鞆淵八幡神社ともぶちはちまんじんじゃ

JR和歌山線笠田駅から南へ約13km、真国川(鞆淵川)北岸の幽邃の地にある。御祭神は応神天皇・仲哀天皇・比売大神。創建は定かでないが、平安時代の1008(寛弘5)年には、すでに京都の石清水八幡宮の領地であり、鞆淵荘16ヶ村の産土神でもあった。平安時代後期に制作された現存する日本最古のもので国宝に指定されている神輿(しんよ)は、鎌倉時代の1228(安貞2)年に石清水八幡宮から送られたもの。その背景には、高野山が鞆淵を取り込もうと狙っていたので、石清水八幡宮は鞆淵荘を何としても維持するために大切な神輿を鞆淵に送ったという事実がある。合わせて、神輿にまつわる鶴姫の伝説も語り継がれており興味深い。
 本殿は檜皮葺、三間社流造りで中央一間の向背をつける。大日堂は室町時代前期の建立とされ、元々は茅葺きであったが、1933(昭和8)年の解体修理の後、瓦葺になった。大規模な仏堂で、三間四面の内陣と下陣に分け、内陣の後ろに大きな厨子を作りつけている。
 摂社は11社あり、そのうちの若宮社と高良社はいずれも江戸時代中期の建立だが、1275(弘安2)年の資料中にも記載があり、本殿と共に摂社も古くから存在していたことがわかる。祭りは年に9 回あったが、明治末より春祭、秋祭の2回となり、幣帛供進、神興渡御、やぶさめ等行われていた。現在は、正月元日、春祭、例祭、秋祭が行われている。例祭には多くの氏子・崇敬者が参拝し、特に保育所、小・中学校の子供神輿、稚児行列で賑わっている。
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みどころ

山間の地に立地しており、山麓から中腹へと石段が東へ伸びている。鳥居や灯籠、社号標等は無く、神社の規模の割には地味な入口で、看板が無ければ神社の入口とはややわかりにくい。石段は当地に多く産する結晶片岩で、周囲は鬱蒼とした木々に覆われている。特に杉の巨樹が多く、中でも境内の三本の杉は市指定自然保存木となっている。400余の石段の突き当りを左(北側)へ曲がると、石段上に朱鳥居が南向きに建つ。登ったところに摂社、末社とともに、室町時代の本殿や大日堂が桧・杉の大木に囲まれて鎮座している。本殿外陣の蟇股(かえるまた)とシカの彫刻は、神社建築の装飾としては県内最古のものと考えられている。
関連リンク 紀の川市(WEBサイト)
参考文献 紀の川市(WEBサイト)
和歌山県神社庁(WEBサイト)
神社巡遊録(WEBサイト)
和歌山県の歴史散歩(山川出版社)

2025年02月現在

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