和歌浦天満宮
和歌浦天満宮はJR紀勢本線紀三井寺駅から西へ約2.5km、紀州東照宮の西隣、標高約93mの天神山の中腹にある。学問の神様・菅原道真を祀り、和歌浦一円の氏神としても尊崇されている。
菅原道真が大宰府に左遷されるときに和歌浦に船を停泊させたと言われ、康保年間(964~968年)に参議橘直幹が大宰府からの帰途にこの地に立ち寄り社殿を建立したと伝えられる。羽柴秀吉の紀州攻めで社殿が消失したが、慶長年間(1596~1615年)に和歌山藩初代藩主の浅野幸長が再建し、現在に至る。
本殿*は正面5間、単層、入母屋造、桧皮葺で正面向拝上に千鳥破風をつけた珍しい構造で、華麗な桃山時代の様式である。内外部ともに華麗な極彩色で華々しく、壁画は狩野・土佐両派の画家によって描かれている。楼門は1605(慶長10)年の再建で、一間一戸、入母屋造、本瓦葺の楼門として最大規模である。
菅原道真が大宰府に左遷されるときに和歌浦に船を停泊させたと言われ、康保年間(964~968年)に参議橘直幹が大宰府からの帰途にこの地に立ち寄り社殿を建立したと伝えられる。羽柴秀吉の紀州攻めで社殿が消失したが、慶長年間(1596~1615年)に和歌山藩初代藩主の浅野幸長が再建し、現在に至る。
本殿*は正面5間、単層、入母屋造、桧皮葺で正面向拝上に千鳥破風をつけた珍しい構造で、華麗な桃山時代の様式である。内外部ともに華麗な極彩色で華々しく、壁画は狩野・土佐両派の画家によって描かれている。楼門は1605(慶長10)年の再建で、一間一戸、入母屋造、本瓦葺の楼門として最大規模である。

みどころ
天満宮の楼門にいたる参道の両側では、大きな「狛牛」が出迎える。祭神である道真の「使いの牛」には、傷や病気の箇所をさすると回復する、また頭を擦ると知恵を授かり、賢くなるとのいわれがある。使いの牛を過ぎると、紀州青石、いわゆる緑泥片岩(りょくでいへんがん)を用いた50段の急勾配の石段がある。石段を登りつめると本瓦葺、入母屋造の落ち着いた楼門が立っている。ここから見下ろす和歌浦湾の眺望も絶景である。対岸には紀三井寺を望み、そのはるか後方には長峰山脈が連なり、遠く熊野へと続く。書道の達人でもあった道真にちなみ、本殿左手には筆塚があり、使い古しの筆を奉納して書道の上達を祈る筆供養も行われている。石段の両脇は道真ゆかりの花、梅の名所でもある。拝殿の右手を進んで行くと境内社がいくつかある。

補足情報
*本殿:再建された和歌浦天満宮の本殿、楼門等の造営には、紀州根来出身の平内(へいのうち)吉政、政信の親子が携わった。政信は、江戸幕府の作事方大棟梁となり、当代屈指の名匠とされる。
参考文献 |
和歌祭公式サイト東照宮会館(WEBサイト) 和歌山県公式観光サイト(公益社団法人 和歌山県観光連盟)(WEBサイト) 日本遺産 ポータルサイト(WEBサイト) 日本遺産 絶景の宝庫 和歌の浦(WEBサイト) |
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2025年02月現在
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