清澄寺
清澄寺は、清澄山(きよすみやま)の頂上近くに位置する。天津・小湊周辺には日蓮聖人*にゆかりの寺が多いが、その中でももっともゆかりの深い寺である。
771(宝亀2)年、不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれる。836(承和3)年、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖・慈覚大師円仁師がこの地を訪れ修行したことから、天台宗の寺となった。1233(天福元)年、日蓮聖人(当寺は善日麿)が12歳のときこの寺に入り僧侶となり、「薬王丸(やくおうまる)」と改名した。16歳で正式に出家得度し、「是聖房蓮長」と号した。その後諸国で修行を行い、1253(建長5)年に帰山し、本堂の南にある旭が森で「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えたのが立教開宗と伝えられており、この時に名を「日蓮」に改めた。大正期に入り、日蓮聖人の銅像が完成すると、真言宗宗智山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いが持たれるようになり、1949(昭和24)年に日蓮宗に改宗した。
境内には、祖師堂、大堂(本堂)、本院、宝物館*、観音堂、練行堂、仁王門、日蓮聖人銅像、国の天然記念物「清澄の大スギ(千年杉)*」などがある。また、宿坊が備わっており、体験や研修を行うことも可能である。
771(宝亀2)年、不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれる。836(承和3)年、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖・慈覚大師円仁師がこの地を訪れ修行したことから、天台宗の寺となった。1233(天福元)年、日蓮聖人(当寺は善日麿)が12歳のときこの寺に入り僧侶となり、「薬王丸(やくおうまる)」と改名した。16歳で正式に出家得度し、「是聖房蓮長」と号した。その後諸国で修行を行い、1253(建長5)年に帰山し、本堂の南にある旭が森で「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えたのが立教開宗と伝えられており、この時に名を「日蓮」に改めた。大正期に入り、日蓮聖人の銅像が完成すると、真言宗宗智山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いが持たれるようになり、1949(昭和24)年に日蓮宗に改宗した。
境内には、祖師堂、大堂(本堂)、本院、宝物館*、観音堂、練行堂、仁王門、日蓮聖人銅像、国の天然記念物「清澄の大スギ(千年杉)*」などがある。また、宿坊が備わっており、体験や研修を行うことも可能である。
みどころ
仁王門をくぐり、背の高い杉の木立で埋まった境内に入ると、正面にある清澄の大スギが目に入り、その大きさに圧倒される。そして入り口左手にある大堂(本堂)や祖師堂には厳かな雰囲気が漂う。
そして清澄の大スギの横を通り、もう一つの神聖なる場所である旭が森へ向かうと、日蓮聖人の銅像が迎えてくれる。立教開宗の場とされる旭が森の高台にのぼると、安房の山々を見渡すことができる。(牧野 博明)
そして清澄の大スギの横を通り、もう一つの神聖なる場所である旭が森へ向かうと、日蓮聖人の銅像が迎えてくれる。立教開宗の場とされる旭が森の高台にのぼると、安房の山々を見渡すことができる。(牧野 博明)
補足情報
*日蓮聖人:1222(貞応元)年2月16日に、小湊片海の地に降誕した。幼名を善日麿といい、12歳までこの地で暮らした。その後、清澄寺に移った。
*宝物館:寺に伝わる平安時代からの仏像・仏画・什器・古文書などを展示している。
*清澄の大スギ(千年杉):高さ約47m、幹周りは約15m、根廻りの太さ約17.5mで、樹齢およそ1,000年の杉の木。1954(昭和29)年の台風により、隣に立っていた杉が倒れ、その際に南側に出ていた大きな枝が折られた。幹の内部の空洞があり、祠となっている。杉の巨木としては、わが国でも屈指のものである。
*宝物館:寺に伝わる平安時代からの仏像・仏画・什器・古文書などを展示している。
*清澄の大スギ(千年杉):高さ約47m、幹周りは約15m、根廻りの太さ約17.5mで、樹齢およそ1,000年の杉の木。1954(昭和29)年の台風により、隣に立っていた杉が倒れ、その際に南側に出ていた大きな枝が折られた。幹の内部の空洞があり、祠となっている。杉の巨木としては、わが国でも屈指のものである。
関連リンク | 清澄寺(WEBサイト) |
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参考文献 | 清澄寺(WEBサイト) |
2020年04月現在
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