金剛三昧院こんごうさんまいいん

金剛三昧院は高野山金剛峯寺から徒歩10分、小田原通りから南へ入った閑寂な地にある。1211(建暦元)年に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝公の菩提を弔うために、その妻で尼将軍としても名高い、鎌倉二位禅尼・北条政子が創建した。開山に日本臨済宗の開祖である、明庵栄西禅師を請じ入れ、もとは禅定院と称したが、源実朝の死を悼んで堂塔を興し、現寺号に改めた。代々著名な学僧が出、鎌倉幕府との関係も深く、高野版*1の開版など教学の中心として栄えた。
 本尊の愛染明王は政子が仏師運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作らせたものである。国宝の多宝塔は1223(貞応2)年、政子が頼朝のために建立したと伝え、石山寺に次いで古い。高さはおよそ15m、3間4面、檜皮葺で外部は朱塗、内部の梁や柱には優雅な宝相華文を施し、仏師運慶作と伝えられる五智如来像を安置する。初層が低く、2層目はよく引き締まり整った姿を見せる。一般的に裳階(もこし)と呼ばれる、本来の屋根の下にもう一重屋根を重ねる建築様式で、外観は二階建てに見られるが実際は一階建てである。屋根の一辺はおよそ9メートルに及ぶ。経蔵の建立は1223(貞応2)年頃で、建築様式が奈良にある東大寺正倉院などと同じ校倉造りをしており、鎌倉時代初期の校倉造りの建立物としては現存状態が非常によく、重要文化財に指定されている。また、金剛三昧院は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素の一つで、塔頭寺院として唯一選ばれた。
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みどころ

国宝・多宝塔をはじめ、重要文化財の経蔵、四所明神社など、数々の歴史的文化財があり、鎌倉時代の風雅をそのままに伝える格別な雰囲気をたたえている。また、他の寺院とはやや離れた小田原谷の最南端の山腹にあるため、山内の大火の度にも類焼を逃れた。閑静で、孤高の美しさを感じられる。多宝塔は、建立当時のほのかに残る朱色と裳階上の白い円形部分との色合いが、背後の杉木立の緑と合わさり絶妙な景観を現出している。客殿は江戸時代の建築ながら、雄大華麗な襖絵14面がみごとである。春はしゃくなげ*2が見事に咲き誇る。また、樹齢八百年を越す六本立ちの天狗杉は高野杉の象徴となっている。
 また、江戸時代後期建立の表門をくぐったところの窓口では「不動金剛線うでわ守」がもらえる。常に腕につけることによって結界に守られ、災いから逃れることができるとされる。宿坊として宿泊もでき、勤行、写経、阿字観、瑞香など、さまざまな体験も行うことができる。
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補足情報

*1 高野版:高野版版木は金剛三昧院に伝来する板木である。これらの板木は鎌倉時代の当初開版を中心に近世、近代の開版を含めて都合486枚を今日に伝えている。
*2 しゃくなげ:最も古いものは和歌山県指定天然記念物で樹齢450年以上。高さ約10メートル以上の大木もある。5月の上旬頃、ピンク色の美しい花を咲かせ、境内を華やかに染める。
関連リンク 金剛三昧院(WEBサイト)
参考文献 金剛三昧院(WEBサイト)
和歌山県公式観光サイト(公益社団法人 和歌山県観光連盟)(WEBサイト)
文化遺産オンライン(文化庁)(WEBサイト)
和歌山県の歴史散歩(山川出版社)

2025年02月現在

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