剱岳つるぎだけ

飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰にある標高2,999mの山で、富山県の上市町と立山町にまたがる。山名の文字は2003(平成15)年に現在の「剱岳」に登録された。山頂から東側に、長次郎谷、三ノ窓、小窓、大窓とU字谷が並ぶ。山頂のわずかに西より、背骨のような早月尾根が登山拠点となる上市町馬場島との2,200m以上の高低差を急角度で結んでいる。剱岳では、氷河が3カ所確認されており、小窓氷河、三ノ窓氷河は日本で最初に確認された氷河である。また、山の西斜面にある池ノ谷氷河は、日本で唯一平野部から見ることができる氷河である。
 剱岳への登山は最難関級であり、弘法大師が草鞋千足を費やしても登れなかったという伝説もある。記録に残る初登頂は、1907(明治40)年の測量隊によるものだが、その際に錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖頭が発見されており、すでに奈良時代後半から平安時代初期にかけて修験者が登頂していたと考えられている。
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みどころ

北アルプス立山連峰を象徴する山の一つ。富山県では大汝山3,015m、雄山3,003mに次ぐ2,999mの標高だが、その優れた山容から、パノラマ写真では剱岳が中心に配置されることが多い。氷河によって彫り出され、その後の浸食活動によって形づくられた山容は、立山連峰の主峰と言ってもよい姿である。
 麓の上市町からは、毛勝三山を北稜に、大日岳・奥大日岳が南陵に、剱岳を中心に手を繋いだように並んで見える。富山平野からは早月尾根を中心に据えた堂々とした姿を見ることができる。また、高岡市の雨晴海岸や氷見海岸からは海越しの姿を拝むことができ、写真撮影のポイントになっている。
見るには素晴らしい山だが、一般登山者が登る山のなかでは、最も危険度の高い山といわれている。登山ルートは、立山室堂ターミナルを基点とする別山尾根ルートがポピュラーだが、頂上直下には「カニのタテバイ」「カニのヨコバイ」といった難所が続く。
 剱岳を目指す誰もが憧れるのは、標高750mの上市町馬場島を基点とする早月尾根ルートだろう。「試練と憧れ」の碑を過ぎると早月尾根の登山口が突如壁のように現れる。そこから高低差2,200mを超える長い急登が始まる。高い技術に加え、十二分な体力が要求されるルートである。
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補足情報

※深田久弥の「日本百名山」には「北アルプスの北の俊英」と記され、さらに「層々たる岩に鎧われて、その豪宕、峻烈、高邁の風格」が穂高岳と相通じると表されている。高橋千劔破の「名山の文化史」にも、橘南谿の「山の姿峨々として嶮岨画のごとくなるは、越中立山の劔峰に勝れるものなし」を引用しながら、「劔岳ほど堂々と高く聳え、かつ重畳たる岩峰の山塊は他にない」と記している。深田は、万葉集の大伴家持の歌に登場する立山(たちやま)は、今の立山ではなく、剱岳であろうとし、「『厳(こご)しいかも岩の神(かむ)さび…』という描写は、剱岳以外には考えられない」と述べている。富山県山名録には「連峰の全体的な呼称だった『たちやま』が、登頂、開山の過程で一方は『立山』に、また一方は『太刀山=剱』と分化独立していった。その後立山は広く一般に登拝され親しまれていったのに対し、剱岳は登攀の困難さ、山容のおかし難い威厳などから一般人による登拝の習慣は育たず、立山や大日岳を遥拝所として仰ぎあがめる山として歴史をきざむことになったと思われる。」という説が紹介されている。事実、1907(明治40)年剱岳山頂で、奈良時代後半から平安時代初期のものとされる錫杖頭と鉄剣が発見されている。麓の上市町には、かつて遥拝と登拝の拠点であったことが窺え、山岳信仰や修験との関係が深い大岩山日石寺(真言密宗)や上市黒川遺跡群(国指定史跡)といった寺院や宗教遺跡群、立山権現が開祖に帰依する開山伝説を有する寺院・眼目山立山寺(曹洞宗)、佐伯有若が創建したという言い伝えのある延喜式内社の神渡神社などが点在する。
※新田次郎による『劔岳 点の記』は明治時代末期に陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)が行った山岳測量プロジェクトを小説にしたものであり、当時未登峰といわれていた剱岳の登頂を目指す日本山岳会との争い、山岳信仰、厳しい自然環境など、剱岳をめぐる人々の歴史を表した名著である。
関連リンク 上市町観光協会(WEBサイト)
関連図書 『劔岳点の記』新田次郎 『剱岳-線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む』髙橋大輔
参考文献 上市町観光協会(WEBサイト)
『日本百名山』深田久弥 新潮社
『富山県山名録』橋本廣・佐伯邦夫編 桂書房
『名山の文化史』高橋千劔破 河出書房新社
『富山県の山』佐伯郁夫・克美・岩雄・郁子 山と渓谷社

2025年03月現在

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