丹生都比売神社
丹生都比売神社は、JR和歌山線笠田駅より南東へ約10kmの山間にある。金剛峯寺と慈尊院を結ぶ町石道の中間地点に位置し、丹生都比売神社の参拝後に高野山へ登ることが慣習とされていた。
主祭神の丹生都比売大神は、天照大神の妹神で高野山の地主神であり、空海に伽藍の土地を譲り、高野山の総鎮守になったとされる。丹生都比売は、古来魔除と神聖視される丹(水銀朱)をつかさどる神とされ、神功皇后の新羅遠征に際し、丹を授けて武装と軍船を赤く染め、軍威を高めたとの言い伝えがある。丹からは水銀が精製されることから「水銀の神」としての性格をもち、各地の水銀鉱脈には、丹生都比売を祀る社や「丹生」の地名が多くみられる。また、元寇において出陣し、モンゴルの大軍を退けたと伝わり、鎌倉幕府より保護され、武神としても信仰された。
静かな山里に包まれた神域は幽邃で、池に架かる輪橋(太鼓橋)の先には、堂々たる楼門が聳え、その奥には四殿からなる本殿が鎮まる。元寇の際に鎌倉幕府が奉納したとされる国宝「銀銅蛭巻太刀拵」をはじめ、社宝として多くの貴重な文化財を有している。2004(平成16)年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」へ登録された。
主祭神の丹生都比売大神は、天照大神の妹神で高野山の地主神であり、空海に伽藍の土地を譲り、高野山の総鎮守になったとされる。丹生都比売は、古来魔除と神聖視される丹(水銀朱)をつかさどる神とされ、神功皇后の新羅遠征に際し、丹を授けて武装と軍船を赤く染め、軍威を高めたとの言い伝えがある。丹からは水銀が精製されることから「水銀の神」としての性格をもち、各地の水銀鉱脈には、丹生都比売を祀る社や「丹生」の地名が多くみられる。また、元寇において出陣し、モンゴルの大軍を退けたと伝わり、鎌倉幕府より保護され、武神としても信仰された。
静かな山里に包まれた神域は幽邃で、池に架かる輪橋(太鼓橋)の先には、堂々たる楼門が聳え、その奥には四殿からなる本殿が鎮まる。元寇の際に鎌倉幕府が奉納したとされる国宝「銀銅蛭巻太刀拵」をはじめ、社宝として多くの貴重な文化財を有している。2004(平成16)年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」へ登録された。

みどころ
鳥居は両部鳥居と呼ばれる、神仏習合の神社によくみられる様式。鳥居、そして淀君寄進と伝わる輪橋は、楼門・本殿とともに丹塗りで統一され、緑に包まれた境内によく映える。
一間社春日造・檜皮葺の本殿四殿と入母屋造・檜皮葺の楼門は、室町期の造営で重要文化財の指定を受けている。
本殿前に並ぶ御札は、高野山の僧侶が納めたもの。高野山との密接な関係が続き、神仏習合のかたちが今なお息づいていることが、境内の各所でうかがえる。
修験道の霊場として、日本遺産「葛城修験」にも登録されており、鎌倉から室町期に修験者が建立した四基の石造卒塔婆が現存している。
祭神の高野御子大神の使いの白黒二頭の犬が空海を高野山へ導いたとの伝説から、この「みちびきのご神犬」にちなんだ授与品が親しまれている。
一間社春日造・檜皮葺の本殿四殿と入母屋造・檜皮葺の楼門は、室町期の造営で重要文化財の指定を受けている。
本殿前に並ぶ御札は、高野山の僧侶が納めたもの。高野山との密接な関係が続き、神仏習合のかたちが今なお息づいていることが、境内の各所でうかがえる。
修験道の霊場として、日本遺産「葛城修験」にも登録されており、鎌倉から室町期に修験者が建立した四基の石造卒塔婆が現存している。
祭神の高野御子大神の使いの白黒二頭の犬が空海を高野山へ導いたとの伝説から、この「みちびきのご神犬」にちなんだ授与品が親しまれている。
関連リンク | 丹生都比売神社(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
丹生都比売神社(WEBサイト) かつらぎ町観光協会(WEBサイト) 和歌山県公式観光サイト(公益社団法人 和歌山県観光連盟)(WEBサイト) 和歌山県の歴史散歩(山川出版社) |
2025年02月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。