道成寺
JR紀勢本線道成寺駅から北へ約250mの御坊市と日高川町の町境にある。道成寺の創建は、701(大宝元)年に文武天皇の勅願によって紀道成が建立したと伝える。寺伝によれば、この地は文武天皇の妃藤原宮子が生まれた土地であるとされ、創建にまつわる「髪長姫」の説話が残っている。熊野詣の順路にあたるため、古くから参詣者が多く、全盛期に荘園180余町を有し、僧坊も28を数えたという。ただし、道成寺の名をもっとも高めたのは清姫の悲恋と仏徳を説く道成寺縁起*であった。道成寺縁起は室町中期の作で、縦31.5cm、上下2巻、全長20m余に清姫鐘巻の物語を御伽草子風に描いてある。縁起の絵解きは俗講といわれる説教形式で、巧みな話芸でおもしろおかしく仏徳を語ったので、参詣者はこれを楽しみに当寺に参詣し、物語も庶民の間に広く伝わった。寺運は戦国時代にいったん衰えたが、紀州徳川家の援助を受け、修理が行われた。
仁王門は入母屋造で1691(元禄4)年の再建で、和様に唐様を混用し、後補のあとも多く見られるが、よく整った豪壮な建築である。南北朝時代の建築といわれる本堂は正面7間、側面5間、単層、入母屋造、本瓦葺で規模が大きい。千手観音像を2体祀るため、南面・北面に向拝を設け、前・後面とも正面とされる珍しい建物で、北面は藤原京に対して正面になっているといわれる。1985(昭和60)年から1991(平成3)年にかけて解体修理が実施された。本堂に向かって右側には三重塔があり、3間四方、本瓦葺、白木造で江戸時代の建築である。塔身全体に重厚な装飾が施され、蟇股(かえるまた)には鳥獣人物の彫刻が施されている。現在、本尊の千手観音立像をはじめ、20数体の仏像は昭和時代に建てられた宝仏殿にまつられている。
仁王門は入母屋造で1691(元禄4)年の再建で、和様に唐様を混用し、後補のあとも多く見られるが、よく整った豪壮な建築である。南北朝時代の建築といわれる本堂は正面7間、側面5間、単層、入母屋造、本瓦葺で規模が大きい。千手観音像を2体祀るため、南面・北面に向拝を設け、前・後面とも正面とされる珍しい建物で、北面は藤原京に対して正面になっているといわれる。1985(昭和60)年から1991(平成3)年にかけて解体修理が実施された。本堂に向かって右側には三重塔があり、3間四方、本瓦葺、白木造で江戸時代の建築である。塔身全体に重厚な装飾が施され、蟇股(かえるまた)には鳥獣人物の彫刻が施されている。現在、本尊の千手観音立像をはじめ、20数体の仏像は昭和時代に建てられた宝仏殿にまつられている。

みどころ
62段の石段を登ると朱塗の仁王門に着く。境内に入ると正面に入母屋造の本堂が立ち、護摩堂・三重塔・念仏堂・十王堂・書院などがある。縁起堂では住職らによる安珍清姫の絵とき説法がユーモア交じりで繰り広げられ、整然とした境内に賑やかな笑いを誘う。本堂の北側には秘仏の千手観音が祀られており、33年に一度、春の33日間のみ御開帳が行われる。
1300年以上の歴史がある道成寺には、いくつもの不思議が隠されている。その数々の不思議、そこにこめられた仏法と歴史のイメージをまとめたものが「道成寺の七不思議」として敷地内に7つの立て看板に示され、七不思議を巡るのも楽しい。
入相桜と呼ばれる桜の木があり、春になると美しく咲き乱れる。付近には、安珍清姫の伝説にまつわる安珍塚・蛇塚・鐘楼跡などがある。
1300年以上の歴史がある道成寺には、いくつもの不思議が隠されている。その数々の不思議、そこにこめられた仏法と歴史のイメージをまとめたものが「道成寺の七不思議」として敷地内に7つの立て看板に示され、七不思議を巡るのも楽しい。
入相桜と呼ばれる桜の木があり、春になると美しく咲き乱れる。付近には、安珍清姫の伝説にまつわる安珍塚・蛇塚・鐘楼跡などがある。

補足情報
*道成寺縁起:928(延長6)年の物語といわれる。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物語」の悲恋は「法華験記」に記され、「道成寺物」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られている。
関連リンク | 天音山道成寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
天音山道成寺(WEBサイト) 日高川町観光協会(WEBサイト) 日本風景街道 熊野 ~シーニックバイウェイ紀南~(国土交通省 近畿地方整備局 紀南河川国道事務所)(WEBサイト) 歴史散歩㉚和歌山県の歴史散歩(山川出版社) |
2025年02月現在
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