丹生官省符神社にうかんしょうぶじんじゃ

南海電鉄高野線九度山駅から西へ約1.9km、神社の創建と同時期に建立された慈尊院背後の石段を登った山の中腹、足下に紀ノ川を望む地にある。慈尊院の鎮守で、神仏混淆の時代には神社を合わせて慈尊院といった。
 空海が行脚の途中で一人の猟師と出会い、猟師の従えていた2頭の犬が高野山に導いた。その猟師を地主神が猟師に姿を変えたものと想念の内に感得され、高野山開山の際に慈尊院参道上壇に丹生高野明神社*1を創建したとされる。官省符荘*2の総社として数多くの社殿が立ち並び荘厳を極めていたが、明治維新後の神仏分離令等により多くの建物は取り除かれ、本殿の3棟のみが残っている。1541(天文10)年に再建された本殿はいずれも一間社春日造、桧皮葺極彩色で、うち2殿は内外陣をもち、正面は引違い戸になっている。神様の使いである白黒2頭の犬は、安産、子授け祈願、縁結び導きの神さまとして古くから尊崇される。
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みどころ

慈尊院の総門を入ると、桜の古木におおわれた119段の石段が仰がれる。途中、高野山町石道の180町石を右に見て石造大鳥居をくぐり石段をのぼりきると、大きな丹塗りの鳥居の建つ広庭から拝殿を通して拝観する極彩色の神殿は、霊峰高野山を背に森の緑にはえて美しい。境内は清々しく春の桜、秋のもみじに参詣者も多く、紀ノ川、和泉山脈が一望のうちに眺められ、紀伊山地の霊場高野山町石道の登山口として広く知られている。狩場明神と空海の出会いを描いた大きな絵馬や、その年の干支を描いた絵馬も飾られている。
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補足情報

*1 丹生高野明神社(現:丹生官省符神社):空海が高野山を開く際、高野明神と丹生明神の化身に道案内されたとの伝承がある。わけても高野山周辺の地元神である丹生明神は、空海に現在の伽藍がある土地を譲った恩人とされている。丹生明神は、朱の採掘を生業とする丹生氏が、祀った神ということから、「水銀の神」と考えられている。水銀は朱の顔料として絵画や建築物に使われるとともに、めっきの材料としても利用されていた。全国にある「丹生」の名前を含む地名や施設は、朱に縁があることが考古学的にも確かめられており、空海が若い頃に修行をした吉野周辺は水銀の産地で、縄文時代から朱を採掘していた記録が残っている。
*2 官省符荘:太政官と民部省から認可された荘園という意味で、国の干渉を受けない不入の特権と、国へ税金を納めることがいらない不輸祖の特権をもつ正式な荘園。本来は荘園の類型の一つだが、高野山ではそれをそのまま荘園の名称とした。
関連リンク 丹生官省符神社(WEBサイト)
参考文献 丹生官省符神社(WEBサイト)
和歌山県世界遺産センター(WEBサイト)
和歌山県神社庁(WEBサイト)
九度山町(WEBサイト)
和歌山県の歴史散歩(山川出版社)

2025年02月現在

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