検索結果
印刷する検索キーワード
キーワード「世界遺産」
白神山地のブナ原生林 ( 青森県 西目屋村 / 青森県 鰺ヶ沢町 / 青森県 深浦町 / 秋田県 藤里町 / 秋田県 八峰町 )
白神山地は、秋田県北西部と青森県南西部の標高約800m~1,250mの山岳地帯、1,300㎢に及ぶ広大な山地の総称で、この地域は人為の影響をほとんど受けていないブナ林が分布している。多種多様な動植物が生息・自生するなど貴重な生態系が保たれており、1,300㎢の山地のうち約170㎢が1993(平成5)年12月に世界遺産(自然遺産)に登録*された。 ...
暗門の滝 ( 青森県 西目屋村 )
弘前駅から西へ約35km、車で約1時間の位置にあるアクアグリーンビレッジANMON*が滝の散策拠点施設である。ここから遊歩道で片道約1時間。津軽の母なる川「岩木川」の支流である暗門川にかかる3段の滝が暗門の滝である。 3段の滝は上流から第一の滝、高さ42m、第二の滝37m、第三の滝は26mある。世界遺産緩衝地域内にあり、ブナの原生林も...
無量光院跡 ( 岩手県 平泉町 )
JR平泉駅の北800mにある。鎌倉幕府の事跡を記した史書『吾妻鏡』によれば、無量光院跡は新御堂(しんみどう)と号し、奥州藤原氏三代秀衡が宇治平等院を模して建立したといわれ、現在土壇・礎石・池跡などが残されている。毛越寺・観自在王院と並ぶ臨池伽藍(りんちがらん)*で、堂内の四壁の扉に観経(かんぎょう)*の大意を図絵し、本尊...
観自在王院跡 ( 岩手県 平泉町 )
毛越寺の東隣にあり、JR平泉駅より徒歩8分。近年、発掘調査に基づいて庭園が復元された。安倍宗任(あべのむねとう)*の娘である奥州藤原氏二代基衡の妻が建立したもので、調査によれば境域は東西約120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残り、大阿弥陀堂*跡と小阿弥陀堂跡を中心とし前面に復元された舞鶴が池*東岸には鐘楼、普賢堂と伝え...
古河公方公園(古河総合公園) ( 茨城県 古河市 )
JR東北本線古河駅より南へ約2km、渡良瀬川の東岸にある。 1972(昭和47)年に「古河公方館跡*を中心に残されている美しい自然を保存し市民のレクリエーションの場所」とするという構想案がまとまり、1975(昭和50)年、古河総合公園として、一部開園。その後、桃林*、大賀ハスの移植、御所沼の復元*や管理棟・カフェテラスなどの整備を...
日光二荒山神社 ( 栃木県 日光市 )
恒例山の西麓にあり、東照宮造営以前は二荒山(日光山)信仰によって山内の中心を成していた。主神大己貴命(おおなむちのみこと)は秀峰二荒山(男体山)の神、妃神の田心姫命(たごりひめのみこと)は女峰山の神、御子神の味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)は太郎山の神である。別宮の滝尾神社・本宮神社とともに、もとは日光三...
日光山輪王寺 ( 栃木県 日光市 )
長坂を登りつめると、日光開山勝道上人像の前へ出る。太い眉、大きな鼻、右手に錫杖を持つ上人像の後ろに、山内最大の建物である三仏堂がどっしりと静まっている。このあたりが輪王寺の中心部で、三仏堂を本堂に、勝道上人像をとり囲むように一山15院の甍が連なる。神仏習合の地であるため、このほか四本竜寺・開山堂・大猷院廟・慈眼堂など...
おもちゃのまち ( 栃木県 壬生町 )
東京でブリキのおもちゃなどを製造していた工場が壬生町に移転し、おもちゃ団地を形成した。1965(昭和40)年には、東武鉄道宇都宮線に新駅「おもちゃのまち駅」が開設された。 「おもちゃのまち」にふさわしく、さまざまなおもちゃを陳列しているのが「壬生町おもちゃ博物館」。1995(平成7)年に開館、2012(平成24)年にリニューアルし...
少林山達磨寺 ( 群馬県 高崎市 )
市の西、鼻高丘陵の北斜面にある。その昔、行基菩薩作とされる観音菩薩をお祀りする御堂があった。江戸時代に碓氷川の氾濫の折流れ着いた光り輝く香木で、一了居士が達磨大師坐像を彫刻し安置したのが達磨寺となる由縁である。 1697(元禄10)年に水戸光圀公の帰依された心越禅師を開山と仰ぎ、前橋城の裏鬼門を護る寺として、第5代前橋城...
富岡製糸場 ( 群馬県 富岡市 )
富岡市の中心、上信電鉄上州富岡駅の南西部約1kmに位置する、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」*の中心的な構成資産。 明治維新後、日本の近代化を目指した政府は、外貨獲得のため、生糸の品質改善・生産向上を目指し洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決める。工場建設の基本的な考え方は、「洋式の製糸技術の導入...
佐渡金銀山 ( 新潟県 佐渡市 )
国史跡の佐渡金銀山遺跡は、「佐渡島(さど)の金山」の名称で、2022(令和4)年2月に世界遺産候補としてユネスコに推薦された。 佐渡島の金生産の最古の記録は、平安時代後期(12世紀)に編纂された『今昔物語集』で、佐渡島で金を採取したという説話が収録されている。15世紀半ばには佐渡へ流された世阿弥が『金島書』の中で、佐渡島を...
金沢城 ( 石川県 金沢市 )
浅野川と犀川にはさまれた小立野台地の北西端に位置する。面積は堀を含めて約30万m2、最高所は本丸跡の海抜約60mで、南東へ延びる小立野台地とは百間堀によって分かれている。城内の建物は1881(明治14)年の大火で大部分を焼失し、今ではわずかに石川門などに往時の威容をとどめている。 〔歴史〕1583(天正11)年、佐久間盛...
白川郷合掌造り集落 ( 岐阜県 白川村 )
白川郷の中心である荻町(おぎまち)地区は、山あいを縫うように流れる庄川によって形成された三日月形の河岸段丘の平地にある。急勾配の茅葺き屋根の家屋や小屋が約1kmにわたり点在し、家屋周辺には水田や畑、水路が広がっている。 江戸時代末期(1830~1867年)の建築と伝わる「和田家(わだけ)」や、5階建ての庫裡(くり)がある「明...
富士山本宮浅間大社 ( 静岡県 富士宮市 )
JR身延線富士宮駅の北西500m、市街中心にある。古くから駿河一ノ宮として名高く、全国の浅間神社の総本宮である。富士の山霊を鎮めるために祀られたもので、社記によれば806(大同元)年に社殿*1が造営されたといわれている。富士山表口登山道の入口にあって、富士山信仰の隆盛とともに勢力を誇った。富士山山頂に奥宮*2が祀られている。 ...
韮山反射炉 ( 静岡県 伊豆の国市 )
伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅から東へ約1.5kmにある。反射炉*1は韮山の代官・江川太郎左衛門英龍*2が、国防上の必要から幕府に建議進言して、1855(安政2)年に築いた金属溶解炉。当初、建設地は下田港近くに予定されていたが、1854(安政元)年、ペリー艦隊の下田入港により当地で混乱が起き、韮山代官所に近い現在地で着工することになった。蘭...
七里御浜 ( 三重県 熊野市 / 三重県 紀宝町 )
JR熊野市駅から徒歩5分。七里御浜は、熊野市から紀宝町に至る約22km続く日本で一番長い砂礫海岸であり、熊野吉野国立公園に指定されている。この七里御浜は熊野三山を目指す熊野古道伊勢路の一部にもなっている。 「世界遺産(浜街道)」「日本の渚百選」「21世紀に残したい日本の自然百選」「日本の白砂青松百選」「日本の名松百選」など...
鬼ヶ城 ( 三重県 熊野市 )
JR熊野市駅から「大又大久保行」バスで約5分。国の名勝および天然記念物「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」(くまののおにがじょう つけたり ししいわ)の一部である。熊野灘の波の浸食によって生じた大小無数の海食洞が、地震による隆起と風化によって並び、熊野灘に面して約1.2km続いている。志摩半島から続くリアス海岸の最南端で、これより南は約...
花窟神社 ( 三重県 熊野市 )
JR熊野市駅から新宮駅行きバスで約4分。花窟神社(花の窟神社)は、伊弉冊尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀る神社である。『日本書紀』巻一*に登場する、伊弉冊尊(いざなみのみこと)を葬った紀伊国熊野の有馬村とはこの花の窟だといわれる。今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45mの巨岩である磐...
三重県立熊野古道センター ( 三重県 尾鷲市 )
JR尾鷲駅からバスで約20分。2004(平成16)年7月、三つの霊場とそれらを結ぶ参詣道*が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。道(巡礼の道*)の世界遺産は世界でも珍しく、この地では、自然崇拝に根ざした神道、中国から伝来し日本で独自の展開を見せた仏教、その両者が結びついた修験道など信仰の多様な形態が育まれてき...
石見銀山遺跡 ( 島根県 大田市 )
大田市域の南西の山峡にある、近世から近代にかけて栄えた鉱山遺跡。石見銀山は1527(大永7)年に九州博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見された。以後、室町・戦国の両時代を通じて、銀山は大内・尼子(あまこ)・毛利・小笠原4氏の、激しい攻防にさらされることになった。この結果、1562(永禄5)年ついに銀山の守り山吹城(...
温泉津温泉 ( 島根県 大田市 )
JR温泉津駅の北、温泉津川に沿って細長く旅館が立ち並ぶ。1300年以上前に旅の僧侶が、湯気の立つ水たまりに浸かってひどい傷を癒やしている古狸を目にしたことから発見されたという説が広く知られている。 平安時代には京都までその存在が伝わり、14世紀以降には湯治客が大勢訪れるようになった。近くの温泉津港が、毛利氏支配の中世以降...
大森の町並み ( 島根県 大田市 )
大森町は大田市域の南西の山峡にある。石見銀山が徳川幕府の天領となって以降、その繁栄により銀山柵内(さくのうち)の北側にあたる大森地区の建設へと発展し、支配の中心地も銀山地区から大森地区へと移っていった。奉行所が置かれ、石見銀山の行政と商業の中心地として町が整備された。 山間の狭い谷間に作られた町は、身分に関係なく...
三井三池炭鉱跡 ( 福岡県 大牟田市 / 熊本県 荒尾市 )
1469(文明元)年に、地元の農夫が焚き火の中で燃える石を見つけたというのが、大牟田における石炭発見の歴史だと伝わる。 江戸時代から採掘が行われ、1873(明治6)年には官営化され、西洋技術による近代化を進めていった。1889(明治22)年、三井財閥に払い下げられ、勝立坑、宮原坑、万田坑などを次々と開坑。日本の近代化を支えてきた...
宗像大社 ( 福岡県 宗像市 )
天孫降臨のとき、天照大神の神勅により奉斎されたと伝える神社で、天照大神の御子神である3柱の女神を3つの神社に祀る。玄界灘の孤島・沖ノ島には田心姫神を祀る沖津宮が、神湊海岸沖の大島には湍津姫神を祀る中津宮が、そして宗像市田島には市杵島姫神を祀る辺津宮があり、総称して宗像大社という。 全国に散らばる宗像三神を祀る神社の...
三菱重工長崎造船所 ( 長崎県 長崎市 )
三菱重工長崎造船所は1857(安政4)年 、徳川幕府によって着工された長崎鎔鉄所*に始まり、現在長崎港西岸に工場が広がる。かつて戦艦「武蔵」を建造した船台と2つの30万トンドックがあり、護衛艦などの建造・修理改造を行っている。 1898(明治31)年、三菱合資会社三菱造船所の鋳物工場に併設して赤煉瓦造りの「木型場」が建設された。...
鬼岳火山群 ( 長崎県 五島市 )
鬼岳火山群*は約50万年前から現在にかけて噴火して、西洋の盾を伏せたようななだらかな台地を造りあげた単成火山群上に、さらに5万年前第2次の噴火によって臼のような形をした火山が重なり合ってできたものである。鬼岳、火岳、城岳、箕岳、臼岳などの火山から形成されている。その中でも鬼岳は、その恐ろしい名前にそぐわず、丸みを帯び全...
黒島天主堂 ( 長崎県 佐世保市 )
黒島は佐世保市本土から西に約12kmの地点にあり、九十九島の一つに数えられる。相浦港から船で50分、黒島白馬港に着く。黒島天主堂は島のほぼ中央に位置し、徒歩で30分。 江戸時代の黒島には平戸藩の牧場が設置されていたが、1802(享和2)年に廃止された。牧場跡の再開発が必要となった平戸藩は、開拓民の誘致政策を進め、潜伏キリシタン...
西の正倉院 ( 宮崎県 美郷町 )
奈良・東大寺大仏殿の北北西に位置する校倉造りの正倉院は国宝であり、ユネスコの世界遺産にも登録されている貴重な建造物。西の正倉院は、宮内庁の協力、さらには奈良国立文化財研究所の学術支援、そして当時の建設大臣の特別許可などにより、門外不出であった正倉院原図を元に、樹齢400年から500年の木曽檜を用いて忠実に再現したものだ。 ...
尚古集成館 ( 鹿児島県 鹿児島市 )
島津家の歴史や文化と、集成館事業を紹介する博物館。仙巌園(せんがんえん)正面入り口の左手にあり、1865(慶応元)年に竣工した日本最古の石造洋式機械工場「旧集成館機械工場」の建物を使っている。島津家28代斉彬(なりあきら)は造船、造砲、ガラス製造、紡績などの事業を展開し、磯に一大工場群「集成館」を作った。薩英戦争でこれら...
仙巌園 ( 鹿児島県 鹿児島市 )
1658(万治元)年に、島津家19代光久(みつひさ)によって築かれた島津家の別邸。目の前に広がる錦江湾(きんこうわん)を池、桜島を築山に見立てた壮大な大名庭園で、敷地面積は約1万5千坪。島津家歴代に愛され、篤姫や西郷隆盛も訪れている。 28代斉彬がガス灯の実験に用いたと伝わる鶴灯籠や、琉球国王から贈られた望嶽楼(ぼうがくろ...
屋久島の森 ( 鹿児島県 屋久島町 )
屋久島は鹿児島の南方、九州本土最南端佐多岬から南南西約60kmの洋上に位置する、ほぼ円形をした島。周囲約130kmで、その9割が森林。九州最高峰の標高1,936mの宮之浦岳をはじめ1,000m以上の高峰が40座以上あり、八重岳とよばれるほど山が連なる。 島の土台となっているのは、砂岩や泥岩などの堆積岩が重なった日向層群(熊毛層群)とよば...
中城城跡 ( 沖縄県 北中城村 )
北側は急斜面、南側は断崖となっている台地上に広がる、6つの郭からなる連郭式の雄大な城跡。総面積は1万4,473m2に及ぶ。正確な築城年は不明だが、14世紀中ごろには造営が始まったと考えられている。現在の入り口から進んで一番奥にあるのが正門で、そこから一の郭、二の郭、三の郭と、南、西、北の郭が連なっている。もっとも高...
斎場御嶽 ( 沖縄県 南城市 )
琉球の創世神「アマミキヨ」がつくったといわれる7つの御嶽(沖縄独特の祈りの場)のひとつで、琉球王国最高の聖地。南城市の海に近い琉球石灰岩の岩山にあり、6つのイビ(神域)で構成されている。御門口(うじょーぐち)から石畳の道を上がると、最初にあるのが大庫理(うふぐーい)、その先に寄満(ゆいんち)、そして巨大な三角形の岩が...
玉陵 ( 沖縄県 那覇市 )
首里城の西、守礼門から約200m離れた場所にある第2尚氏王統の陵墓。1501(明応10・文亀元)年、尚真王が父である尚円王のために造営した壮大な石造建造物で、墓域は2,442m2。外庭と内庭に区切られ、内庭に墓室がある。3つに分かれた墓室の出入口には石扉が設けられ、墓室の左右を獅子像が守っている。中央の墓室は洗骨前の遺骸を...
首里城 ( 沖縄県 那覇市 )
1429(正長2・永享元)年から約450年にわたって存在した琉球王国。そのシンボルであった首里城は王国時代、王とその家族が住むエリア、王国の政治や外交をつかさどる行政空間、王国が組織した神女たちによる祈りの空間の、大きく3つのエリアからなっていた。 城は沖縄戦で大破したが、1992(平成4)年に復元整備されて公開が始まった。そ...
識名園 ( 沖縄県 那覇市 )
首里城の南、約3kmの那覇市真地(まあじ)の高台にあった琉球王家の別邸。王族の保養や、中国からの使者(冊封使)をもてなすために、1799(寛政11)年、尚温王の時代に造営された。総面積約42,000m2。「心」という形につくられた園池を中心に、御殿(母屋)・築山・果樹園・樹林と、それらを結ぶ園路からなる。池の周囲を歩きな...
座喜味城跡 ( 沖縄県 読谷村 )
標高約120mの丘陵地、読谷村のほぼ中央高台にある。15世紀初頭(1420年ごろ)、読谷山按司の護佐丸が築城したといわれる。面積約1万m2で、2つの郭からなり、一の郭には殿舎が建てられていた。この城は要塞としての機能を重視して造られており、郭を取り囲む城壁はいくつもの曲線が組み合わされるような構造。石垣の幅は、厚いとこ...
今帰仁城 ( 沖縄県 今帰仁村 )
今帰仁城は、南は谷を隔てて背後のクバの御嶽に連なり、東と北は40~100mの断崖下に志慶真川が流れる要害の地にある山城。琉球が尚氏によって統一される以前、北山・中山・南山の3つの勢力に分かれていた三山時代に、本島北部一帯から与論島、沖永良部島あたりまでを勢力下におさめた北山王の居城で、築城は13世紀末といわれている。 約7....
勝連城跡 ( 沖縄県 うるま市 )
勝連半島の付け根に位置する丘陵上に築かれた城跡。正確な築城年は定かではないが、13世紀前後に造られたと考えられている。自然の地形を利用して石灰岩の石垣をめぐらせた5つの曲輪からなり、北西の最高部から一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪へと階段状に低くなり、再び南東側の東の曲輪で高くなっている。 歴代の勝連按司(あじ...