湯の峰温泉
熊野本宮大社の南西2km、四村川の支流湯ノ谷川畔に白い湯けむりをあげているのが湯の峰温泉である。川湯温泉、渡瀬温泉と並ぶ、熊野本宮温泉郷の3つの温泉の1つで、十数軒の旅館・民宿が川沿いに立ち並ぶ温泉街となっている。
温泉の歴史は古く、4世紀頃に熊野の国造、大阿刀足尼によって発見されたとの言い伝えも残る。湯の峰の評判は、平安時代後期の公卿・藤原宗忠の日記『中右記』*1や、鎌倉時代前期の公卿・広橋頼資日記『頼資卿記』など、熊野詣を行った中世の貴族たちの日記にも記されている。熊野詣が盛んであった当時には、本宮参詣者が身を清めるため入浴し、熊野詣の湯垢離場として世に知られていた。湯元橋近くには湯筒がある。泉質は含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉、81~92℃。
温泉の歴史は古く、4世紀頃に熊野の国造、大阿刀足尼によって発見されたとの言い伝えも残る。湯の峰の評判は、平安時代後期の公卿・藤原宗忠の日記『中右記』*1や、鎌倉時代前期の公卿・広橋頼資日記『頼資卿記』など、熊野詣を行った中世の貴族たちの日記にも記されている。熊野詣が盛んであった当時には、本宮参詣者が身を清めるため入浴し、熊野詣の湯垢離場として世に知られていた。湯元橋近くには湯筒がある。泉質は含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉、81~92℃。

みどころ
天然温泉の岩風呂で、2~3人が入るといっぱいになるつぼ湯は、30分交替制で入浴できる。つぼ湯は、日によっては7回湯の色が変化するといわれている。公衆浴場の受付で番号札を受け取り、混雑時は順番待ちになる。すぐそばには公衆浴場があり、加水していない源泉を温度調整したくすり湯や家族湯などを落ち着いて楽しむことができる。
川沿いには湯筒があり、ゴポゴポと湧き出る90度の温泉で卵や野菜を茹で楽しみたい。野菜や卵は土産物店等で購入することも可能だ。周辺には、九十九王子のひとつである湯峯王子や、小栗判官伝説*2の史跡などみどころが各所にある。
川沿いには湯筒があり、ゴポゴポと湧き出る90度の温泉で卵や野菜を茹で楽しみたい。野菜や卵は土産物店等で購入することも可能だ。周辺には、九十九王子のひとつである湯峯王子や、小栗判官伝説*2の史跡などみどころが各所にある。

補足情報
*1 『中右記』:1109(天仁2)年10月から11月にかけて熊野参詣の様子が記されており、11月1日の日記に湯の峰温泉のことが記されている。藤原宗忠は熊野三山巡拝の後、本宮に戻り、本宮で休息を取ったのちに大日越をして湯の峰温泉に向かったという。
*2 小栗判官伝説:小栗判官伝説は以下のようなあらすじである。その昔、常陸の国に、城を構える小栗氏と言う一族が居た。「鎌倉大草子」によると、1415年、関東で上杉禅秀が乱を起こした際、小栗氏は上杉方に味方し、足利持氏に敗れた。城主満重とその子助重(小栗判官)は、小栗一族の住む三河の国を目指して逃れようとした。相模の国に潜伏していたとき、権現堂にて盗賊に毒を盛られた。しかし、照手姫に救われ、荒馬に乗って藤沢に逃れ、遊行上人に助けられる。その後、病が重くなり、遊行上人の導きと照手をはじめ多くの人々の情けを受けて熊野に詣で、権現の加護と湯の峰の薬湯の効き目により全快し、小栗城15代当主となるが、後に、足利成氏との戦いに敗れ滅亡する。史実に基づき伝説化され語り継がれた物語と考えられる。(熊野本宮観光協会WEBサイトより)
*2 小栗判官伝説:小栗判官伝説は以下のようなあらすじである。その昔、常陸の国に、城を構える小栗氏と言う一族が居た。「鎌倉大草子」によると、1415年、関東で上杉禅秀が乱を起こした際、小栗氏は上杉方に味方し、足利持氏に敗れた。城主満重とその子助重(小栗判官)は、小栗一族の住む三河の国を目指して逃れようとした。相模の国に潜伏していたとき、権現堂にて盗賊に毒を盛られた。しかし、照手姫に救われ、荒馬に乗って藤沢に逃れ、遊行上人に助けられる。その後、病が重くなり、遊行上人の導きと照手をはじめ多くの人々の情けを受けて熊野に詣で、権現の加護と湯の峰の薬湯の効き目により全快し、小栗城15代当主となるが、後に、足利成氏との戦いに敗れ滅亡する。史実に基づき伝説化され語り継がれた物語と考えられる。(熊野本宮観光協会WEBサイトより)
関連リンク | 田辺市本宮行政局(WEBサイト) |
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参考文献 |
田辺市本宮行政局(WEBサイト) 熊野本宮観光協会(WEBサイト) 一般社団法人 日本温泉協会(WEBサイト) |
2025年02月現在
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