慈尊院
慈尊院は南海電鉄高野線九度山駅から西へ約1.5km、雨引山の北東麓、 紀ノ川沿いにある。高野山真言宗のお寺、女人高野 慈尊院は、816(弘仁7)年、 空海が高野山を開くのに際し山麓の寺務所として建立したもので、高野山表街道の入口にあたる。空海の母阿刀氏がわが子を慕ってやってきたが、当時高野山は女人禁制のため麓にあるこの政所に住み、835 (承和元)年に没したため母公廟*が造られた。安置された弥勒菩薩の別名である慈尊にちなみ、慈尊院と呼ばれるようになった。
空海の母の化身とされる弥勒菩薩への信仰から、女人結縁の寺とも女人高野ともいわれた。 弥勒仏を本尊とするご廟は弥勒堂とも称し、堂前の柱には授乳・ 子授けを祈る多くの布製の乳房形が下げられている。ほかに江戸初期1624(寛永元)年に再建された多宝塔や、大師堂などがある。多宝塔の左方石段を登ると、途中に鳥居があり、その右側に百八十町石がある。
空海の母の化身とされる弥勒菩薩への信仰から、女人結縁の寺とも女人高野ともいわれた。 弥勒仏を本尊とするご廟は弥勒堂とも称し、堂前の柱には授乳・ 子授けを祈る多くの布製の乳房形が下げられている。ほかに江戸初期1624(寛永元)年に再建された多宝塔や、大師堂などがある。多宝塔の左方石段を登ると、途中に鳥居があり、その右側に百八十町石がある。

みどころ
重要文化財である弥勒堂には、国宝である本尊の弥勒菩薩坐像が安置されているが、拝観は21年に一度の御開帳のみとなっている。古来より女性が子宝、安産、育児、授乳等を願って乳房型絵馬を奉納して祈願し、髪の毛をお供えするなど、病気平癒を祈った。
また高野山参りは、まず高野山の玄関である慈尊院弥勒菩薩と縁を結び罪業を流してから山上へ登って頂くのが、高野山への本参りとされていることから、高野山の結縁寺と呼ばれている。高野山町石道参詣登山の際は、出発点である当院の本尊、弥勒菩薩に手をあわせ、道中安全・諸祈願をするとよい。
また高野山参りは、まず高野山の玄関である慈尊院弥勒菩薩と縁を結び罪業を流してから山上へ登って頂くのが、高野山への本参りとされていることから、高野山の結縁寺と呼ばれている。高野山町石道参詣登山の際は、出発点である当院の本尊、弥勒菩薩に手をあわせ、道中安全・諸祈願をするとよい。

補足情報
*母公廟:空海は月に九度は高野山上より20数kmもの山道を下って母に会いに来たといわれ、それが地名の九度山の由来となっている。
関連リンク | 慈尊院(WEBサイト) |
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参考文献 |
慈尊院(WEBサイト) 和歌山県の歴史散歩(山川出版社) |
2025年02月現在
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