橋杭岩はしぐいいわ

JR紀勢本線串本駅から北東へ約2km、串本町北東端の海岸から紀伊大島に向かって、大小40あまりの奇岩が一直線上に並んでいる。延長約850mにわたる奇景で、規則的な並び方が橋の杭に似ていることからこの名が付いた。
 この奇景の成り立ちは約1500万年前にさかのぼる。海の中にあった地層にマグマが細長く入り込み、冷えて固まった。その後海底が隆起し、地上に現れた地層が波の浸食を受け、軟らかい泥岩が早く削られ、硬い流紋岩が直線状に残って橋杭岩となった。その岩脈は大島まで達している。弘法大師の橋杭造りの説話*1も伝わっている。
#

みどころ

岩の尖った先端が海面より突き出している様子は、一目見て「橋杭」の意味が理解できるほどわかりやすい形が面白い。岩の数は約40。特徴のある岩には名前が付けられており、最も大きなものが弁天島で、干潮のときには歩いて行くことができる。赤い鳥居があり、弁財天などが祀られている。季節によっては海中にヤドカリ、小エビ、小魚などを見ることができる。また、橋杭岩から苗我島の海域は浅海養魚場としてヒラメなどが養殖されている。
 日の出の時間は岩の間から見える朝日が絶景で、早朝から多くの観光客や写真愛好家が訪れる。海中から突き出した奇岩が夕日に染まる様も美しい。
 橋杭岩の南西には遠浅の浜が続いており、橋杭海水浴場となっている。春から秋にかけてはマリンアクティビティが楽しめる。また、紀伊大島にある「白野ビーチ」のきれいな水と静かさは、多くの人々を魅了する。近くにある岩間には、色とりどりの熱帯魚が多く生息するため、ダイビングやスノーケリングにもおすすめ。
#

補足情報

*1 弘法大師の橋杭造りの説話:むかし弘法大師と天の邪鬼が、串本と大島の間に一晩で橋を架ける賭けをした。日が暮れると大師は杭にする巨岩を海中に並べ始めた。驚いた天の邪鬼は、「コケコッコー」と鶏の鳴きまねをした。すると大師は夜が明けたと思い、中途で仕事を断念してしまった。それで橋杭が途中で切れているのだという。