黒島天主堂くろしまてんしゅどう

黒島は佐世保市本土から西に約12kmの地点にあり、九十九島の一つに数えられる。相浦港から船で50分、黒島白馬港に着く。黒島天主堂は島のほぼ中央に位置し、徒歩で30分。
 江戸時代の黒島には平戸藩の牧場が設置されていたが、1802(享和2)年に廃止された。牧場跡の再開発が必要となった平戸藩は、開拓民の誘致政策を進め、潜伏キリシタンを含む外海、生月、五島の人びとが黒島に移り住んだ。新たにできた7つの集落の内、6つが潜伏キリシタンの集落だった。潜伏期は表向き所属していた仏教寺院でマリア観音に祈りを捧げていた。1865(元治2)年、信徒発見の2か月後、黒島から20人の総代が大浦天主堂のプチジャン神父を訪ね、次にポワリエ神父が黒島を訪れて、総代の一人、出口大吉の家で、黒島最初のミサが行われた。禁教令が解かれる以前に、潜伏キリシタンの島から、カトリックの島へと変貌し、黒島以外への伝道活動も行われるようになった。
 1878(明治11)年、平戸島の紐差(当時は田崎)から巡回してきたペルー神父により、名切に木造の初代黒島天主堂が建てられた。さらに1880(明治13)年、「女部屋」と呼ばれる修道会「黒島愛苦会」を設立。現在の天主堂は二代目で、1897(明治30)年に着任したマルマン神父の設計により、建設が開始されるが、予算超過で一時建設は中断、1902(明治35)年に完成したもの。煉瓦造で、礎石には黒島産の御影石、内陣には有田焼のタイルが使われている。天井はこうもり天井(リブ・ヴォールト天井)で、天井板の表面には高級感を出すために手描きで木目が描かれている。
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みどころ

穏やかな空気の流れる小島の中央に、荘厳な天主堂がたたずむ。城塞のような四角の鐘塔があり、中央に「天主堂」の文字の額縁とバラ窓をもつ堂々とした建物で、アプスの半円形煉瓦積みの外壁が特徴的。この立派な天主堂も、信仰の自由を得てカトリックに復帰した黒島の住民たちが、自らの手によって築き上げたもの。黒島の人びとの祈りと誇りがこめられている。
 見学の際は島のガイドと一緒に巡るのがおすすめ。島民としての実際の体験談を聞くと、単に天主堂の建築様式だけでなく、この島の暮らしに今も息づくキリスト信仰のあり様が伝わってくる。天主堂の隣にある資料室には、マルマン神父の直筆のノートなど、貴重な資料の数々が展示されている。
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補足情報

*聖堂の設計・指導に当たったマルマン神父は、一時フランスに戻っているが、再び黒島に戻り、一生を黒島で終えた。
*世界遺産関連の教会堂の見学には、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(http://kyoukaigun.jp/)」への事前連絡が必要。