おわら風の盆
おわら風の盆*1は、9月1日~3日に八尾町(現富山市八尾地区)で行われる祭りである。ここは、浄土真宗本願寺派の寺院・聞名寺の門前町として生まれ、江戸時代の町づくりにより発展した町である。「おわら風の盆」では、福島、下新町、天満町、今町、西町、東町、鏡町、上新町、諏訪町、西新町、東新町の町内11の地区で、それぞれ個性ある「おわら」が見られる。
「おわら」というのは芸能の形の名称で*2、その核をなしているのが寛永のむかしから300年もの間*3、歌いつづけられてきた民謡「越中おわら節」である。八尾町は、養蚕製糸の盛んな土地だが、この民謡は、その古い製糸法である座繰りの糸取り歌のようなものから発達したといわれており、農民が秋の収穫を祈り、豊年の喜びをあらわす生活の歌として今日まで伝えられてきた。
越中おわら節は、胡弓と三味線の音色にあわせ、哀調のある独特の響きを帯びて唄われる。そのおわら節に日本舞踊の所作を組み込んだ男女の踊りが重なり合い、楽器と唄と踊りの三位一体を八尾という町で味わう。これが「おわら風の盆」という祭りの醍醐味である。
「おわら」というのは芸能の形の名称で*2、その核をなしているのが寛永のむかしから300年もの間*3、歌いつづけられてきた民謡「越中おわら節」である。八尾町は、養蚕製糸の盛んな土地だが、この民謡は、その古い製糸法である座繰りの糸取り歌のようなものから発達したといわれており、農民が秋の収穫を祈り、豊年の喜びをあらわす生活の歌として今日まで伝えられてきた。
越中おわら節は、胡弓と三味線の音色にあわせ、哀調のある独特の響きを帯びて唄われる。そのおわら節に日本舞踊の所作を組み込んだ男女の踊りが重なり合い、楽器と唄と踊りの三位一体を八尾という町で味わう。これが「おわら風の盆」という祭りの醍醐味である。

みどころ
民謡行事”風の盆”では、おわら節が人々の心を酔わせるように歌い踊られる。町中の老若男女が、そろいの衣装に編笠をかむり、三味、胡弓、太鼓などの鳴り物に手拍子をそえ、
〽来る春風氷がとける うれしや気ままに オワラ開く梅
と歌い踊る。素朴で、野趣豊かな中に気品高く、哀調にのせて、
〽踊り疲れて編笠しいて 草を枕の オワラ盆の月
と東の空が白むまで歌い踊られる。上記の歌詞はほんの一例で、メロディは変わらず、歌詞は次々と変わり、その数は数百はあるといわれる。メロディに合わせての踊りの所作は、男踊り、女踊りと男女異なるのが興味深い。鏡町の混合(こんこう)踊りでは、男女が接近して、お酒を注ぐ、月を仰ぎ見るという、つやっぽい所作もみられる。小さな子どもが参加する輪踊りも見られる。
越中八尾駅の駅前広場には舞台が設けられ、同地区の福島支部で「おわら」が演じられる。また、各町では「町流し」が行われる。ごく目の前で、哀調をおびた胡弓と唄、リズムをとる三味線を味わうことが出来るので、ぜひ足を運んで味わいたい。それぞれの地区には会所があり、そこが基点となるのを覚えておくとよいだろう。
〽来る春風氷がとける うれしや気ままに オワラ開く梅
と歌い踊る。素朴で、野趣豊かな中に気品高く、哀調にのせて、
〽踊り疲れて編笠しいて 草を枕の オワラ盆の月
と東の空が白むまで歌い踊られる。上記の歌詞はほんの一例で、メロディは変わらず、歌詞は次々と変わり、その数は数百はあるといわれる。メロディに合わせての踊りの所作は、男踊り、女踊りと男女異なるのが興味深い。鏡町の混合(こんこう)踊りでは、男女が接近して、お酒を注ぐ、月を仰ぎ見るという、つやっぽい所作もみられる。小さな子どもが参加する輪踊りも見られる。
越中八尾駅の駅前広場には舞台が設けられ、同地区の福島支部で「おわら」が演じられる。また、各町では「町流し」が行われる。ごく目の前で、哀調をおびた胡弓と唄、リズムをとる三味線を味わうことが出来るので、ぜひ足を運んで味わいたい。それぞれの地区には会所があり、そこが基点となるのを覚えておくとよいだろう。

補足情報
*1 風の盆の由来:二百十日前後は台風到来の季節で、昔から収穫前の稲が風の被害に遭わないよう豊作祈願として行われてきたので風の盆といわれている。また、地元では休みのことを「ぼん(盆日)」という習わしがあったと言われており、その「盆」が名前の由来となっているという説もある。
*2 おわらの由来:おわらの起こりについては、江戸時代文化年間頃に芸達者な人々が七五調の唄を新作してその中に「おわらい(大笑い)」という語をはさんで町内を練りまわったのが「おわら」と唄うようになったという説や、豊年満作を祈願した「おおわら(大藁)」という説、小原村の娘が唄い始めたからという「小原説」などがある。
*3 おわら節の由来:「越中婦負郡志」によると、1702(元禄15)年3月に加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が町の開祖米屋小兵衞家所有から取り戻した祝いに三日三晩歌舞曲無礼講の賑わいで町を練りあるいたのがおわら節の起源とされている。
*2 おわらの由来:おわらの起こりについては、江戸時代文化年間頃に芸達者な人々が七五調の唄を新作してその中に「おわらい(大笑い)」という語をはさんで町内を練りまわったのが「おわら」と唄うようになったという説や、豊年満作を祈願した「おおわら(大藁)」という説、小原村の娘が唄い始めたからという「小原説」などがある。
*3 おわら節の由来:「越中婦負郡志」によると、1702(元禄15)年3月に加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が町の開祖米屋小兵衞家所有から取り戻した祝いに三日三晩歌舞曲無礼講の賑わいで町を練りあるいたのがおわら節の起源とされている。
関連リンク | おわら風の盆行事運営委員会(WEBサイト) |
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参考文献 |
おわら風の盆行事運営委員会(WEBサイト) 一般社団法人 越中八尾観光協会(WEBサイト) 『定本風の盆おわら案内記』成瀬昌示編 西田美術館 越中おわら 江尻豊治 資料展示 |
2025年03月現在
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