城端曳山祭(城端神明宮祭の曳山行事)
城端曳山祭は城端神明宮の春の例祭として、5月4日に宵祭、5月5日に本祭が執り行われる。その起源は、1717(享保2)年に神輿がつくられ獅子舞や傘鉾の行列が始まり、1719年には曳山が創始され1724年には神輿の渡御にお供したと伝わる。城端曳山祭の舞台である城端は、砺波平野の南端に位置しており、浄土真宗大谷派の城端別院善徳寺の寺内町として町建てされ、養蚕業の盛んな絹織物の町として、城端別院善徳寺の門前町として発展してきた。しかし享保期になると経済が不況になり、それを打開するために神をまつり、招福除災を祈るようになったという。
祭りの主役の曳山は、二層四輪の形式で、町ごとに意匠を凝らした彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りの絢爛豪華なものである。曳山は6つの町ごとに「諫鼓山」「竹田山」「東耀山」「唐子山」「千枚分銅山」「鶴舞山」があり、それぞれに特色がある。
また、曳山の他に「庵屋台」といわれる底のない屋台形式の山車があり、この屋台の中に囃子方と呼ばれる若連中が入り、三味線、篠笛、太鼓で哀愁ある調べを奏でながら歩いて巡行する。これも、上部の飾りは江戸の料亭などの建築を参考にしたとされる精巧なつくりである。この巡行の際に「庵唄所望」と書かれた紙の貼られた家の前に来ると、庵屋台と曳山を止め、庵屋台の中の囃子方が庵唄を披露する。
祭りの主役の曳山は、二層四輪の形式で、町ごとに意匠を凝らした彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りの絢爛豪華なものである。曳山は6つの町ごとに「諫鼓山」「竹田山」「東耀山」「唐子山」「千枚分銅山」「鶴舞山」があり、それぞれに特色がある。
また、曳山の他に「庵屋台」といわれる底のない屋台形式の山車があり、この屋台の中に囃子方と呼ばれる若連中が入り、三味線、篠笛、太鼓で哀愁ある調べを奏でながら歩いて巡行する。これも、上部の飾りは江戸の料亭などの建築を参考にしたとされる精巧なつくりである。この巡行の際に「庵唄所望」と書かれた紙の貼られた家の前に来ると、庵屋台と曳山を止め、庵屋台の中の囃子方が庵唄を披露する。

みどころ
5月4日の宵祭では、曳山の神像が神社を出御し、御旅所にて庵唄の奉納を受けたあと、各町の山宿に迎えられる。山宿となった家は、そのために家をしつらえて神像を迎え、飾り付けるなどして一晩公開する。5日の本祭では、獅子舞を先頭に、剱鉾、傘鉾、四神旗、神輿に続いて、六つの町の庵屋台と曳山が町中を巡行する。例祭以外の時期は、「城端曳山会館」に曳山や庵屋台などが展示されており、解説とともに見ることができる。

補足情報
*春を呼ぶ曳山祭:石川県にキリコ祭が多いのに対し、富山県では豪華絢爛たる曳山祭が盛んである。北陸に伝わる曳山祭は、石川県小松市の曳山子供歌舞伎や巨大なデカ山が曳き回される七尾市の青柏祭、富山県高岡市の御車山祭、福井県三国町の三国祭などが有名だが、富山県内だけでも十七カ所で曳山祭が行われている。曳山祭の多くは、厳しい冬ごもりから解放された春の祭りである。春になると山の神が降臨して田の神となり、豊穣と平安を約束する。その神の依代に山車をつけて氏子の間を曳き回すのが曳山である。曳山は春の象徴であった。それだけに曳山は町の経済力を誇示するかのように贅を尽くしたものが造られた。城端の曳山は、町の豪商たちの好みを反映して、優雅な風情がある。
関連リンク | (一社)南砺市観光協会 (WEBサイト) |
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参考文献 |
(一社)南砺市観光協会 (WEBサイト) 城端曳山祭パンフレット 城端曳山会館パンフレット 城端曳山会館 館内掲示 |
2025年03月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。