瑞龍寺ずいりゅうじ

瑞龍寺は、あいの風とやま鉄道高岡駅の南、徒歩約10分。曹洞宗の寺院で、加賀2代藩主前田利長の跡を継いだ弟で3代藩主の利常が兄の菩提を弔うために建立したものである。隠居した利長は、当初富山城を隠居所としたが、火災により高岡に移り、この地で亡くなった。その後、利常は加賀藩御大工山上善右衛門嘉広に命じて七堂伽藍の大寺院を建立した。
 正保年間(1644~1648年)から利長の五十回忌の1663(寛文3)年までの約20年の歳月をかけて造営された寺域は、3万6,000坪(約12万m2)の広さの周囲に壕をめぐらしたもので、城郭の趣があった。
 1764(延享3)年に山門と回廊の前半部分と、その脇にあった禅堂などが焼失したが、江戸時代後期にほぼ旧状の配置で再建された。
 禅宗では伽藍の配置を人体に見立てるが、瑞龍寺の伽藍配置は大規模な曹洞宗寺院の中でも、整備された伽藍配置をもっともよく残すものの一つである。総門脇に掲げられている「瑞龍寺伽藍配置『禅宗七堂伽藍人体表相図』」によって人体との関連が示されている。また、山門には黄檗宗の開祖隠元が揮毫した山号が掲げられており、曹洞宗の寺院ながら、禅堂などに黄檗宗の影響がみられる。
 江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価され、1997(平成9)年に、山門*1、仏殿*2、法堂*3が国宝に指定。また、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定されている。
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みどころ

総門をはいると、正面に山門があり、その奥に仏殿が覗く。広大な敷地に、山門と仏殿、法堂が一直線に並び、左右に回廊がめぐらされている光景は圧巻の迫力である。左右対称のシンメトリーに創られた建築様式と、白砂利が波打つ模様に描かれた景観はとても美しい。さらに、山門をくぐると緑鮮やかな芝生が敷かれ、建造物の荘厳さや美しさをあぶり出しているようでもある。ボランティアガイドによる案内があり、沿革だけでなく各建造物の建築様式の詳しい説明も聞くことができる。
 瑞龍寺の総門前から東側に伸びる八丁道を行くと、武将のものとしては国内最大とされる前田利長公墓所に至る。
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補足情報

*1 山門:1645(正保2)年に建立され万治年間に場所を変えて立て直された。1746(延亭3)年に火災で焼失し、現在の建物は1820(文政3)年に竣工したものである。当時としてはめずらしい和算により設計されている。左右に金剛力士像を安置し、楼上には釈迦如来、十六羅漢をまつる。 
*2 仏殿:1659(万治2)年に建立。山上善右衛門嘉広の最も心血を注いだ力作の一つで総欅造りである。屋根は鉛板で葺かれており、これは他には金沢城石川門に例があるだけである。上層軒組は、禅宗建築の純粋な形式であり、屋根裏の扇垂木やエビ虹梁など複雑にして妙をえた架構法である。ご本尊として中国明代の釈迦・文殊・普賢の三尊をまつる。
*3 法堂:明暦年間(1665-1657年)の竣工。建坪は186坪。境内一の大建築で、総桧造りとなっている。構造は方丈建築に書院建築を加味したもので、六室よりなる。中央奥の内陣には加賀2代藩主前田利長の位牌が安置されている。中央の二室の格天井には狩野安信の四季の百科草が描かれており、正面内陣の欄間には高岡の地名の由来となった鳳凰が刻まれている。
関連リンク 高岡山瑞龍寺(WEBサイト)
参考文献 高岡山瑞龍寺(WEBサイト)
高岡山瑞龍寺パンフレット
『禅宗様伽藍配置と身体メタファー:身体投射の動機付け』苫小牧高専紀要No.48
『中世曹洞宗切紙の分類試論』駒澤大学佛教学部研究紀要第四十四号

2025年03月現在

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