鋸山・日本寺のこぎりやま・にほんじ

鋸山は、富津市と鋸南町の境にそびえ、清澄山地の西端にあたる。文字どおり鋸の歯のような険しい稜線で、昔から東京湾に入る船の目じるしとされていた。頂上から山裾は一気に海へ落ち込んでおり、かつて房州石を切り出した石切場跡が絶壁となって随所に残っている。頂上には、360度の展望が得られる「十州一覧台」(じゅっしゅういちらんだい)、垂直の断崖上から東京湾や富士山が見渡せる「地獄のぞき」などの展望ポイントがある。
 日本寺は、鋸山の南側斜面に約33万m2(約10万坪)の面積を有する寺である。725(神亀2)年に聖武天皇の勅願によって行基が開創した古刹で、最盛期には7堂・12院・100坊の立ち並ぶ大寺であったが、南北朝の戦乱で焼失した。その後、江戸時代中期に再建されたが、1939(昭和14)年に再び火災に遭い、本堂や大黒堂などを失った。なお、大黒堂は2005(平成17)年、薬師本殿(醫王殿)は2007(平成19)年にそれぞれ再建されている。
 境内は大きく5つのエリアに分かれている。「山頂エリア」には百尺観音像、「羅漢エリア」にはあわせて1,500の羅漢石像群*、「大仏広場」には、薬師瑠璃光如来坐像(やくしるりこうにょらいざぞう)*の大仏、「中腹エリア」には、復元された薬師本殿や大黒堂、国指定重要文化財の日本寺鐘*など、「表参道エリア」には、仁王門、観音堂などがある。
 アクセス方法として、電車や東京湾フェリーを利用する場合は鋸山ロープウェイもしくは表参道からの徒歩になり、自動車の場合は鋸山登山自動車道もしくは鋸山観光自動車道を利用する。
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みどころ

鋸山は石材が少ない房総地域において貴重な石切場であり、かつて市原市に存在した上総国分寺*の七重塔の礎石はここの石が切り出されたものである。下から見上げると、視認性を高める険しい稜線や石切場の痕跡を確認することができ、この山の重要性を痛感する。その一方で山頂からは、東京湾及び三浦半島、さらには富士山の姿を目にすることができる。
 その南側斜面にある日本寺は、木々に覆われて目立ちにくいなかにおいて、大仏広場前に出ると突然巨大な石仏が表れ、迫力を感じる。また、麓と山頂の間の高低差約300mの山中に建物や石像などがあり、全箇所を制覇するには相応の体力が求められる。(牧野 博明)
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補足情報

*東海千五百羅漢(とうかいせんごひゃくらかん):当山9世の愚伝禅師の発願により、1779(安永8)年~1798(寛政10)年にかけて、上総国桜井の名工大野甚五郎らが刻んだ1,553体の石仏。風食岩窟の窪に沿って、30cm~1mの大きさの石仏が並ぶ。鋸山の山腹に点在しており、ひとまわり(徒歩)に約20分を要する。
*薬師瑠璃光如来坐像(大仏):1969(昭和44)年に復元工事によって再現した日本寺の本尊。石造の露座の大仏で、高さ31.05m、丈21.3mに及び、奈良・鎌倉の大仏を上回る日本最大の磨崖仏である。原型は1783(天明3)年、大野甚五郎が門弟とともに3ヵ年を費やして完成させたものであったという。
*日本寺鐘:鐘銘には、初めに下野国佐野庄堀籠郷(栃木県佐野市掘米町)の天宝寺鐘として寄進され、60年後に鎌倉五山の浄妙寺鐘となり、その後江戸湾を渡って日本寺鐘となった経緯が書かれてある。国指定重要文化財。
*国分寺:741(天平13)年に聖武天皇の詔によって全国に建立された僧寺で、正式名称は「金光明四天王護国之寺」。
関連リンク 鋸山 日本寺(WEBサイト)
参考文献 鋸山 日本寺(WEBサイト)

2020年04月現在

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