金剛峯寺こんごうぶじ

和歌山市から東へ約50km、大阪市から南へ約80kmの山上盆地に広がる高野山のほぼ中央に位置するのが、3,600寺を有する高野山真言宗の総本山、金剛峯寺である。真言宗の宗祖空海・弘法大師が、ここに伽藍を建立して以来1200年あまり、幾度かの浮沈の波を乗り越えて法燈を守り、宗派を越えた霊場として今日に至っている。
 高野山は「一山境内地」と称し、平安時代中期の奥之院造営以来、金剛峯寺とは高野山内のすべてを包括した名称であった。ところが1868(明治元)年、青厳寺が金剛峯寺と改称し、翌年興山寺と合併して高野山を代表する寺院となったことから、狭義では高野山真言宗の総本山や山内最高位の座主の住坊を指すようにもなった。現在の境内はかつて、833(天長10)年に空海から高野山を引き継いだ弟子・真然の住坊があった場所である。興山寺と青厳寺は、豊臣秀吉が木食応碁に命じてそれぞれ1590(天正18)年と1593(文禄2)年に建立させた寺で、金剛峯寺となるまで高野山の中心寺院であった。
 高野山と豊臣秀吉の所縁は深く、金剛峯寺の寺紋は豊臣秀吉が寄進した青厳寺の寺紋である桐と、高野山の鎮守・丹生都比売神社の定紋である巴のふたつを持って表される。正門(表門)は秀吉の時代に建てられた金剛峯寺で特に古い建造物である。また、金剛峯寺の主殿は高野山最大の建造物で、堂々としながらも簡素な佇まいとは裏腹に、寺内には名だたる絵師が腕を振るった襖絵や歴史上にまつわる部屋が残り、高野山の伝統と格式を感じることができる。
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みどころ

金剛峯寺の境内ではいたるところに歴史や伝統を感じられる。特に、重要な儀式や法会が行われる大広間は見逃せない。襖には狩野法眼元信の筆と伝えられる群鶴図が金色の背景に描かれている。正面奥にある持仏間は、一般家庭における仏間で、本尊の弘法大師像などが奉安されている。大広間で行われる年中行事には、2月の常楽会や4月の仏生会などがあるが、常楽会は一般の参詣者も大広間隣の囲炉裏の間(土室)にて講式に耳を傾けることができる。なお、土室とは「土を塗り固めて作った部屋」を示すが、これは寒さが非常に厳しい高野山寺院ならではの工夫である。暖をとるための工夫として土壁で囲んだ部屋の中に囲炉裏を設け、できるだけ保温効果を高め、風寒をしのいだという。境内にはほかにも、檜皮葺の屋根を守る天水桶と呼ばれる防火設備や大勢の僧侶の食事を賄ってきた台所など、随所に建造物としての工夫がみられ、粋を極めた寺院建築にも注目したい。
関連リンク 高野山真言宗 総本山金剛峯寺(WEBサイト)
参考文献 高野山真言宗 総本山金剛峯寺(WEBサイト)
和歌山県公式観光サイト(公益社団法人 和歌山県観光連盟)(WEBサイト)
文化遺産オンライン(文化庁)(WEBサイト)
JTBの新日本ガイド17 南紀 伊勢 志摩
「高野山を知る一〇八のキーワード」高野山インサイトガイド制作委員会

2025年02月現在

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