富津岬ふっつみさき

富津岬は、富津市の北部に位置し、東京湾上にツルのくちばしのように突出する岬である。約5kmの細長い砂嘴(さし)で形成されており、わずか約10kmの海上を挟んで相対する三浦半島観音崎とともに東京湾の入口をなしている。
 江戸時代に白河藩・松平定信が幕府より房総の海岸防備を命ぜられ、富津台場に砲台を築いた。明治時代になると、外国艦隊の東京湾侵入に備え、陸軍省は岬の先にあたる海上に3つの東京湾海堡(とうきょうわんかいほう)*を設置するとともに、岬の根元に富津元洲堡塁砲台*を備えた。このように、当地は第二次世界大戦終了まで、要塞地帯としての役割を担った。
 現在は岬全体が松林の富津公園となっており、海水浴・潮干狩り・釣り・キャンプ・遊歩道の散策などを楽しむことができる。岬の先端部分には、五葉松をアレンジした形の「明治百年記念展望塔」が設置されており、360度見渡すことができる。海岸砂丘には、多種類の海浜植物が群落をつくっている。
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みどころ

東京湾の入り口に位置し、地形特性を有していたことから、かつては東京(その昔は江戸)を守る要塞としての役割を担っていたという点が特徴的である。現在も一部の遺構が残されており、当時の様子を窺い知ることができる。現在は、自然を活かしたスポーツやレクリエーション、憩いの場として活用されており、遠くに三浦半島を臨むことができる。(牧野 博明)
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補足情報

*東京湾海堡(とうきょうわんかいほう):海堡とは、人工の島に造られた砲台。東京湾海堡は、明治時代に陸軍省によって3つ設置された。古い順に、第一海堡(富津市、23,000m2)、第二海堡(富津市、41,000m2)、第三海堡(横須賀市、26,000m2)と名付けられた。このうち、第三海堡は航路の安全を図るため、2000(平成12)年から2007(平成19)年にかけて撤去工事が行われた。
*富津元洲堡塁砲台:堡塁とは、コンクリートで築かれた要塞を指す。富津元洲堡塁砲台は、明治時代に陸軍省によって富津岬の根元である元洲に設置された。1895(明治28)年には、東京湾要塞司令部が発足し、富津元洲堡塁砲台にも歩兵中隊が配置された。外堀を備えた城郭風の施設であったが、期待された役割が果たせないまま終戦を迎えた。
関連リンク 富津市(WEBサイト)
参考文献 富津市(WEBサイト)
東京湾海堡説明板(富津岬)

2020年04月現在

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