奇観の棚田として知られている蘭島(あらぎ島)は、紀伊半島の北西部に位置する和歌山県有田川町の東部にある。高野山系に水源をもつ有田川の蛇行と浸食によって形成された扇形の河岸段丘上、約23,000m2の土地に、54枚の水田が広がっている。水田では主にキヌムスメ、ヒトメボレといった品種が栽培されている。また、耕地が限られ...
JR阪和線和泉砂川駅から北へ約5km、葛城連峰の南麓に広大な境内を有するのが根來寺である。新義真言宗の総本山で、大伝法院と称した。二方に山を負い、約119万m2の寺域の中に大伝法堂はじめ大塔(多宝塔)・大師堂・本坊・光明殿・行者堂・聖天堂などが立つ。本坊わき道からひときわ奥まったところには、深い緑におおわれて開祖覚...
関西国際空港から南へ約50km、和歌山市中心部から国道42号沿いに約10km南下した、黒江湾に臨むところにある。大阪の実業家である新田長次郎*1の別荘として大正初期から昭和初期にかけて造園されたもので、海沿いの自然の地形を利用した潮入式回遊庭園である。約46,000m2という個人庭園としては桁違いに広大な敷地を有する。園内...
丹生都比売神社は、JR和歌山線笠田駅より南東へ約10kmの山間にある。金剛峯寺と慈尊院を結ぶ町石道の中間地点に位置し、丹生都比売神社の参拝後に高野山へ登ることが慣習とされていた。 主祭神の丹生都比売大神は、天照大神の妹神で高野山の地主神であり、空海に伽藍の土地を譲り、高野山の総鎮守になったとされる。丹生都比売は、古来魔...
紀伊国分寺跡はJR和歌山線下井阪駅より北へ約850mに位置する。 紀伊国分寺は、聖武天皇が741(天平13)年に発した「国分寺建立の詔」により全国68か国に設置された僧寺の一つで、756(天平勝宝8)年には寺院としての形態を整えていたと考えられる。2町四方(約218m四方)の寺域を有し、塔や金堂、講堂などの伽藍が整備された。塔跡には...
JR和歌山線粉河駅から北へ約1km、門前町を15分ほど歩いたところにある。奈良時代末、770(宝亀元)年の開創と伝えられ、中世には高野山・根来寺に次ぐ僧兵を抱え、堂宇550、寺領四万余石を有して隆盛を極めたという。1585(天正13)年、羽柴秀吉の紀州攻めにあって堂塔を焼失したが、後に江戸時代に紀州徳川家の援助を受けて再興した。 鮮...
JR紀勢本線串本駅から北東へ約2km、串本町北東端の海岸から紀伊大島に向かって、大小40あまりの奇岩が一直線上に並んでいる。延長約850mにわたる奇景で、規則的な並び方が橋の杭に似ていることからこの名が付いた。 この奇景の成り立ちは約1500万年前にさかのぼる。海の中にあった地層にマグマが細長く入り込み、冷えて固まった。その後海...
写真提供:丹生官省符神社
南海電鉄高野線九度山駅から西へ約1.9km、神社の創建と同時期に建立された慈尊院背後の石段を登った山の中腹、足下に紀ノ川を望む地にある。慈尊院の鎮守で、神仏混淆の時代には神社を合わせて慈尊院といった。 空海が行脚の途中で一人の猟師と出会い、猟師の従えていた2頭の犬が高野山に導いた。その猟師を地主神が猟師に姿を変えたもの...
高野山奥之院は、高野山の山上東端に位置し、弘法大師・空海の御廟と、その参道の入口である一の橋から東へ広がる一帯を指す。一の橋から廟前までの約2kmの参道には、杉や檜がうっそうと茂り、両側には20万基を超える墓石*1が並んでいる。大きいものは高さ10mにも達する江戸時代各大名の巨大な五輪塔で、ほかにも位牌、方柱、宝篋印塔、無縫...
高野山は、紀伊山地の南端に位置する山岳地帯であり、標高は約900mに達する。和歌山市から東へ約50km、大阪市から南へ約80kmの山上盆地に広がる高野山には、南北約3km、東西約6kmの範囲に多くの寺院や修行場が点在しており、日本の仏教文化を象徴する場所の一つで、最も重要な聖地の一つとして知られている。行政区としては高野町に位置付け...
仏教の「殺生を避ける」考えに基づいて作られる精進料理は、肉や魚などの「生臭(なまぐさ)」を使わない野菜中心の質素な料理のイメージだが、高野山の精進料理のルーツは「振舞料理」であり、塗の御膳にたくさんの品々が並び見た目にも豪華である。平安時代から皇族や大名の参詣をはじめ、全国から参拝に来る檀信徒に対して、ようこそお越...
金剛三昧院は高野山金剛峯寺から徒歩10分、小田原通りから南へ入った閑寂な地にある。1211(建暦元)年に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝公の菩提を弔うために、その妻で尼将軍としても名高い、鎌倉二位禅尼・北条政子が創建した。開山に日本臨済宗の開祖である、明庵栄西禅師を請じ入れ、もとは禅定院と称したが、源実朝の死を悼んで堂塔を興し、...
和歌山市から東へ約50km、大阪市から南へ約80kmの山上盆地に広がる高野山のほぼ中央に位置するのが、3,600寺を有する高野山真言宗の総本山、金剛峯寺である。真言宗の宗祖空海・弘法大師が、ここに伽藍を建立して以来1200年あまり、幾度かの浮沈の波を乗り越えて法燈を守り、宗派を越えた霊場として今日に至っている。 高野山は「一山境内...
写真提供:慈尊院
慈尊院は南海電鉄高野線九度山駅から西へ約1.5km、雨引山の北東麓、 紀ノ川沿いにある。高野山真言宗のお寺、女人高野 慈尊院は、816(弘仁7)年、 空海が高野山を開くのに際し山麓の寺務所として建立したもので、高野山表街道の入口にあたる。空海の母阿刀氏がわが子を慕ってやってきたが、当時高野山は女人禁制のため麓にあるこの政所に住...
壇上伽藍は高野山のほぼ中央部に建ち並ぶ堂塔群で、奥之院と並ぶ高野山の聖地であり、真言密教修禅の場である。19棟の堂塔で構成され、広さは約5万5千m2にも及ぶ。高野山における壇上とは、大日如来が鎮座する壇、もしくは道場を意味する。伽藍とは仏塔を中心とした僧房などを配置した場所のことである。 壇上伽藍の歴史は古く...
写真提供:アドベンチャーワールド
南紀白浜温泉のすぐそばにある動物園・水族館・遊園地が一体となった大規模複合テーマパーク。1977(昭和52)年に「ワールドサファリ」として設立され、水族館や遊園地施設などを次々に導入して、規模を拡大した。4頭のジャイアントパンダが暮らしており、関西はもとより全国各地から年間100万人前後の観光客が訪れている。ジャイアントパン...
JR紀勢本線白浜駅から西へ約7km、名勝千畳敷の南に2kmにわたってつづく断崖が三段壁である。平均50m、高いところは60m以上ある。赤茶けた岩が直立するところや何段にも階段状になったところなど、変化に富んだ様相が見られる。これらの砂岩の断崖はかつて浅海底の⼀部だったが、地殻変動により数百年をかけて押し上げられ現在の絶壁となった...
白良浜海岸はJR紀勢本線白浜駅より西へ約5km、複雑に入り組んだ白浜半島の西にくぼむ鉛山湾に面し、南紀では珍しくゆるやかな弧を描く砂浜である。延長約620mに渡る浜は波などによって浸食された珪砂砂岩(変質水成岩)で、石英を90%以上含有しておりまぶしいほどに真白い。昭和後期からの浜周辺の開発により浜がやせてきており、防砂ネット...
JR紀勢本線白浜駅から西へ約6km、湯崎の南方1kmほどの瀬戸崎に張り出した広い岩畳を思わせる大岩盤で、白い岩肌が波しぶきに洗われている。1500万年以上前、千畳敷は浅い海底の⼀部だったが、その時から100年に約5cmずつ隆起してきた。千畳敷の最も内陸側は12万年前には⽔中にあったとされており、生物が這った跡が化⽯化した物や波紋が岩に...
南紀白浜温泉は紀伊半島の南部、太平洋に面した和歌山県白浜町にある温泉郷である。JR紀勢本線の白浜駅、紀勢自動車道の南紀白浜インターチェンジ、南紀白浜空港がすべて至近にあり、アクセス抜群のロケーションとなっている。 白浜温泉の歴史は古く、『日本書紀』・『万葉集』・『続日本紀』などに「牟婁ノ湯」「武漏ノ湯」などと登場す...
南紀白浜空港から北西へ約5km、南紀白浜温泉の中心街からほど近い番所山にあるのが、日本の博物学者・生物学者・民俗学者として多くの研究実績を残した南方熊楠の記念館である。熊楠の没後、博物学の巨星を後世に伝え、学術振興と文化の進展を図ることを目的として1965(昭和40)年4月に開館。遺族から資料の寄贈を受け、南方熊楠の遺した業...
新宮市の熊野速玉大社の摂社、神倉神社で毎年2月6日に行われる古代以来の熊野山伏の伝統をもつ勇壮な火祭りである。 新宮節の一節に「お燈祭は男の祭り、山は火の滝下り竜」と歌われているように女人禁制の祭りで、精進潔斎した男性が、白装束に腰に荒縄をしめて、手にたいまつを持ち、石段を駆け下りる。その年に生まれた男子はおぶわれ...
神倉神社はJR紀勢本線新宮駅の南西約1km、熊野川の右岸の神倉山にある熊野速玉大社の摂社である。権現山の南側のおよそ100mの高さの断崖絶壁にある。源頼朝の寄進による参道の石段は538段あり、かなりの急勾配で登りにくい。山上の社殿裏にはゴトビキ岩*と呼ばれる磐座(いわくら)が鎮座し、神社のご神体となっている。ここは熊野三所大神...
熊野速玉大社はJR紀伊本線新宮駅の北西約1km、熊野川が急に蛇行して熊野灘にそそぐ河口近くに鎮座する。主祭神の熊野速玉大神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、熊野夫須美大神は伊邪那美神(いざなみのみこと)であり、夫婦神である。熊野三山の中で最も多い18柱の神々を祀っている。祭祀の起源は神倉神社のゴトビキ岩とする説があり、神倉...
「めはりずし」は、和歌山県と三重県にまたがる熊野地方、および奈良県吉野郡を中心とした吉野地方の郷土料理である。千貼り寿司、大葉寿司、高菜寿司、芭蕉葉寿司と呼ぶ地域もある。漁業や林業が盛んな県南部地域で、忙しい漁や山仕事の合間に簡単に食べられるお弁当として広まった。塩で漬けた高菜で大きなおにぎりをくるんだもので、「め...
紀伊山地は標高1,000~2,000m級の山脈が東西あるいは南北に走り、年間3,000mを超える豊かな雨水が深い森林を育む山岳地帯である。当地は自然神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられ、日本古来の自然崇拝に根差した山岳信仰や神道・伝来仏教・道教との融合によって形成された日本固有の神仏習合の霊場や山岳密教の霊場、修験道の霊場...
新宮市から北西へ約30km、和歌山・三重・奈良の3県にまたがる新宮川の支流・北山川の峡谷の総称が瀞峡である。下流から下瀞・上瀞・奥瀞と分かれており、熊野川町玉置口から田戸までの1.2kmが下瀞で、瀞八丁と呼ばれる。さらにその上流、約2kmの間を上瀞、さらにその上流の小松から七色までの約28kmを奥瀞という。瀞峡で見られる岩石は過去の...
太地町は本州の南端、紀伊半島の東側に位置し、三方を海に囲まれている。太地は1600年代から始まった古式捕鯨発祥の地で、現在も地域捕鯨が続けられており、鯨料理は古くから人々の生活に密接に関わってきた食文化である。 太地で捕鯨が組織的な産業活動として始まったのは、1606(慶長11)年とされている。この年、豪族和田家一族の忠兵...
川湯温泉は和歌山県田辺市本宮町、熊野本宮大社の南約3kmにある。熊野川の支流である大塔川の川底から湯が湧き、付近約200mの間の河原を掘れば、熱い湯が湧き出し、即席の露天風呂ができる。川の流量が減る冬季には、川をせき止めて作られる大きな露天風呂「仙人風呂」がオープンする。開湯期間中は多くの観光客が訪れ、夜間には満点の星の下...
熊野本宮大社は南紀白浜空港から北東に約60km、JR紀伊本線新宮駅から北西に約35km、紀伊半島南部の山中に位置する。日本全国に4,700社あまり散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られている。主祭神には、家津美御子大神(スサノオノミコト)*を祀っている。古くは熊野坐神社といい、延喜式神名帳には名神大社として記載...
熊野本宮大社の南西2km、四村川の支流湯ノ谷川畔に白い湯けむりをあげているのが湯の峰温泉である。川湯温泉、渡瀬温泉と並ぶ、熊野本宮温泉郷の3つの温泉の1つで、十数軒の旅館・民宿が川沿いに立ち並ぶ温泉街となっている。 温泉の歴史は古く、4世紀頃に熊野の国造、大阿刀足尼によって発見されたとの言い伝えも残る。湯の峰の評判は、...
龍神温泉は和歌山市から南東へ約90km、奈良県との県境にほど近い山中にある。護摩壇山・鉾尖岳・牛廻山などに囲まれ、日高川に面した標高500mの山峡に湧く温泉である。役行者により発見され、のち弘法大師が難陀龍王のお告げによって開湯したと伝えられるこの温泉は、紀州初代藩主・徳川頼宣が御殿を設けて浴室を整備し、地祖を免じたため発...
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺を総称して熊野三山と呼ぶ。修験道の拠点である「吉野・大峰」と真言密教の根本道場の「高野山」が参詣道で結ばれ、この三霊場を取り巻く一帯が、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」*1として2004年7月に登録された。紀伊半島南部一帯を指す「熊野」の語源は「こもりく...
熊野那智大社は、熊野速玉大社から南西に約22km、JR紀伊本線那智駅から北西に約8km、那智山の中腹、標高500mの地点にある。熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山の一社に数えられる当社は、463段の石段を登った先の社殿6棟に、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)を主祭神として合計十三所の神々が祀られている。 那智の名が文献に...
青岸渡寺はJR紀伊本線那智駅から北西に約9km、那智山の中腹に熊野那智大社と並ぶ天台宗の寺院であり、西国三十三所第一番の札所である。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」*1として2004年7月に登録された。 仁徳天皇のころ、インドから熊野に流れついた裸形上人が、那智の滝壷から見つけた観音像を安置して草堂を開いたのがそ...
那智山中には4本の渓流があり、その渓流に多くの滝がかかっている。一ノ滝・二ノ滝・三ノ滝・曽以ノ滝(文覚の滝)・陰陽ノ滝・松尾ノ滝など合計48本あり、一般的に那智滝と呼ばれるのはその中でも最も高さのある一ノ滝である。一ノ滝の滝口は3本に分かれているが、石英粗面岩の一枚岩壁の上を1本になって落下している。瀑下には飛瀧神社があ...
古来人々は「水」を万物生成の根源として尊び、熊野那智大社も那智の滝を神として祀るために造営された。熊野那智大社の例大祭である那智の扇祭りは神霊を振い起し、万物の生成発展を祈る神事である。正式には扇会式法会(おうぎえしきほうえ)*1と称する。毎年7月14日に斎行される。 7月9日、那智滝の注連縄張り替え行事があり、11日に...
南紀勝浦温泉は南紀白浜空港から東へ約80km、JR紀勢本線紀伊勝浦駅が最寄り駅となる。紀伊半島の南端・串本町にほど近い場所にある。白浜温泉とともに南紀の代表的な温泉で、深い入江をなす勝浦湾沿いの様々なエリアから温泉が湧いている。旅館街というものは特にないが、飲食店やみやげ物店の集中する紀伊勝浦駅から勝浦港にかけて繁華街と...
紀の川は日本有数の最多雨地帯・奈良県大台ヶ原に源を発し、奈良と和歌山の二県を貫いて紀伊水道に注ぐ全長136km、流域面積1,750km2の一級河川である。奈良県では吉野川と呼ばれ親しまれている。和歌山県に入ってからの紀の川は、和泉山脈の南側をほぼ一直線に西流するが、橋本市から紀の川市東部付近では河岸段丘を形成している...
JR紀勢本線道成寺駅から北へ約250mの御坊市と日高川町の町境にある。道成寺の創建は、701(大宝元)年に文武天皇の勅願によって紀道成が建立したと伝える。寺伝によれば、この地は文武天皇の妃藤原宮子が生まれた土地であるとされ、創建にまつわる「髪長姫」の説話が残っている。熊野詣の順路にあたるため、古くから参詣者が多く、全盛期に荘...
写真提供:広川町
JR紀勢本線湯浅駅より南西へ約1km。湯浅広港に向かって並行に南にのびる内外2重の防波堤である。海に向かって前方の石垣は、室町時代に畠山氏*1が築いたものである。後方の土手は、濱口梧陵*2が私財を投じて1855(安政2)年に着工、延べ5万6700余人の労力と4年間の歳月を費やして築いた高さ5m、根幅20m、延長600m余の大防波堤である。1938...
南部梅林は、南紀白浜空港から北に約20km、JR紀勢本線から北東へ約3km、南部川の川岸段丘4kmにわたって広がる梅の里である。晩稲(おしね)地区の香雲丘(こううんきゅう)に梅が植えられており、日本有数のスケールを誇る。梅干しの生産で日本一の規模を誇るみなべ町の梅林は基本的に果実採取のための産業用の農林であり本来は観光目的では...
煙樹ヶ浜はJR紀勢本線御坊駅から南西へ約5km、本ノ脇から日高川の河口までつづく松林の美しい海岸である。クロマツ原と呼ばれる松林の幅は広いところで約500m、全長約4.5kmにおよび、近畿最大の規模となっている。この松林は今から約400年前、藩主徳川頼宣が防潮林として植林したもので、御留山として伐採することを禁じたため残ったといわれ...
写真提供:由良町観光協会
JR紀勢本線紀伊由良駅から西へ約7.5km、紀伊水道に面した半島の先に位置する。白崎海岸はその名の通り、岬全体が白い石灰岩でできている。白亜の巨大な石灰岩の岬と、真っ青な海のコントラストが異国情緒あふれる景観を呈し、「日本のエーゲ海」とも称される。古生代後半、約2億5000万年前のペルム紀にできたものだといわれており、今でもフ...
和歌山市の中央から東へ約5km。岩橋山塊の前山地区を中心に、山塊全体に分布する古墳群である。古墳の総数は900基を超え、1952(昭和27)年に国の特別史跡に指定されている。史跡指定地内には500基ほどの古墳が所在する。4世紀末から7世紀にかけて造られた群集墳として全国有数の規模を誇る。古墳の築造時期は古墳時代中期から後期で、その中...
紀州東照宮はJR紀伊本線紀三井寺駅より西へ約2km、和歌の浦の北部、天神山の林の中にある。祭神は徳川家康とその10男で紀州徳川家初代藩主の徳川頼宣である。1621(元和7)年に頼宣が家康を祭るために建てたもので、関西日光とも呼ばれ、「権現さん」の名でも親しまれている。参道両側には石灯篭が並び、侍坂と呼ぶ108段の急な石段を登り楼門...
紀三井寺は紀勢本線紀三井寺駅の南方約600m、名草山の中腹にある。正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)という。通称紀三井寺と呼ばれるのは、寺の周囲に吉祥水・楊柳水・清浄水の3つの井戸があるので三井寺の名が生まれ、近江の三井寺と区別するため紀の字をつけたとされる。 開基は770(宝亀元)年...
紀伊半島と淡路島のほぼ中間地点、和歌山市北西の紀淡海峡に浮かぶ4つの無人島、沖ノ島、地ノ島、虎島、神島を総称して「友ヶ島」と呼ぶ。 江戸期までは、修験道の山伏修行の場とされ、ほかに立ち入る者はほとんどいなかった。しかし黒船来航の頃から友ヶ島は大阪湾を守る要衝とされ、1888(明治21)年に陸軍用地となり、第2次世界大戦中...
JR和歌山駅から南東へ約1.5km、和歌山電鐵貴志川線日前宮駅の北100mにある。同一の境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社がある二社一体の大社で、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。御神体は日像鏡(ひがたのかがみ)と日矛鏡(ひぼこのかがみ)で、天孫降臨の際、三種の神器とともにそえられ、神武天皇東征の後、...
養翠園は和歌山市駅から南へ約6km、水軒浜の南端にあり大浦湾に臨む。入江を取り入れ、海水を引き入れた大小の池を中心に老松をめぐらした池泉回遊式庭園である。紀州藩10代藩主徳川治宝が1818(文政元)年から8年かけて造営した大名庭園で、敷地は33,000m2にも及び、その半分が汐入の池が占めるのが大きな特徴である。 この池...
和歌浦天満宮はJR紀勢本線紀三井寺駅から西へ約2.5km、紀州東照宮の西隣、標高約93mの天神山の中腹にある。学問の神様・菅原道真を祀り、和歌浦一円の氏神としても尊崇されている。 菅原道真が大宰府に左遷されるときに和歌浦に船を停泊させたと言われ、康保年間(964~968年)に参議橘直幹が大宰府からの帰途にこの地に立ち寄り社殿を建...
和歌山城は関西国際空港から南方に約24km、和歌山駅から西方に約2km、和歌山市中央部の丘に位置する。海上から見ると丘の稜線が、虎が伏せたように見えることから、虎伏山竹垣城の別名をもつ。 1585(天正13)年、紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に命じ、藤堂高虎や羽田正親一庵法印が普請奉行となり築城した。その後、秀長は郡山城(奈...
JR和歌山線笠田駅から南へ約13km、真国川(鞆淵川)北岸の幽邃の地にある。御祭神は応神天皇・仲哀天皇・比売大神。創建は定かでないが、平安時代の1008(寛弘5)年には、すでに京都の石清水八幡宮の領地であり、鞆淵荘16ヶ村の産土神でもあった。平安時代後期に制作された現存する日本最古のもので国宝に指定されている神輿(しんよ)は、鎌...