大岩山日石寺
大岩山日石寺は富山地方鉄道上市駅から車で15分ほど南方(山側)に向かったところに位置する真言密宗大本山。寺院の縁起では、725(神亀2)年、遊行でこの地を訪れた行基*1が、凝灰岩の一枚岩に磨崖仏*2を彫ったことを開基とするといわれている。もとは高野山真言宗であった。室町時代には、21の末社・七堂伽藍・60の寺が建ち並び、千を超える僧兵を有したという大寺院だったが、戦国時代、上杉勢の兵火によって荒廃。加賀藩3代藩主前田利常により前田家の祈願所とされて以降再興。加賀百万石の繫栄を支え続けた。
高さ約6m、幅約10mの巨大な凝灰岩の一枚岩に彫られた磨崖仏は5躯からなり、不動明王*3を中心に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制吒迦童子(せいたかどうじ)の両脇侍、その間に後から追刻された阿弥陀如来と行基菩薩とされる僧形坐像が見られる。阿弥陀如来の追刻については諸説あるが、剱岳の本地仏が不動明王、立山の本地仏が阿弥陀如来であることから、剱立山を表したともいわれる。大日如来の教令輪身であり、剱岳の本地仏である不動明王がこの地に彫られたことは、剱岳・大日岳への登拝と遥拝の要地であり、立山修験との関係も深いこの地に、剱岳信仰と不動信仰を重ねて表したものといわれている。
境内奥に控える京ヶ峰経塚からは、1954(昭和29)年に1167(仁安2)年の銘の銅製経筒と珠洲焼の経筒外容器、和鏡(菊花双鳥鏡)も見つかっている。高橋千劔破の「名山の文化史」にも剱岳の章で、「もともとは山そのものが不動明王として遥拝されていた」という記述の後で、この日石寺の磨崖仏が記されている。この磨崖仏は、1930(昭和5)年に大岩日石寺石仏として国の史跡に、1974(昭和49)年に大岩日石寺磨崖仏として国の重要文化財に指定されている。
1961(昭和36)年、加賀藩御大工山上善右衛門による不動堂が国の重要文化財に指定されたが、1967(昭和42)年解体復元工事中に焼失した。
高さ約6m、幅約10mの巨大な凝灰岩の一枚岩に彫られた磨崖仏は5躯からなり、不動明王*3を中心に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制吒迦童子(せいたかどうじ)の両脇侍、その間に後から追刻された阿弥陀如来と行基菩薩とされる僧形坐像が見られる。阿弥陀如来の追刻については諸説あるが、剱岳の本地仏が不動明王、立山の本地仏が阿弥陀如来であることから、剱立山を表したともいわれる。大日如来の教令輪身であり、剱岳の本地仏である不動明王がこの地に彫られたことは、剱岳・大日岳への登拝と遥拝の要地であり、立山修験との関係も深いこの地に、剱岳信仰と不動信仰を重ねて表したものといわれている。
境内奥に控える京ヶ峰経塚からは、1954(昭和29)年に1167(仁安2)年の銘の銅製経筒と珠洲焼の経筒外容器、和鏡(菊花双鳥鏡)も見つかっている。高橋千劔破の「名山の文化史」にも剱岳の章で、「もともとは山そのものが不動明王として遥拝されていた」という記述の後で、この日石寺の磨崖仏が記されている。この磨崖仏は、1930(昭和5)年に大岩日石寺石仏として国の史跡に、1974(昭和49)年に大岩日石寺磨崖仏として国の重要文化財に指定されている。
1961(昭和36)年、加賀藩御大工山上善右衛門による不動堂が国の重要文化財に指定されたが、1967(昭和42)年解体復元工事中に焼失した。

みどころ
磨崖仏の中心をなす不動明王は高さ約3.5mの半肉彫りでせり出すように彫られている。両眼を見開き、上歯をむき出しにした表情から、古い様式の名残をとどめている。左掌には宝珠とされる卵状のものが彫られ、顔の表情と合わせ日石寺の不動明王磨崖仏の特徴となっている。この磨崖仏には、全国に模刻が存在している。富山県にも「鷹尾山蓮王寺」「鉢伏の不動明王石像」などいくつも存在し、顔の表情など共通する特徴が見られたり、日石寺との関係を示す伝承が残っていたりする。
日石寺境内の愛染堂にも加賀藩江戸屋敷にあった模刻が祀られている。境内には他にも三重塔(弘化年間建立、町指定文化財)、山門(元禄年間建立、町指定文化財)、徳川秀忠ゆかりの不動明王立像と厨子、延命地蔵(寛永年間寄進)などがある。「とやまの名水」にも選定されている「大岩日石寺の藤水」は磨崖仏が彫られた岩を巡って滴る湧き水で、古くから眼病にご利益があると信じられ、様々な言い伝えを残している。その伝承にちなみ、メグスリノキのお茶を祈祷日に振舞うなどしている。境内にある六本滝は、明治元年に造られた高さ約5.5mの滝で、水が流れ出る6つの竜頭は、人間国宝/須賀松園の作である。六欲煩悩を清めるこの滝では、大寒(1月20日頃)には寒修行があり、県外からも修行者が訪れる。
また、6月第2日曜日の滝開きでは、柴燈護摩・火生三昧火渡り修法が行われ、地元をはじめ各地からの人でにぎわう。滝打行ができる寺院として知られており、年齢男女国籍を問わず年間3,000人近くが滝行を体験している。最近は外国人旅行者もよく見かける。境内の傍を流れる大岩川の渓流は千巌渓とよばれ、風趣溢れる数多くの岩石や大小の滝が見られるとともに、高地から低地まで、温暖地から寒冷地まで多様な環境に生息する多くの種類の苔が生息している。
日石寺の門前には旅館や食事処があり、名物のそうめんや山菜料理を食べることができる。中でもそうめんは大変有名で、絹を並べたように美しく盛られたぶっかけ式のそうめんが特徴で、地元観光協会では、滝行と門前旅館の食事をセットにしたプランも扱っている。
日石寺境内の愛染堂にも加賀藩江戸屋敷にあった模刻が祀られている。境内には他にも三重塔(弘化年間建立、町指定文化財)、山門(元禄年間建立、町指定文化財)、徳川秀忠ゆかりの不動明王立像と厨子、延命地蔵(寛永年間寄進)などがある。「とやまの名水」にも選定されている「大岩日石寺の藤水」は磨崖仏が彫られた岩を巡って滴る湧き水で、古くから眼病にご利益があると信じられ、様々な言い伝えを残している。その伝承にちなみ、メグスリノキのお茶を祈祷日に振舞うなどしている。境内にある六本滝は、明治元年に造られた高さ約5.5mの滝で、水が流れ出る6つの竜頭は、人間国宝/須賀松園の作である。六欲煩悩を清めるこの滝では、大寒(1月20日頃)には寒修行があり、県外からも修行者が訪れる。
また、6月第2日曜日の滝開きでは、柴燈護摩・火生三昧火渡り修法が行われ、地元をはじめ各地からの人でにぎわう。滝打行ができる寺院として知られており、年齢男女国籍を問わず年間3,000人近くが滝行を体験している。最近は外国人旅行者もよく見かける。境内の傍を流れる大岩川の渓流は千巌渓とよばれ、風趣溢れる数多くの岩石や大小の滝が見られるとともに、高地から低地まで、温暖地から寒冷地まで多様な環境に生息する多くの種類の苔が生息している。
日石寺の門前には旅館や食事処があり、名物のそうめんや山菜料理を食べることができる。中でもそうめんは大変有名で、絹を並べたように美しく盛られたぶっかけ式のそうめんが特徴で、地元観光協会では、滝行と門前旅館の食事をセットにしたプランも扱っている。

補足情報
*1 行基(668〜749年):百済系渡来人の子孫の家に生まれる。15歳の時に出家して薬師寺にはいり仏教を学ぶ。当時の仏教は政治のための学問であり一般民衆の信仰とはかけ離れていたことから広く民衆を救うために諸国を歩いて人々に仏教を広めた。また、灌漑施設を作ったり川に橋をかけるなどの社会事業も行い、民衆から称えられ行基菩薩と呼ばれるようになった。こうしたことが朝廷から民衆をまどわすとして弾圧されたが、その後、聖武天皇の願いに応えて国分寺建立と大仏造立に尽力した。745年、日本で初めて僧の最高位である大僧正の位を贈られた。
*2 磨崖仏:石仏の一種で、自然の岩壁や露岩、あるいは転石に造立された仏像のこと。日石寺の不動明王は行基によるといわれているが、実際の造営時期は11世紀から12世紀にかけてとみられている。
*3 不動明王:仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われ、その命を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させる。右手に利剣、左手に羂索を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿であり、怒りの形相を表している。不動尊ともよばれる。
*2 磨崖仏:石仏の一種で、自然の岩壁や露岩、あるいは転石に造立された仏像のこと。日石寺の不動明王は行基によるといわれているが、実際の造営時期は11世紀から12世紀にかけてとみられている。
*3 不動明王:仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われ、その命を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させる。右手に利剣、左手に羂索を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿であり、怒りの形相を表している。不動尊ともよばれる。
関連リンク | 上市町(WEBサイト) |
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参考文献 |
上市町(WEBサイト)) 上市町観光協会(WEBサイト) 『名山の文化史』高橋千劔破 河出書房新社 『富山の石造美術』京田良志 富山文庫/巧玄出版 『不動明王』下泉全暁 春秋社 |
2025年03月現在
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