝興寺は、JR氷見線の伏木駅の西に立地する浄土真宗本願寺派の寺院である。1471(文明3)年、本願寺8世蓮如上人*が越中布教のため、現在の南砺市福光土山に開いた土山御坊が始まりと言われている。土山御坊は、蓮如の子孫が代々住職を務めるなど、本願寺と血縁関係のある寺院として強い勢力をもった。寺号の由来は1517(永正14)年、...

瑞龍寺の写真

瑞龍寺 ( 富山県 高岡市 )

瑞龍寺は、あいの風とやま鉄道高岡駅の南、徒歩約10分。曹洞宗の寺院で、加賀2代藩主前田利長の跡を継いだ弟で3代藩主の利常が兄の菩提を弔うために建立したものである。隠居した利長は、当初富山城を隠居所としたが、火災により高岡に移り、この地で亡くなった。その後、利常は加賀藩御大工山上善右衛門嘉広に命じて七堂伽藍の大寺院を建立...

高岡市金屋町の町並みの写真

高岡市金屋町の町並み ( 富山県 高岡市 )

金屋町の町並みは、あいの風とやま鉄道の高岡駅から北西方向に20分ほど歩いたところにある。2012(平成24)年に重要伝統的建造物群保存地区にも指定された。保存地区は、東西約140m、南北約450m、面積約6.4万m2。高岡の開祖、加賀前田家2代当主前田利長が、城下の産業発展を図るために砺波郡西部金屋から7人の鋳物師を招いたこと...

高岡御車山祭(高岡御車山祭の御車山行事)の写真

高岡御車山祭(高岡御車山祭の御車山行事) ( 富山県 高岡市 )

高岡の御車山行事は、1609(慶長14)年に前田利長が高岡に城を築いて町を開いたとき町民に御所車を与え、関野神社の春祭(御車山祭)に山車として神輿の巡行に伴って奉曳したのがはじまりといわれている。利長が与えた御所車は、父利家より譲り受けたものだが、伝承では、1588(天正16)年に豊臣秀吉が後陽成天皇を京都聚楽第に行幸を仰いだ...

黒部ダム(黒部湖)の写真

黒部ダム(黒部湖) ( 富山県 立山町 )

黒部ダムは、富山県東部を流れる黒部川の標高1,454mの地点に、関西電力が建設した水力発電専用のダムである。堤高186mは日本一の高さで、アーチ式ダムとしては世界でもトップクラス。通称「くろよん」と呼ばれている*1。  1956(昭和31)年に着工、7年の歳月をかけて1963年(昭和38年)6月5日に完成した。工費は513億円、1,000万人もの人...

五色ヶ原の写真

五色ヶ原 ( 富山県 立山町 )

立山の南側の標高2,400~2,500mに広がる高原で、北アルプスでは弥陀ヶ原に次ぐ広さをもつ。立山から薬師岳に続く縦走路の途中にある。立山火山(弥陀ヶ原火山)の噴火により流れ出した溶岩によって形成されたといわれている。北西側は立山カルデラ*と呼ばれる巨大な崩壊地があり、カルデラ壁には鷲岳、鳶山といった山がある。  高山植物で...

称名滝の写真

称名滝 ( 富山県 立山町 )

室堂平周辺の水を集めて流れる称名川が弥陀ヶ原にはいると、ほぼ垂直にその北端を削りとり、150m以上の深さに切れ込んだ峡谷の中を流れる。称名滝は、この立山の大噴火による溶結凝灰岩の台地を浸食してできたV字峡谷「称名廊下」の末端から、標高差350mの高さを落下する瀑布である。称名滝は、上から70m、58m、96m、126mの4段からなり、それ...

立山の写真

立山 ( 富山県 立山町 )

飛騨山脈(北アルプス)の北部に位置する。立山という独立峰はなく、狭義には雄山神社峰本社のある「立山山頂」または「雄山(おやま、標高3,003m)」と「大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)」と「富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)」の3つのピークを総称して立山と呼んでいる。古くは立山連峰全体を指していたと思われ、今でも...

立山地獄谷の温泉の写真

立山地獄谷の温泉 ( 富山県 立山町 )

立山地獄谷は、立山・室堂平の北方約1km、標高2,300mに位置する高所の噴気地帯として知られている。弥陀ヶ原火山の約4万年前以降の火山活動によってみくりが池などと共に形成された。以前は谷の内側に山小屋があったが、火山性ガスの危険のために閉鎖された。現在は周囲にある「みくりが池温泉」、「らいちょう温泉雷鳥荘」、「雷鳥沢温泉(2...

立山のライチョウの写真

立山のライチョウ ( 富山県 立山町 )

ライチョウは立山の自然環境を象徴する動物である。  日本のライチョウは、世界中のライチョウ(学名:Lagopus muta)の中で一番南に生息する亜種であり、氷河期に大陸から来た生き残りともいわれる。  本州中部の北アルプス、南アルプスなど標高2,200m以上の高山帯に生息。現在生息数は、生息環境の変化などにより2000羽を下回っている...

美女平の立山杉の写真

美女平の立山杉 ( 富山県 立山町 )

美女平は立山・黒部アルペンルートの玄関口で、麓の立山駅と立山ケーブルカーで結ばれ、標高977mに位置する。ここから標高1460mの上ノ小平上部にかけての美女平溶岩台地は、タテヤマスギとブナの巨木が集団で生育する森林となっている。このうちタテヤマスギは杉の変種のアシウスギの一種で、枝が垂れ、雪に耐える性質が特徴である。  富...

弥陀ヶ原の写真

弥陀ヶ原 ( 富山県 立山町 )

立山の西側山腹の標高1,500mから2,400mに広がる立山の火山活動で形成された火砕流台地。河川による浸食等で成立し、現在では東西4km、南北2kmの東西に長細い形状の起伏に富んだ高層湿地*1である。広義では、美女平・下ノ子平・弘法平・追分平・天狗平・室堂平などを含めることもあるが、一般には室堂平などとは区別して、丸山台から追分平を...

雪の大谷の写真

雪の大谷 ( 富山県 立山町 )

雪の大谷とは、立山有料道路を除雪した際に現れる巨大な雪壁である。  立山黒部アルペンルートの室堂は標高2,450mの豪雪地帯で、室堂ターミナル付近にある「大谷」は吹き溜まりとなっているので特に積雪が多い。春先、この「大谷」を通る道路をGPSで確認しながら慎重に雪を削り取りながら掘り進めていく。除雪された道路の両側には深さ最...

大日岳の写真

大日岳 ( 富山県 立山町 / 富山県 上市町 )

弥陀ヶ原の北側に連なりを見せる山塊で標高は2,501m。大日岳・中大日岳(2,500m)・奥大日岳(2,606m)をもって大日三山とする記述を多くの登山書で見かけるが、富山県山名録では早乙女岳(2,093m)・大日岳・奥大日岳を大日連山としている。大日という名から分かるように、信仰の対象になっていた山で、大日如来体現の聖地であった。  189...

庄川峡の写真

写真提供:一般社団法人 砺波市観光協会

庄川峡 ( 富山県 砺波市 )

庄川峡は、一級河川の庄川沿い、小牧ダム上流のダム湖から庄川水記念公園、庄川温泉郷までの地域を指す。  庄川は、岐阜県の鳥帽子岳を源とし、世界遺産の合掌造り集落で知られる五箇山の山懐を縫い、富山県南西部の砺波平野を通って富山湾に注ぐ北陸有数の大きな河川で、古くから、日本最大規模の散居村の穀倉地帯を支えてきた。また、昭...

砺波平野のチューリップ畑の写真

写真提供:一般社団法人 砺波市観光協会

砺波平野のチューリップ畑 ( 富山県 砺波市 )

富山県はチューリップの球根出荷量日本一である。なかでも砺波市は最大の出荷量を誇り、県全体の4割強を占めるチューリップの里である。花の時期には、至る所で鮮やかなチューリップの絨毯を目にすることができる。  砺波市のある砺波平野は、県下で初めてチューリップ栽培が始められた場所である。大正時代、東砺波郡庄下村(現在の砺波市...

砺波平野の散居村(散村)の写真

写真提供:一般社団法人 砺波市観光協会

砺波平野の散居村(散村) ( 富山県 砺波市 / 富山県 南砺市 )

富山県の西部に位置し、庄川と小矢部川によって作られた約220km2の扇状地・砺波平野では、50~100mほどの間隔で屋敷林に囲まれた7,000戸を超える農家が点在しており、このような集落形態を散村と呼んでいる。富山県内では「散居村(さんきょそん)」と呼んで親しまれてきた。  その成り立ちは、それぞれの農家が家の周りを開拓...

おわら風の盆の写真

おわら風の盆 ( 富山県 富山市 )

おわら風の盆*1は、9月1日~3日に八尾町(現富山市八尾地区)で行われる祭りである。ここは、浄土真宗本願寺派の寺院・聞名寺の門前町として生まれ、江戸時代の町づくりにより発展した町である。「おわら風の盆」では、福島、下新町、天満町、今町、西町、東町、鏡町、上新町、諏訪町、西新町、東新町の町内11の地区で、それぞれ個性ある「...

雲ノ平の写真

雲ノ平 ( 富山県 富山市 )

富山市南部、飛騨山脈(北アルプス)の最奥部、黒部源流域に位置する標高約2,600mに広がる溶岩台地。面積は25万m2。黒部川の源流部にあたり、南、西、北を黒部川が取り囲んでいる。北アルプスの中でも最も奥深いところに位置し、どの登山口からでも当日中にたどり着くことが困難であり、「日本最後の秘境」、別名を奥の平とも呼ば...

神通峡の写真

神通峡 ( 富山県 富山市 )

飛騨山地を水源として北流する神通川が、飛騨山地から富山平野に抜ける間の峡谷である。かつては、豊かな水量と岩を嚙むような峡谷美を誇っていたが、ダムの建築により、今は満々と水をたたえた人造湖に変貌をとげ、季節の花や紅葉が水面に映え、静かな湖畔のたたずまいをみせている。  第一ダムの下流にある庵谷峠に登ると神通峡の展望を...

水晶岳(黒岳)の写真

水晶岳(黒岳) ( 富山県 富山市 )

水晶岳は飛騨山脈(北アルプス)北部、富山市の南東部に位置する標高2,986mの山である。山頂は切り立った岩の双耳峰で針峰状の側壁に囲まれた急峻なカール地形をなしており、このあたりでの最高峰である。  水晶岳の名称は、水晶がとれたことによる。別名黒岳で、これは山肌が黒々としていることによる。日本百名山において深田久弥は「北...

富山城の写真

富山城 ( 富山県 富山市 )

富山駅の南約1km、市街地のほぼ中央に富山城址公園がある。富山城は1543(天文12)年に畠山氏の守護代・神保長職が築城したことに始まり、江戸時代には前田氏の居城として整備され、富山藩政の中心であった。現在の城址公園は、主に本丸と西之丸の部分であり、当時はこの約6倍の広さがあった。公園として残された部分以外は、市街地となって...

富岩運河(富岩運河環水公園)の写真

富岩運河(富岩運河環水公園) ( 富山県 富山市 )

「富岩運河」は、富山市と当時の東岩瀬町をつなぐ運河である。富山城の外堀でもあった神通川は、富山市中心部で大きく蛇行しており、たびたび洪水を引き起こしていた。富山県はその流れを直線化する工事に1901~1903(明治34~36)年に着手。その工事で生まれた広大な廃川地対策として、東岩瀬港から富山駅北まで約5kmの運河を作り、運河を掘...

松川のサクラの写真

松川のサクラ ( 富山県 富山市 )

富山市の中心部を流れる松川は、富山城の外堀・神通川の名残りである。松川の川辺には、上流の磯部の布瀬橋から、いたち川合流点下流の宮下橋まで、右岸側と左岸側合わせて3.9km(右岸・左岸どちらかに桜のある川の距離としては約2.5km)にわたり、ソメイヨシノが530本植えられている。  富山藩10代藩主前田利保は、隠居所として建てた千歳...

薬師岳の写真

薬師岳 ( 富山県 富山市 )

飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰南部に位置し、標高は2,926m。立山(たてやま)や剱(つるぎ)岳の峻険(しゅんけん)な山容に比べ、雄大だが穏やかな山容を示しており、重量感のあるどっしりとした山容は北アルプス随一だといわれる。薬師岳は山麓有峰の住民の信仰の山で、頂上には薬師堂が祀られている。立山などと同様に、薬師岳も...

常願寺川の写真

常願寺川 ( 富山県 富山市 / 富山県 立山町 )

常願寺川は富山県と岐阜県の県境にある北ノ俣岳(標高2,661m)から流れる真川と、立山カルデラを源とする湯川があわさり常願寺川となり、さらに千寿ヶ原で称名川と合流して富山県の中央部を北流し、富山湾に注いでいる。流路延長約56km、河床勾配は山地部で約1/30、扇状地部で約1/100の、日本有数の急流河川である*1。古くは「新川(にいか...

立山カルデラの山体崩壊の写真

写真提供:富山県 立山カルデラ砂防博物館

立山カルデラの山体崩壊 ( 富山県 富山市 / 富山県 立山町 )

立山カルデラは立山連峰の南西、室堂平から弥陀ヶ原の南に位置する東西6.5km、南北4.5kmの楕円形の大規模なくぼ地である。この地形は4万年前頃まで活動した弥陀ヶ原火山などが地震や大雨などにより侵食されてできた「侵食カルデラ」と考えられており、日本有数の巨大崩壊地形である。  周辺には跡津川断層をはじめいくつもの活断層が分布し...

ホタルイカ漁の写真

ホタルイカ漁 ( 富山県 滑川市 )

ホタルイカは、世界中で日本近海にのみ生息する小型の発光イカで、「ホタルイカ」の名前は1905(明治38)年、ホタルの生態調査を行っていた東京帝国大学の渡瀬庄三郎博士が名付けたとされており、学術名の「Watasenia scintillans(Berry, 1911)」は渡瀬博士に由来する。富山県の漁村では、古くは「マツイカ」「コイカ」などと呼ばれており...

井波別院瑞泉寺の写真

写真提供:井波別院瑞泉寺

井波別院瑞泉寺 ( 富山県 南砺市 )

井波別院瑞泉寺は、富山県南砺市(旧井波町)にある1390(明徳元)年、本願寺第5代の綽如(しゃくにょ)によって開かれた浄土真宗の真宗大谷派寺院である。明から送られてきた難解な国書を綽如が解読したことから、後小松天皇より才と功績を認め、一寺寄進を申し出られたと伝わる。その後は北陸の浄土真宗信仰の中心としての役割も果たすとと...

五箇山の合掌造り集落の写真

五箇山の合掌造り集落 ( 富山県 南砺市 )

五箇山は、富山県の西南端部、庄川の上流および支流利賀川に沿う地域で、上梨谷・下梨谷・赤尾谷・小谷・利賀谷の5つの谷間(やま)の総称といわれる。1,500m級の山々に囲まれた豪雪地で、合掌造りの家屋で知られ、岐阜県の白川郷荻町とともに相倉集落、菅沼集落がユネスコ世界遺産に登録されている。  合掌造りは豪雪地帯である五箇山・...

城端曳山祭(城端神明宮祭の曳山行事)の写真

城端曳山祭(城端神明宮祭の曳山行事) ( 富山県 南砺市 )

城端曳山祭は城端神明宮の春の例祭として、5月4日に宵祭、5月5日に本祭が執り行われる。その起源は、1717(享保2)年に神輿がつくられ獅子舞や傘鉾の行列が始まり、1719年には曳山が創始され1724年には神輿の渡御にお供したと伝わる。城端曳山祭の舞台である城端は、砺波平野の南端に位置しており、浄土真宗大谷派の城端別院善徳寺の寺内町と...

氷見の寒ブリ料理の写真

写真提供:一般社団法人 氷見市観光協会

氷見の寒ブリ料理 ( 富山県 氷見市 )

富山湾のブリ漁は、越中式定置網であり、大型のもので水深50~70mのところに4~6kmの網を起こす。12月、海が荒れ激しく鳴り響く雷を「ブリ起こし」という。これが富山湾のブリの季節の到来を表す。富山湾で獲れるブリは越中ブリとして昔から人気があり、高級品でもあった。塩ブリとなって飛騨高山、さらには野麦峠を越え、信州の松本や諏訪地...

シロエビ料理の写真

シロエビ料理 ( 富山県 富山市 / 富山県 射水市 )

シロエビは富山湾独特の海底谷「藍瓶(あいがめ)」に群泳する体長は約6センチほどのエビ。水揚げ直後、透明感のある淡いピンク色をした姿から「富山湾の宝石」とも呼ばれる。ブリやホタルイカと並んで「富山県のさかな」*のひとつであり、富山湾の海の幸を象徴する食材になっている。標準和名は「シラエビ」だが、地方名あるいは商品名とし...

五龍岳の写真

五龍岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 黒部市 )

長野県大町市と富山県黒部市の県境にあり、鹿島槍ケ岳の北に岩峰を連ねてそびえる男性的な姿の岩山。標高は2,814m。遠見尾根をのばしているため山麓からは望みにくいが、唐松岳からの五龍岳は堂々として立派である。  越中からは餓鬼岳、信州からは割菱ノ頭などと呼ばれていた。五龍の名は戦国時代の武田氏の菱型の紋章「御菱」からという...

鹿島槍ヶ岳の写真

鹿島槍ヶ岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 / 富山県 黒部市 )

長野県大町市と富山県立山町・黒部市の県境にあり、標高2,889m、後立山連峰*の中央に位置している。北峰と南峰のピークが吊尾根で結ばれた双耳峰の優美な山容で、後立山連峰の盟主ともいわれている。かつてはこの山周辺一帯の山域を後立山と呼んだというが、山麓の鹿島集落から取って鹿島槍ヶ岳の名になったといわれる。  鹿島槍ヶ岳への...

烏帽子岳の写真

烏帽子岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市街の西方19km、大町市と富山県富山市との県境に位置する。北アルプス後立山連峰*の南につづく尾根の一峰で、標高2,628m。槍ケ岳への裏銀座コース*の起点である。  頂上部は烏帽子*状のとがった岩峰が立ち、その形から山の名が付けられたといわれる。烏帽子岳という名の山は日本全国でも数多く50座以上、烏帽子山を含めると9...

爺ケ岳の写真

爺ケ岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 立山町 )

長野県大町市と富山県立山町の県境にあり、鹿島槍ヶ岳の南に3つのピークを持つ山。春、種まき爺さんの雪形*が現れるところから爺ケ岳と呼ばれ、大町付近からその姿が望める。安曇野の人々はこの雪形が現れると種まきを行ったといわれる。  山頂部は北峰、三角点2,670mの中央峰と南峰が立ち、稜線はハイマツでおおわれている。  登山は大...

白馬三山の写真

白馬三山 ( 長野県 白馬村 / 富山県 朝日町 / 富山県 黒部市 / 新潟県 糸魚川市 )

北アルプス北東部、主峰白馬岳(しろうまだけ)(2,932m)とその南に杓子岳(しゃくしだけ)(2,812m)、白馬鑓ケ岳(はくばやりがたけ)(2,903m)の3つのピークが並び、白馬三山と呼ばれている。白馬岳(しろうま岳)の名前の由来は、春になると雪解けで岩が露出し、黒い「代掻き馬」の雪形が現れることから「代掻き馬」→「代馬」→「しろう...

白馬連山高山植物帯の写真

白馬連山高山植物帯 ( 長野県 白馬村 / 富山県 朝日町 / 富山県 黒部市 / 新潟県 糸魚川市 )

北アルプス北東部、主峰白馬岳(しろうまだけ)(2932m)とその南に杓子岳(しゃくしだけ)(2812m)、白馬鑓ケ岳(はくばやりがたけ)(2903m)の3つのピークが並び、白馬三山と呼ばれている。白馬の名は山頂北部の三国境の南東面に黒く馬の雪形が現れ、これをめやすに苗代を作るところから、苗代馬(なわしろうま)、代馬(しろうま)といわ...

唐松岳の写真

唐松岳 ( 長野県 白馬村 / 富山県 黒部市 )

唐松岳は標高2,696mで、北アルプスの連峰の中ではあまり目立つ山ではなが、山頂はやさしいピラミッド型のピークであり、後立山のなかでは女性的な山容をしている。   唐松岳の北には不帰(かえらず)のキレット*をはさんで白馬三山と対峙している。また南には五竜岳、鹿島槍ヶ岳と稜線が続いている。  唐松岳の中腹にはパウダースノー...

鷲羽岳の写真

鷲羽岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市と富山県富山市の県境にあり、黒部川源流付近、三俣蓮華岳の北東にピラミッド型の雄姿を見せている。標高2,924m。  1697(元禄10)年に鷲ノ羽ヶ岳という記述が残っている。ただしこれは隣の三俣蓮華岳だったらしく、山の取り違えで現在の山名になったという。鷲が翼を広げた姿に似ているのでこの名がついたという説もある。

三俣蓮華岳の写真

三俣蓮華岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 / 岐阜県 高山市 )

北アルプスの中央部にあり、長野・富山・岐阜3県の境になっている。標高は2,841m。北東部は烏帽子岳方面から後立山連峰*へ、西は黒部五郎岳方面から立山連峰へ、南は槍ケ岳へと稜線がのび、縦走路の重要な分岐点である。  山の名前は、信州・美濃・越中の三国の境であり(三俣)、大きく広がった姿が蓮の花のよう(蓮華)ということからと...

野口五郎岳の写真

写真提供:大町市観光協会

野口五郎岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市と富山県富山市との県境にあり、北アルプスのほぼ中央に位置する。標高2,924mで本格的な登山を楽しむことができる山である。北方の白馬三山から続く尾根上にある。この稜線は南の三俣蓮華岳方面まで続き、そこで槍ヶ岳方面と薬師岳方面の稜線に分かれている。  高瀬ダムから烏帽子岳、野口五郎岳経由で槍ヶ岳までの登山ルート...

針ノ木岳の写真

針ノ木岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 立山町 )

後立山連峰*の南端にあり標高2,821m、重量感のある整ったピラミッド型の山容である。山頂の東にはかつて信州と越中を結んだ針ノ木道*が通る針ノ木峠があり、北面は大雪渓で東に蓮華岳がそびえている。  黒部湖を隔てて立山連峰や五色ケ原と対峙する。  登山ルートは扇沢から針ノ木雪渓を登り、針ノ木峠経由の東側ルートと、黒部湖から...