成田山新勝寺なりたさんしんしょうじ

成田山新勝寺は、全国に8ケ所の別院のほか、60以上の分院・末寺・末教会・成田山教会を有する真言宗智山派の大本山である。境内、公園をあわせた面積は22万m2に及び、国指定重要文化財である仁王門、三重塔、光明堂、釈迦堂、額堂をはじめ、多くの堂宇や美術館、図書館などを有する。
 大本堂の裏の丘陵地には、16万5,000m2の面積を誇る成田山公園がある。園内には、梅、桜、つつじ、藤、菊、紅葉など多数の花樹が植えられており、また雄飛の滝、文殊・龍樹・龍智と呼ばれる3つの池、西洋庭園などを設けている。さらに、池のほとりにたたずむ書道美術館は、江戸末期から現代までの書作品や資料などを多数収蔵している。
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みどころ

JR・京成成田駅から総門に至るまでの参道には、多くの土産物店や飲食店などが両側に並び、賑やかな雰囲気を体感できる。他方、荘厳な総門を通り抜け、石段をのぼり仁王門をくぐると、雰囲気は一変して厳かなものになる。正面には大本堂が美しいシンメトリーを描いて立ち、本堂に向かって右手に三重塔や鐘楼が、左手にはかつての本堂であった釈迦堂がそびえる。そして左手から奥に進んでいくと、額堂、開山堂、光明堂、醫王殿、平和大塔などが立ち並ぶ。
 各堂宇の魅力を存分に楽しむかたわら、境内及び参道には現在の大本堂のほかに、旧本堂(安政の本堂は現在の釈迦堂(1858(安政5)年建立)、元禄の本堂は現在の光明堂(1701(元禄14)年建立)、明暦の本堂は現在の薬師堂(1655(明暦元)年建立))が存在するので、それらを巡りながら歴史の流れを感じたい。また、公園内を散策しながら歌舞伎など日本の芸術や文化について想いを馳せるのも良い。(牧野 博明)
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補足情報

*成田山が開山したのは940(天慶3)年である。939(天慶2)年、常陸・下総の国々を中心に平将門の乱が起こり、これを憂慮した朱雀天皇は寛朝大僧正に命じて、山城国(京都)高雄山神護寺護摩堂に奉じられていた不動明王を下総国公津が原(現成田市公津)に移し、21日間、戦乱鎮護の御護摩を修めさせた。乱が平定すると、天皇は国司に東国鎮護の霊場として堂宇を建立させ、寺号として新勝寺を授けた。1180(治承4)年には、源頼朝が平家追討の祈願に訪れ、1674(延宝2)年には徳川光圀が参詣した。1688(元禄元)年には初代市川團十郎が御本尊の霊徳により一子九蔵(二代目團十郎)を授かったとされている。そして元禄年間(1688~1704年)に江戸深川にて出開帳が行われ、1878(明治5)年に深川に成田山東京別院(深川不動尊)が置かれるなど、急速に成田山信仰は拡大していった。
*成田詣でには、1897(明治30)年の成田鉄道(佐倉~成田間)の開業による総武鉄道(本所(現錦糸町)~佐倉間)とをあわせたルートの完成、1901(明治34)年の成田鉄道(成田~我孫子間)の全通による日本鉄道(上野~我孫子間)とをあわせたルートの完成、1926(大正15)年の京成電気軌道(押上~成田間)の開通によるルートの完成など、交通手段の変遷が新たな需要創出につながるなど大きく影響を及ぼしている。
*関東三大本山:弘法大師を宗祖、興教大師 覚鑁を開祖とする真言宗智山派の関東にある三大本山、「成田山 新勝寺(千葉県成田市)」「川崎大師 平間寺(神奈川県川崎市)」「高尾山 薬王院(東京都八王子市)」のこと。
関連リンク 成田山新勝寺(WEBサイト)
関連図書 平山昇著『鉄道が変えた社寺参詣』交通新聞社、2012年10月
参考文献 成田山新勝寺(WEBサイト)
パンフレット「成田山新勝寺」

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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