千葉県
印刷する冬暖かく夏涼しい海洋性の温暖な気候で、特に南房総沿岸は沖合を流れる暖流(黒潮)の影響を受け、冬でもほとんど霜が降りない。そのため、多種多様な農業が盛んに行われている。また、周辺に変化に富んだ豊かな漁場を有しており、漁業や養殖などが盛んに行われている。
江戸時代になると、醤油造りなどが盛んになるとともに、利根川東遷事業に伴い水運が発達し、物資の集散地が栄えた。
九十九里浜や外房の沿岸漁業では、イワシやアジの水揚げが盛んに行われている。そのアジの鮮度を身上とする房総半島沿岸部の郷土料理の代表が、なめろう(アジのたたきなます)である。 調理方法は、まず取りたてのアジの皮をむき、少々味噌を加えながら包丁でたたく。たたくのは、とても忙しい漁師たちが船の上で魚を食べやすくするため...
銚子漁港は銚子市街の北側、利根川河口及び太平洋に面した場所に位置する。本港の第1魚市場が1932(昭和7)年に完成して以来、地元漁船はもちろん、北は北海道から南は沖縄にいたる沖合漁船の一大基地として発展を遂げてきた。現在の魚市場用地の総面積は約4万m2で、第1~第3の卸売市場で構成される。 漁港の沖合では、暖流「...
吉高の大桜は、印西市吉高地区にある樹齢300年を超える孤高の一本桜(ヤマザクラ)である。樹高10.6m、根回り周囲6.85m、枝張最大幅25.8mで、開花の時期(4月上旬~中旬)にはピンク色の小山のような景観を見せる。 根元周囲は、所有者である須藤家の祭祀場(氏神)として周辺よりも1m程度小高く塚状に盛土されている。 通常、ソメイヨ...
内浦湾の東側、誕生寺の門前から南方1kmあまりの弁天島・入道ヶ岬にわたる一帯には、多くの鯛が生息する。 日蓮聖人*が誕生した際には鯛が集まり、波間を飛びはねて祝ったと言われており、また聖人がこの浦に船を浮かべて払子(ほっす)で海の上に「南無妙法蓮華経」の題目を書くと、たちまちたくさんの鯛が集まり波の上の題目をのみこんで...
日蓮聖人*の生まれた地であることを記念して建立された寺で、日蓮宗の大本山である。1276(建治2)年、日蓮の弟子日家上人が上総興津(かずさおきつ)城主佐久間兵庫守重偵(さくまひょうごのかみしげさだ)の助けを受け建立した。ところが、1498(明応7)年の地震の際に津波で流失し、鯛の浦(妙の浦)を望む地に再建されたが、1703(元禄1...
清澄寺は、清澄山(きよすみやま)の頂上近くに位置する。天津・小湊周辺には日蓮聖人*にゆかりの寺が多いが、その中でももっともゆかりの深い寺である。 771(宝亀2)年、不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれる。836(承和3)年、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖・慈覚大師円仁師がこの地を訪れ修行したことから、天台宗の寺...
鋸山は、富津市と鋸南町の境にそびえ、清澄山地の西端にあたる。文字どおり鋸の歯のような険しい稜線で、昔から東京湾に入る船の目じるしとされていた。頂上から山裾は一気に海へ落ち込んでおり、かつて房州石を切り出した石切場跡が絶壁となって随所に残っている。頂上には、360度の展望が得られる「十州一覧台」(じゅっしゅういちらんだい...
香取神宮は、佐原の町並みの東側、老杉生い茂る「香取神宮の森」と呼ばれる地に鎮座する。御祭神・経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、天孫降臨の折、鹿島神宮の御祭神・武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)と共に出雲へ赴き、大国主神(おおくにぬしのみこと)との国譲りの交渉を成功させた。それ故に、国家鎮護の神として奉祀されてい...
古い家並みを残す佐原は、江戸時代から利根川水運の中継地として発展し、商人の町として栄えた。町中を流れる小野川沿いや香取街道沿いには、江戸時代から昭和期に至るまでの町屋や土蔵、レンガ造りなど情緒漂う建物が多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されている。それらの建物の多くは、現在も活用されてい...
毎年4月に行われる神幸祭*は、約800年の昔から伝わる祭事である。香取神宮の祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が東国を平定したときの様子を表すものであり、200人規模の氏子が平安時代さながらの装束を身にまとい、行列を組んで神宮の周りを歩く。途中、表参道入口の駐車場で祭典を行い、社殿へと戻る。祭典の前には、香取神道流...
「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町 江戸優り」と唄われた佐原では、商業都市としての財力を背景に、独自の文化を築いた。毎年夏と秋に行われる「佐原の大祭」もその1つである。 佐原にある24地区は、それぞれ山車を有しており、最上部の「大天井」と呼ばれる部分には、日本神話も含む歴史上の人物の人形や鯉・鷹といった動物の藁...
水郷佐原あやめパークは、利根川の北、与田浦(よだうら)に接する約8haの広さを有する公園である。1969(昭和44)年に「佐原市立水生植物園」として開園し、2017(平成29)年6月のリニューアルオープンに伴い、現在の名称となった。 園内には、水郷のイメージをもとに、島や橋、水面などを配置している。また、展望台、森の遊び場、ドッ...
1983(昭和58)年に開館した国立歴史民俗博物館は、緑豊かな佐倉城址の一郭に位置する。アイボリーとグレーのモダンな鉄筋コンクリート造の建物で、敷地面積は約13万m2、延床面積は約3.8万m2を誇る。日本の歴史と文化について総合的に研究・展示する博物館で、先史・古代から現代に至るまでの歴史と日本人の民俗世界を...
DIC川村記念美術館は、1990(平成2)年5月にDIC株式会社総合研究所の敷地内にオープンした美術館である。創業家二代目の川村勝巳が発起人となりDIC株式会社およびその関連会社が集めた17世紀のレンブラントを筆頭にモネ、ルノワール、シャガール、ピカソらによるヨーロッパ近代絵画、20世紀アメリカ美術、日本の現代美術などを収蔵。ステラの...
航空科学博物館は成田空港の南側に隣接しており、敷地面積は約5万2,000m2、延床面積は3,750m2を有する。1989(平成元)年8月に開館した。 館内では、ボーイング747のパーツ(主翼、エンジン、胴体、客室、タイヤなど)などを展示するほか、DC-8フライト体験(有料・要整理券)などを行うことができる。このほか、...
市原市北部に位置する上総国分尼寺跡は、741(天平13)年の聖武天皇の詔によって全国に建てられた国分尼寺*の一つである。寺域は南北が372m、東西は北辺が285m、面積は約123,000m2に及び、全国の国分尼寺の中でも最大級の規模である。伽藍*は寺域の南西寄りにあり、南北200m、東西170mとなっている。 これまでの発掘調査によ...
市原ぞうの国は、千葉県のほぼ中央に位置する。1989(平成元)年に開園し、敷地面積は3.5haに及ぶ。開園当初は「山小川ファーム動物クラブ」だったが、1996(平成8)年に現在の名称となった。 国内最多飼育数(13頭)を誇るぞうをはじめ、カピバラ、カバなど約100種類の動物が暮らしている。アトラクションも豊富で、サッカーやダンスなど...
谷津干潟は、東京湾の最奥部に残された約40haの面積を持つ干潟である。かつては東京湾の最奥部に位置する広大な干潟の一部だったが、1971(昭和46)年に始まった周辺の干潟の埋め立てにより長方形の形状で取り残され、1974(昭和49)年頃から「谷津干潟」と呼ばれるようになった。市民を中心に谷津干潟の保護運動が起こり、1988(昭和63)年...
成田山新勝寺は、全国に8ケ所の別院のほか、60以上の分院・末寺・末教会・成田山教会を有する真言宗智山派の大本山である。境内、公園をあわせた面積は22万m2に及び、国指定重要文化財である仁王門、三重塔、光明堂、釈迦堂、額堂をはじめ、多くの堂宇や美術館、図書館などを有する。 大本堂の裏の丘陵地には、16万5,000m...
加曽利貝塚は、直径140mの環状である縄文時代中・後期の北貝塚と、直径190mで馬蹄形をした縄文時代後・晩期の南貝塚が8字形に連結した、日本最大級の貝塚である。貝塚やその周辺からは多数の住居跡が発見されており、この地域の中核的な「ムラ」の跡が拡がっている。2017(平成29)年に、縄文時代の遺跡としてはわが国で4箇所目となる国指定特...
中山競馬場は、日本中央競馬会(JRA)が管理・施行する競馬場である。敷地総面積は約68万m2で、芝コース、ダートコース、障害コースが設定されていて、リフレッシュ工事を実施しリニューアルしたスタンドや馬を間近にみることができるグランプリロード、大型ビジョンが設置されたメディアホール等を有する他、隣接するけやき公苑...
飯高寺(飯高檀林跡)は、匝瑳市北部の舌状台地上に立地する。境内の面積は約68,000m2で、全体が千葉県の史跡に指定されている。 1580(天正8)年から1874(明治7)年までの294年間、日蓮宗僧侶の学問所である檀林(だんりん)*として存在し、多くの僧侶を輩出した。最盛期には、600~800人の学僧が集まったと言われている。...
麻綿原高原は、大多喜町の南西部、鴨川市と君津市との境付近にある高原である。勝浦付近の海岸から蜿々と続く九十九里浜を一望でき、また房総の山々を望むことができる。 アジサイの咲く高原として知られる。「天拝園(てんぱいえん)」と名付けられた妙法生寺(みょうほうしょうじ)境内を中心に、2万株ものアジサイが高原の斜面を埋めて...
房総半島のほぼ中央に位置する大多喜町は、城下町として栄えてきた町であり、中世には「小田喜」と呼ばれていた。戦国時代に入ると、長南の武田氏、里見氏の武将である正木氏などが支配し、北条氏滅亡後は徳川四天王の一人である本多忠勝*が領有した。本多忠勝は、里見氏の攻撃に備え、城を強化し城下町の整備を行った。明治以降は合併を繰...
犬吠埼は、銚子半島の最東端、太平洋に突き出た岬である。三方を海に囲まれた高さ約20mの海食台地で、複雑な地質構造を示す古生層・中生層からなっている。植物は、コウボウムギ、ハマエンドウ等の砂浜植物のほか、ハチジョウススキ、トベラ等の風衝面群落がみられる。動物は、ウミウ、ウミネコ、オオハム、アビ、カモメ等が生息している。 ...
町の北西端に位置する笠森寺は、坂東三十三観音霊場の第31番札所であり、「笠森観音」の名で親しまれている。開創は784(延暦3)年、最澄によると伝えられており、観音堂*は後一条天皇の勅願によって1028(長元元)年に建立されたといわれる。 山頂の巨岩の上に建てられた観音堂は、日本でただひとつの『四方懸造り』として、国の重要文...
冬でも比較的温暖である南房総エリアでは、12~4月にかけて、水仙、ポピー、金魚草、ストック、キンセンカ、菜の花、桜などの花を楽しむことができる。また、花を購入したり摘んだりすることができる施設も整備されている。
マザー牧場は、東京湾や富士山を望む鹿野山の南西、標高約300mの山頂に位置する観光牧場である。開業は1962(昭和37)年で、250haという広大な敷地内に、牛、馬、羊、アルパカ、ミニブタ、アヒルなど様々な動物が暮らしている。また、場内各所には花畑が広がり、350万本の菜の花、30万本のサルビア、10万株のスイセン、2万5,000株のペチュニ...
茂原公園は、茂原市のほぼ中央に位置する。開設は昭和の初期で、面積は約16万m2に及ぶ。公園内には、用水池として造られた弁天湖をはじめ、弁天堂、展望広場、遊歩道、美術館・郷土資料館などが配置されている。 また、約2,850本もの桜をはじめ、梅、ツツジ*、もみじ等の四季を通じて楽しめる様々な樹木が公園内に植えられて...
東京湾アクアラインは、川崎側から約10kmのシールドトンネル、木更津側から約5kmの橋梁、トンネルと橋梁の接続部に設置された人工島(海ほたるパーキングエリア)、および換気用の人工島(風の塔)で構成される、1997年(平成9年)12月18日に開通した自動車専用の有料道路。 東京湾アクアラインは、民間企業と地方自治体、日本道路公団が...
銚子の醤油づくりは、江戸時代に本格的に始まった。1616(元和2)年に、三代目田中玄蕃(たなかげんば)*が醤油造りを開始した。一方、紀州(和歌山県)出身の初代濱口儀兵衛(はまぐちぎへえ)は、1645(正保2)年に湯浅で行われていた醤油造りの技法を銚子に持ち込み、醤油造りを始めた。 黒潮(暖流)と親潮(寒流)が沖合でぶつかる...
大山千枚田は、鴨川市の西部、面積約3.2haの急傾斜地に階段のように連なる、大小375枚の田んぼの総称である。東京から一番近い棚田として知られており、耕地整理が遅れたことで美しい姿が残されている。 大山千枚田は日本で唯一、雨水のみで耕作を行っている天水田である。そのため、動植物も貴重なものが多く生息しており、生物多様性の...
成田祇園祭は、成田山新勝寺のご本尊不動明王の本地仏である奥之院に奉安された「大日如来」に五穀豊穣・万民豊楽・所願成就を祈願する「成田山祇園会」と、成田山周辺の町内が一体となり行われる夏祭りで、約300年の歴史がある。毎年7月初旬に開催される。見事な彫刻や装飾で彩られた10台の山車・屋台と御輿1台が繰り出し、3日間にわたって...
富津岬は、富津市の北部に位置し、東京湾上にツルのくちばしのように突出する岬である。約5kmの細長い砂嘴(さし)で形成されており、わずか約10kmの海上を挟んで相対する三浦半島観音崎とともに東京湾の入口をなしている。 江戸時代に白河藩・松平定信が幕府より房総の海岸防備を命ぜられ、富津台場に砲台を築いた。明治時代になると、外...