根來寺ねごろじ

JR阪和線和泉砂川駅から北へ約5km、葛城連峰の南麓に広大な境内を有するのが根來寺である。新義真言宗の総本山で、大伝法院と称した。二方に山を負い、約119万m2の寺域の中に大伝法堂はじめ大塔(多宝塔)・大師堂・本坊・光明殿・行者堂・聖天堂などが立つ。本坊わき道からひときわ奥まったところには、深い緑におおわれて開祖覚鑁の廟所奥ノ院がある。ほかに不動堂・三部権現・大門・楼門などが立ち、寺領72万石という大勢力を誇った面影が今も残っている。
 1130(大治5)年、覚鑁(興教大師)が高野山中に伝法院と呼ぶ一堂を建立したのが起源である。のち、1286(弘安9)年頃より、大伝法院の僧侶たちは寺院活動の拠点を高野山から根来に移し、伽藍の整備が進められ、戦国時代に寺は全盛を迎えた。1585(天正13)年、豊臣秀吉の紀州征伐の折、大師や大塔などいくつかの堂塔を残し灰燼に帰した。1600(慶長5)年、徳川家康により再興の許可を得ると復興の歩みが始まり、紀州8代藩主徳川重倫と生母清信院の厚い支援を受けて伽藍は復興を遂げた。
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みどころ

広大な境内は、四季折々の変化に富み、中世の佇まいを残す。和歌山県随一の桜の名所として名高く、春には多くの花見客で賑わう。秋の紅葉も有名。大門・九社明神・三部権現をあわせた全体を参拝すると所要時間は2時間ほどかかると言われるほどみどころは多い。
 豊臣秀吉の紀州征伐の焼打ちを免れた国宝の大塔*1は楼門をくぐった右手、大伝法堂*2の隣にある。1547(天文16)年の完成で、高さ約40mを誇る日本最大の木造多宝塔であり、下層方5間、上層円形、本瓦葺、朱塗の2層である。江戸時代中期に建てられた不動堂は全国的に珍しい八角円堂で、大聖不動明王を本尊とし、四大明王を祀っている。また、根來寺の不動明王は「身代不動尊」や「きりもみ不動」として強い信仰を集めており、交通安全・厄除祈願として有名で車祈祷もできる。高野山で覚鑁上人が反対勢力に襲われた時に、身代わりとなったためこの名がある。
 庭園は紀州徳川家の別邸を移築した名草御殿に面する江戸時代に造られた書院庭園で、三段の滝や鶴亀島を配した池泉式蓬莱庭園。北西に山を負い、奇岩怪石を縦横に配してある。光明殿南西の聖天池で構成される庭園とともに、ゆっくりと巡りたい。
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補足情報

*1 大塔:正式名称は『大毘廬遮那法界体性塔』(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)。
*2 大伝法堂:重要文化財の本尊大日如来・金剛薩埵(こんごうさった)・尊勝仏頂が安置されている。