熊野古道
紀伊山地は標高1,000~2,000m級の山脈が東西あるいは南北に走り、年間3,000mを超える豊かな雨水が深い森林を育む山岳地帯である。当地は自然神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられ、日本古来の自然崇拝に根差した山岳信仰や神道・伝来仏教・道教との融合によって形成された日本固有の神仏習合の霊場や山岳密教の霊場、修験道の霊場などが同一の山岳地域に併存している。これらの霊場を結んでいる参詣道が「熊野古道」である。
熊野古道には5つの主要ルートがあり、それらは伊勢神宮から熊野三山を目指す参詣者が歩いた「伊勢路」、田辺市から東に分岐し熊野本宮大社に至る「中辺路」、高野山と熊野本宮大社を結ぶ「小辺路」、吉野・大峯と熊野三山を結ぶ修験の道「大峯奥駈道」、紀伊田辺から海岸線を歩く「大辺路」である。
熊野参詣は初期のころは僧侶たちの参詣が主体だったが、平安時代には皇族・貴族に広まり、鎌倉時代以降は武家・庶民の参詣で興隆の時期を迎えた。上皇・貴族たちが熊野三山を目指す「熊野御幸」は300年間で100回をかぞえたという。上皇の行列は数百人に及び、多くの人が通れる道の整備が進み、参詣道が最も発達した時期がこの頃である。後鳥羽上皇が鎌倉幕府の転覆を企てた1221年の承久の乱をきっかけに上皇の御幸はほとんど行われなくなったが、室町時代に将軍足利義満の側室北野殿が、かつて上皇が御幸した参詣道を通って熊野参詣を行った頃から、武士や庶民、女性も参詣するようになり、その様子は蟻の熊野詣と呼ばれた。戦国時代は世の混乱により参詣道は荒れ果てたが、江戸時代になると庶民が伊勢参りの際に熊野にも立ち寄る西国巡礼が活発になり、熊野参詣は新たな興隆期に入る。幕府が社寺参詣を認め、紀州徳川藩も参詣道を整備したことから、明治時代にかけて、参詣や西国巡礼をする人々が熊野を訪れるようになった。
紀伊路・中辺路の道中には九十九王子と呼ばれる神社が点在している。王子社は熊野の神(熊野権現)の御子神を祀る社といわれ、熊野詣の途中で儀礼を行う場所となっていたほか、参詣者が休憩をしたり歌詠みを行う法楽の場ともなっていたという。なお、九十九王子は、実際に99ちょうどあるわけではなく、多数あることのたとえである。
熊野古道には5つの主要ルートがあり、それらは伊勢神宮から熊野三山を目指す参詣者が歩いた「伊勢路」、田辺市から東に分岐し熊野本宮大社に至る「中辺路」、高野山と熊野本宮大社を結ぶ「小辺路」、吉野・大峯と熊野三山を結ぶ修験の道「大峯奥駈道」、紀伊田辺から海岸線を歩く「大辺路」である。
熊野参詣は初期のころは僧侶たちの参詣が主体だったが、平安時代には皇族・貴族に広まり、鎌倉時代以降は武家・庶民の参詣で興隆の時期を迎えた。上皇・貴族たちが熊野三山を目指す「熊野御幸」は300年間で100回をかぞえたという。上皇の行列は数百人に及び、多くの人が通れる道の整備が進み、参詣道が最も発達した時期がこの頃である。後鳥羽上皇が鎌倉幕府の転覆を企てた1221年の承久の乱をきっかけに上皇の御幸はほとんど行われなくなったが、室町時代に将軍足利義満の側室北野殿が、かつて上皇が御幸した参詣道を通って熊野参詣を行った頃から、武士や庶民、女性も参詣するようになり、その様子は蟻の熊野詣と呼ばれた。戦国時代は世の混乱により参詣道は荒れ果てたが、江戸時代になると庶民が伊勢参りの際に熊野にも立ち寄る西国巡礼が活発になり、熊野参詣は新たな興隆期に入る。幕府が社寺参詣を認め、紀州徳川藩も参詣道を整備したことから、明治時代にかけて、参詣や西国巡礼をする人々が熊野を訪れるようになった。
紀伊路・中辺路の道中には九十九王子と呼ばれる神社が点在している。王子社は熊野の神(熊野権現)の御子神を祀る社といわれ、熊野詣の途中で儀礼を行う場所となっていたほか、参詣者が休憩をしたり歌詠みを行う法楽の場ともなっていたという。なお、九十九王子は、実際に99ちょうどあるわけではなく、多数あることのたとえである。

みどころ
熊野古道のいくつかのルートのうち、最も歩きやすく、参詣道の魅力を誰もが手軽に楽しめるのが中辺路である。なかでも発心門王子から熊野本宮大社の約7km区間は、2時間~2時間半程度で歩き通せる勾配が比較的緩やかな道ということもあり、日帰りでも古道を歩いて熊野本宮大社を参詣することができる人気のコースとなっている。熊野古道沿いには集落が点在しており、宿をとりながら何泊かかけて熊野三山を巡る参詣者も多い。熊野本宮大社の周辺には世界遺産に登録されている「つぼ湯」で有名な湯の峰温泉や、川湯温泉といった温泉郷があり、古道歩きで疲れた足を癒すのも良いだろう。
また、中辺路のうち熊野本宮大社から熊野速玉大社までの約40kmは、熊野川を舟運によって往復することが多く「川の参詣道」*として世界遺産に登録されている。両岸には数多くの伝承が伝わる奇岩怪石が切り立ち、遠景に眺める滝など周囲の自然とともに美しい歴史的景観を醸成している。
自然豊かな紀伊山地に囲まれた熊野古道は四季の変化も美しい。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は時に雪化粧と何度訪れても季節ごとに違った風情が味わえる。遥か千年の時を超え、身分や老若男女を問わずさまざまな想いを受け止めてきた導きの道を、自らの足で踏みしめたい。
また、中辺路のうち熊野本宮大社から熊野速玉大社までの約40kmは、熊野川を舟運によって往復することが多く「川の参詣道」*として世界遺産に登録されている。両岸には数多くの伝承が伝わる奇岩怪石が切り立ち、遠景に眺める滝など周囲の自然とともに美しい歴史的景観を醸成している。
自然豊かな紀伊山地に囲まれた熊野古道は四季の変化も美しい。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は時に雪化粧と何度訪れても季節ごとに違った風情が味わえる。遥か千年の時を超え、身分や老若男女を問わずさまざまな想いを受け止めてきた導きの道を、自らの足で踏みしめたい。

補足情報
*川の参詣道:現在も語り部が同乗する「熊野川舟下り」として保存されており、木船で約90分間の船旅を楽しめる。
関連リンク | 和歌山県世界遺産センター(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
和歌山県世界遺産センター(WEBサイト) 和歌山県立文書館だより 第10号 熊野本宮観光協会(WEBサイト) 中辺路町観光協会(WEBサイト) 新宮市観光協会(WEBサイト) |
2025年02月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。