富山湾の埋没林
埋没林とは、「何らかの原因で林が地中に埋まり、現在まで保存されたもので、河川の堆積物に覆われたものや、地上で水成及び風成堆積物、火山の噴出物などに埋もれたもの」をいう。
魚津の埋没林は、河川の堆積物に覆われたのちに海水面下に没したもので、1930(昭和5)年、魚津港修築の際多くの古代の樹根が発掘された。この埋没林は約2000年前、スギ・ブナ・ケヤキなどの林だったところが、土砂におおわれ地下水の多い大地で保存されたもので、過去の林の様子を残す貴重な資料である。
魚津駅から海に向かって20分ほど歩いた海沿いにあり、発掘場所に建てられた魚津埋没林博物館では、出土した樹根をその場で水を満たして保存・展示している。魚津埋没林は1955(昭和30)年に国の特別天然記念物に指定された。
魚津の埋没林は、河川の堆積物に覆われたのちに海水面下に没したもので、1930(昭和5)年、魚津港修築の際多くの古代の樹根が発掘された。この埋没林は約2000年前、スギ・ブナ・ケヤキなどの林だったところが、土砂におおわれ地下水の多い大地で保存されたもので、過去の林の様子を残す貴重な資料である。
魚津駅から海に向かって20分ほど歩いた海沿いにあり、発掘場所に建てられた魚津埋没林博物館では、出土した樹根をその場で水を満たして保存・展示している。魚津埋没林は1955(昭和30)年に国の特別天然記念物に指定された。

みどころ
魚津埋没林博物館では「水中展示館」「乾燥展示館」「ドーム館」で埋没林の展示を見ることができる。水中展示館は、1952(昭和27)年に発掘された場所をそのままプール(8m×16m、深さ2.5m)として利用しており、展示している樹根も発見当時の場所のままである。樹根の最大の物は、端から端まで約10m、幹の部分の直径約2m、樹齢500年以上と推定される。プール内の水はポンプでくみ上げた地下水で、天然の地下水も湧いている。
乾燥展示館は、1930(昭和5)年の掘削工事で発見された約230の樹根の内、わずかに現存するものの一部を展示している。この展示の樹根は、触ったり匂いを嗅いだりすることができる。半地下型のドーム館は、1989(平成元)年に特別天然記念物指定地内で行なわれた発掘調査の場所で、発掘現場をドームで覆った展示スペースとなっている。ドームの壁面には現在の海面のレベルが青いラインで表示してあり、2000年前との比較を体感できる。
乾燥展示館は、1930(昭和5)年の掘削工事で発見された約230の樹根の内、わずかに現存するものの一部を展示している。この展示の樹根は、触ったり匂いを嗅いだりすることができる。半地下型のドーム館は、1989(平成元)年に特別天然記念物指定地内で行なわれた発掘調査の場所で、発掘現場をドームで覆った展示スペースとなっている。ドームの壁面には現在の海面のレベルが青いラインで表示してあり、2000年前との比較を体感できる。

補足情報
*昭和前期まで、魚津の海岸線は広い砂浜で、信濃の浜と呼ばれていた。1929(昭和4)年、この浜の北側に魚津港が造られることとなり、海岸を掘削する工事が始まった1930(昭和5)年、地表より60~110cm掘り下げたあたりから大量の立木の根株や倒木が発見された。根株はそれ以前から波打ち際に顔を出していたため、その存在自体は知られていた。そうした樹根の調査を考えていた旧制魚津中学校(現魚津高等学校)の山家教諭は、掘削工事に立ち会い、樹根出土の確認と調査を行った。この時の調査研究が、全国の研究者より注目され、東京大学の辻村太郎博士らが調査。その結果、魚津埋没林の重要性を認め、1933(昭和8)年、天然記念物に仮指定された。翌1934(昭和9)年には東京大学の脇水鉄五郎博士が文部省天然記念物調査員として現地調査を行い、1936(昭和11)年、天然記念物に指定。1955(昭和30)年、特別天然記念物の指定を受けた。指定は、天然記念物の中の地質鉱物(化石)に分類され、埋もれている樹根そのものに加え、それを含む土地6,150m2が対象となっている。その指定地は魚津埋没林博物館の敷地に含まれており、館内に展示されているもの以外に、博物館敷地の地下にまだ埋没林が存在している。
関連リンク | 特別天然記念物 魚津埋没林博物館(WEBサイト) |
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参考文献 |
特別天然記念物 魚津埋没林博物館(WEBサイト) 魚津市観光協会(WEBサイト) 魚津埋没林博物館の展示案内版「埋没林のはなし」 『魚津市史自然編』魚津市 『埋没林のはなし』麻柄一志 魚津埋没林博物館 |
2025年03月現在
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