立山
飛騨山脈(北アルプス)の北部に位置する。立山という独立峰はなく、狭義には雄山神社峰本社のある「立山山頂」または「雄山(おやま、標高3,003m)」と「大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)」と「富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)」の3つのピークを総称して立山と呼んでいる。古くは立山連峰全体を指していたと思われ、今でも「今日は立山がよく見える」などという場合は、連峰全体をいうことが多い。また、信仰上では「浄土山」「雄山」「別山」を立山三山と呼んでいる。さらに、室堂平や弥陀ヶ原一帯を含めた地域をさすこともある。立山三山は中生代ジュラ紀に地下数kmの深さで巨大なマグマの塊がゆっくりと冷えて形成された花崗岩が数百万年かけて隆起してできたと考えられている。
室堂平や弥陀ヶ原、五色ヶ原などは約22万年前から活動を開始した活火山である立山火山(気象庁名:弥陀ヶ原)によって形成された溶岩台地や火砕流台地である。弥陀ヶ原の南側にある立山カルデラは立山火山の山体が崩壊・侵食されてできた侵食カルデラである。立山の東斜面の御前沢や、内蔵助谷などに見られるカールは、最終氷期(約11万~1.1万年前)に発達した氷河によって形成された地形であり、雄山直下にある山崎カール*1は天然記念物に指定されている。また、一部のカール内には内蔵助氷河などの氷河が現存する*2。
立山の歴史は古く、701(大宝元)年に越中の国の城主佐伯有若(さえきありわか)の息子佐伯有頼(さえきありより)によって開山されたという説が知られているが、他にも諸説ある*3。以降、立山信仰*4の対象として修験者による登拝が盛んになり、江戸時代になると多くの人々が信仰と行楽を兼ねて登拝するようになった
立山は、富士山・白山とあわせて日本三霊山に数えられ、これらを登拝する巡礼を三禅定といった。
室堂平や弥陀ヶ原、五色ヶ原などは約22万年前から活動を開始した活火山である立山火山(気象庁名:弥陀ヶ原)によって形成された溶岩台地や火砕流台地である。弥陀ヶ原の南側にある立山カルデラは立山火山の山体が崩壊・侵食されてできた侵食カルデラである。立山の東斜面の御前沢や、内蔵助谷などに見られるカールは、最終氷期(約11万~1.1万年前)に発達した氷河によって形成された地形であり、雄山直下にある山崎カール*1は天然記念物に指定されている。また、一部のカール内には内蔵助氷河などの氷河が現存する*2。
立山の歴史は古く、701(大宝元)年に越中の国の城主佐伯有若(さえきありわか)の息子佐伯有頼(さえきありより)によって開山されたという説が知られているが、他にも諸説ある*3。以降、立山信仰*4の対象として修験者による登拝が盛んになり、江戸時代になると多くの人々が信仰と行楽を兼ねて登拝するようになった
立山は、富士山・白山とあわせて日本三霊山に数えられ、これらを登拝する巡礼を三禅定といった。

みどころ
立山の眺望は、富山平野からも北アルプスのパノラマの最深部に見ることができるが、立山の自然と景観の素晴らしさを感じるには、室堂平まで足を伸ばして欲しい。現在は立山黒部アルペンルート*5により、立山駅からケーブルカーで美女平へ、さらに標高2,450mの室堂ターミナルまでバスで行くことができる。室堂からは、登山道で一ノ越を経て標高3,003mの雄山に着く。雄山山頂には雄山神社の峰本社が建っている。立山の魅力は、3,000mを超える山でありながら比較的安全に登頂できることで、未就学児から高齢者まで、自分のペースに応じて登山を楽しんでいる。
山頂部は雄山神社の神域になっており、奥社の小さな祠が立ち、登拝者には御祓をし、御神酒を授けてくれる。雄山から、富山県の最高所大汝山3,015m、富士ノ折立2,999m、さらに真砂岳2,861m、別山2,880mへと縦走もできる。山頂からの展望は360度、北アルプスの峰々がすばらしい眺めを見せる。
また、室堂を拠点にして室堂平の散策、2,316mの大観峰からの黒部湖や後立山連峰の絶景、大観峰と黒部平を結ぶロープウェイ、そして黒部湖・黒部ダムなども楽しめる。
立山の四季は、豊かな彩を見せてくれるが、一般観光客が探勝できるのは4月下旬から11月である。このうち4~5月は春スキーのシーズン。高山植物の群落は、弥陀ヶ原から天狗平・室堂平などに多く、お花畑がもっとも美しく見られる時期は7月中~8月中旬。登山のシーズンもこの時期である。紅葉は、立山の山頂付近が9月に入ると色づき始め、弥陀ヶ原や室堂平付近で9月下旬から、見ごろは10月上旬、紅葉はひと際見事である。
立山を代表する動物にライチョウがあげられる。わが国では中部山岳地帯に生息しており、雷鳥沢や浄土山では間近に見ることができる。特別天然記念物で、富山県鳥でもある。ほかに、特別天然記念物で富山県獣であるカモシカや、室堂平周辺で観察頻度が高いオコジョなども生息している。
雄山山頂を目指さなくとも、室堂では十分に時間をとって、雄大な自然を楽しんで欲しい。
また、立山信仰に関する解説・展示は、立山町芦峅寺にある富山県[立山博物館]で見ることができる。
山頂部は雄山神社の神域になっており、奥社の小さな祠が立ち、登拝者には御祓をし、御神酒を授けてくれる。雄山から、富山県の最高所大汝山3,015m、富士ノ折立2,999m、さらに真砂岳2,861m、別山2,880mへと縦走もできる。山頂からの展望は360度、北アルプスの峰々がすばらしい眺めを見せる。
また、室堂を拠点にして室堂平の散策、2,316mの大観峰からの黒部湖や後立山連峰の絶景、大観峰と黒部平を結ぶロープウェイ、そして黒部湖・黒部ダムなども楽しめる。
立山の四季は、豊かな彩を見せてくれるが、一般観光客が探勝できるのは4月下旬から11月である。このうち4~5月は春スキーのシーズン。高山植物の群落は、弥陀ヶ原から天狗平・室堂平などに多く、お花畑がもっとも美しく見られる時期は7月中~8月中旬。登山のシーズンもこの時期である。紅葉は、立山の山頂付近が9月に入ると色づき始め、弥陀ヶ原や室堂平付近で9月下旬から、見ごろは10月上旬、紅葉はひと際見事である。
立山を代表する動物にライチョウがあげられる。わが国では中部山岳地帯に生息しており、雷鳥沢や浄土山では間近に見ることができる。特別天然記念物で、富山県鳥でもある。ほかに、特別天然記念物で富山県獣であるカモシカや、室堂平周辺で観察頻度が高いオコジョなども生息している。
雄山山頂を目指さなくとも、室堂では十分に時間をとって、雄大な自然を楽しんで欲しい。
また、立山信仰に関する解説・展示は、立山町芦峅寺にある富山県[立山博物館]で見ることができる。

補足情報
*1 山崎カール:1905(明治38)年、地理学者の山崎直方(やまさき なおまさ)が発見した立山連峰の雄山山頂の直下から西斜面の標高約2,500mの地点にかけて分布している氷河地形。発見者の名前からその名がつけられた。カール(圏谷)とはドイツ語で氷河の侵食作用によって山腹にできるお椀を半分にしたようなくぼみのことを指す。圏谷の下方には、氷河が削った土砂がたまった「堆石(モレーン)」が3段みられる。山崎カールの発見は、日本での氷河地形研究のきっかけとなった。
*2 氷河:氷河であるには、厚い氷体であることと、氷体が流動していることが条件となる。富山県立山カルデラ砂防博物館の研究チームは、2009年より、立山東面の御前沢雪渓、剱岳東面の三ノ窓雪渓、小窓雪渓において氷の厚さと流動の観測を実施。この調査結果をとりまとめた学術論文2014年に日本氷雪学会に受理され、この立山・剱岳の3つの多年性雪渓は日本に現存する氷河として初めて学術的に認められた。さらに2018年には、立山の内蔵助雪渓、剱岳の池ノ谷雪渓、鹿島槍ヶ岳のカクネ里雪渓が、2019年には唐松岳の唐松沢雪渓もあらたに氷河として認められた。国内に現存する合計7つの雪渓のうち、5つが立山・剱岳に存在している。
*3 立山開山:立山信仰の原点でもある「立山開山」については、701(大宝元)年に越中の国の国司佐伯有若(さえきありわか)の息子佐伯有頼(さえきありより)によって開山されたという説が知られている。他にも、主に十巻本『伊呂波宇類抄』の立山開山伝承に登場する開山者「佐伯有若(さえきありわか)」が随心院文書によって実在が確認されたことと、『師資相承』に記された康斉律師の「立山建立」の語の解釈などを併せて、立山開山の時期を10世紀初頭とする説が有力だが、諸説ある。(出所:米原寛「検証「立山開山」について」、富山県[立山博物館]研究紀要、第17号、2010年3月)。なお、佐伯有頼は伝承では676-759年とされるが、諸伝承などの年号と照らし合わせると齟齬がある。父親の佐伯有若も長年伝説上の人物とされてきたが上述の通り実在が実証されている。
*4 立山信仰:立山信仰は、自然と人間の共生の中で、自然のこころを人間の生きざまの中にとりこんできたものであり、山容、地獄谷などの特異な景観によって形づくられた特殊な山岳信仰として知られている。平安時代の中ごろから立山信仰は、地獄信仰と結びつき、日本中の霊がここに集まるものと考えられようになった。さらに鎌倉時代には、阿弥陀如来の山中浄土がこの山に展開しているという山中に地獄と浄土が併存する他界信仰が形づくられていった。来世の世界である地獄の世界が立山山中という現実の中に顕れることが、日本人の地獄思想の形成に大きな役割を果たしたといわれる。室町時代には、世阿弥の作と伝えられる謡曲「善知鳥(うとう)」が上演され、現在にも受け継がれている。江戸時代になると、地獄思想は立山曼荼羅に描かれた地獄の絵解きによって広く庶民の中に浸透していった。
*5 立山黒部アルペンルート:標高3,000m級の峰々が連なる北アルプスを貫く山岳観光ルート。総延長37.2km、最大高低差は1,975m。中部山岳国立公園内にそのほぼ全区間がある。富山県側の富山県立山町立山駅-(立山ケーブルカー)-美女平-(立山高原バス)-弥陀ヶ原-(立山高原バス)-室堂-(立山トンネル電気バス)-大観峰-(立山ロープウェイ)-黒部平-(黒部ケーブルカー)-黒部ダム-(関電トンネル電気バス)-長野県大町市扇沢の間を数種類の乗り物を乗り継いで、移り変わる山岳景観を容易に楽しむことができる。
*2 氷河:氷河であるには、厚い氷体であることと、氷体が流動していることが条件となる。富山県立山カルデラ砂防博物館の研究チームは、2009年より、立山東面の御前沢雪渓、剱岳東面の三ノ窓雪渓、小窓雪渓において氷の厚さと流動の観測を実施。この調査結果をとりまとめた学術論文2014年に日本氷雪学会に受理され、この立山・剱岳の3つの多年性雪渓は日本に現存する氷河として初めて学術的に認められた。さらに2018年には、立山の内蔵助雪渓、剱岳の池ノ谷雪渓、鹿島槍ヶ岳のカクネ里雪渓が、2019年には唐松岳の唐松沢雪渓もあらたに氷河として認められた。国内に現存する合計7つの雪渓のうち、5つが立山・剱岳に存在している。
*3 立山開山:立山信仰の原点でもある「立山開山」については、701(大宝元)年に越中の国の国司佐伯有若(さえきありわか)の息子佐伯有頼(さえきありより)によって開山されたという説が知られている。他にも、主に十巻本『伊呂波宇類抄』の立山開山伝承に登場する開山者「佐伯有若(さえきありわか)」が随心院文書によって実在が確認されたことと、『師資相承』に記された康斉律師の「立山建立」の語の解釈などを併せて、立山開山の時期を10世紀初頭とする説が有力だが、諸説ある。(出所:米原寛「検証「立山開山」について」、富山県[立山博物館]研究紀要、第17号、2010年3月)。なお、佐伯有頼は伝承では676-759年とされるが、諸伝承などの年号と照らし合わせると齟齬がある。父親の佐伯有若も長年伝説上の人物とされてきたが上述の通り実在が実証されている。
*4 立山信仰:立山信仰は、自然と人間の共生の中で、自然のこころを人間の生きざまの中にとりこんできたものであり、山容、地獄谷などの特異な景観によって形づくられた特殊な山岳信仰として知られている。平安時代の中ごろから立山信仰は、地獄信仰と結びつき、日本中の霊がここに集まるものと考えられようになった。さらに鎌倉時代には、阿弥陀如来の山中浄土がこの山に展開しているという山中に地獄と浄土が併存する他界信仰が形づくられていった。来世の世界である地獄の世界が立山山中という現実の中に顕れることが、日本人の地獄思想の形成に大きな役割を果たしたといわれる。室町時代には、世阿弥の作と伝えられる謡曲「善知鳥(うとう)」が上演され、現在にも受け継がれている。江戸時代になると、地獄思想は立山曼荼羅に描かれた地獄の絵解きによって広く庶民の中に浸透していった。
*5 立山黒部アルペンルート:標高3,000m級の峰々が連なる北アルプスを貫く山岳観光ルート。総延長37.2km、最大高低差は1,975m。中部山岳国立公園内にそのほぼ全区間がある。富山県側の富山県立山町立山駅-(立山ケーブルカー)-美女平-(立山高原バス)-弥陀ヶ原-(立山高原バス)-室堂-(立山トンネル電気バス)-大観峰-(立山ロープウェイ)-黒部平-(黒部ケーブルカー)-黒部ダム-(関電トンネル電気バス)-長野県大町市扇沢の間を数種類の乗り物を乗り継いで、移り変わる山岳景観を容易に楽しむことができる。
関連リンク | 富山県立山カルデラ砂防博物館(WEBサイト) |
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関連図書 | 『富山県の山』佐伯郁夫・克美・岩雄・郁子 山と渓谷社/『富山県山名録』橋本廣・佐伯邦夫編 桂書房 |
参考文献 |
富山県立山カルデラ砂防博物館(WEBサイト) (一社)立山町観光協会(WEBサイト) 富山県[立山博物館](WEBサイト) 立山黒部アルペンルート(WEBサイト) 『日本百名山』深田久弥 新潮社 |
2025年03月現在
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