上総国分尼寺跡かずさこくぶんにじあと

市原市北部に位置する上総国分尼寺跡は、741(天平13)年の聖武天皇の詔によって全国に建てられた国分尼寺*の一つである。寺域は南北が372m、東西は北辺が285m、面積は約123,000m2に及び、全国の国分尼寺の中でも最大級の規模である。伽藍*は寺域の南西寄りにあり、南北200m、東西170mとなっている。
 これまでの発掘調査により、伽藍の施設内容をはじめ、尼寺を構成していた施設の存在も判明している*。
 市原市は、この貴重な文化遺産を後世に伝え、ふるさとの歴史や文化を見直し体験できる場としての史跡の整備を1990(平成2)年度から進めており、中門や回廊などを復元した。また、1993(平成5)年7月に、史跡上総国分尼寺跡展示館を開館した。今後も、建造物の復元や修景等に取り組む予定である。
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みどころ

建設当時の面積は約12万3,000m2で、広大な面積に驚愕する。かつてはこの地が上総の政治・文化の中心地であったことを認識できる。また、当該施設の発掘調査により、日本の国分尼寺の施設内容等が判明したという事実を知ることができる。
 展示館では、映像及び模型を用いた説明を行っている。特に、模型を用いた説明には工夫が施されており、復元されている中門及び回廊とあわせて見ることで、往時の姿をイメージしやすくなる。
 また、展示館では近接する上総国分寺跡(国指定史跡、七重塔跡など)の展示・解説も行っているので、あわせて訪れるとより理解が深まる。(牧野 博明)
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補足情報

*国分寺:741(天平13)年に聖武天皇の詔によって全国に建立された僧寺で、正式名称は「金光明四天王護国之寺」。
*国分尼寺:741(天平13)年に聖武天皇の詔によって全国に建立された尼寺で、正式名称は「法華滅罪之寺」。
*上総国分尼寺の伽藍は、主に、金堂、講堂、鐘楼、経楼、回廊、中門、北門などで構成されている。
*上総国分尼寺を構成していた施設は、主に、大衆院(尼僧の日常生活の場)、政所院(寺の事務を執る場)、修理院(建物の修理を行う工房)、薗院・花苑院(薬草・野菜・花などを栽培)、賎院(寺の雑務などに従事する人の居住スペース)などである。
関連リンク 市原市(WEBサイト)
参考文献 市原市(WEBサイト)
千葉県(WEBサイト)

2020年04月現在

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