古河公方公園(古河総合公園)こがくぼうこうえん(こがそうごうこうえん)

JR東北本線古河駅より南へ約2km、渡良瀬川の東岸にある。
 1972(昭和47)年に「古河公方館跡*を中心に残されている美しい自然を保存し市民のレクリエーションの場所」とするという構想案がまとまり、1975(昭和50)年、古河総合公園として、一部開園。その後、桃林*、大賀ハスの移植、御所沼の復元*や管理棟・カフェテラスなどの整備を順次行い、現在では約25万m2の広大な公園となった。2003(平成15)年には、ユネスコの「文化景観の保護と管理に関するメリナ・メルクーリ国際賞*」を受賞している。2015(平成27)年からは愛称として「古河公方公園」と名付けられ、春は約1,500本の花桃、夏には約3,000m2の蓮池一面に大賀ハスが咲く。
 このほか園内には古民家*が移築された古民家園、公方様の森、芝生広場などがあり、市民の憩いの場となっている。
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みどころ

広大な敷地、地形や池沼をたくみに活用し、清々しい景観を見せている。また、植栽も季節折々に楽しむことができるよう工夫されている。
 遊具などの設置は少ないが、芝生広場や公方様の森など自然を利用し、子供たちが楽しむことができる空間が多い。
 この地の歴史的背景もよく踏まえられており、適切な案内板、資料が用意されている。(志賀 典人)
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補足情報

*古河公方館跡:鎌倉公方足利成氏(あしかがしげうじ)は、1455(享徳4)年、この地に移り、その後に渡良瀬川沿いの古河城に移るが、本丸の約1km南東の御所沼に突き出した台地にあるこの城館は、時に応じ利用され、五代、約130年ほど続いたといわれている。1627(寛永4)年、当主が喜連川藩の藩主になったことに伴い、廃止された。「鴻巣御所」ともよばれていた。現在も、当時の堀と土塁が、跡をとどめている。
*桃林:江戸時代初期、古河城主土井利勝(どいとしかつ)が領民の燃料が乏しいことから、成長が早く薪にしやすく、果実が食料となる桃の栽培を奨励した故事にちなみ、公園開設とともに花桃を植えはじめ、桃林を復活させた。
*御所沼の復元:利根川と渡良瀬川の合流点には、かつては多くの沼が点在していたが、御所沼もそのひとつ。沼の畔に古河公方の館があったことからこの名となった。第2次世界大戦後、食糧難から埋め立てられ、水田となっていたが、1992(平成4)年から4年をかけ復元した。
*メリナ・メルクーリ国際賞:1992(平成4) 年に世界遺産委員会において文化景観の保護が現代における優先分野の一つとして確認され、ギリシャの文化大臣、女優であり景観保護と持続的開発の分野での先駆者であるメリナ・メルクーリ氏にちなんで設けられた。 1999(平成11) 年以来、2年毎に授与されている。古河公方公園(古河総合公園)については、1.消滅した沼の復元による自然と文化の再生 2.四季折々の自然に親しむ市民の営み 3.自然と人間との多様な接触を生むデザイン、などの取り組み、整備が評価され、授与されることになった。
*古民家:旧飛田家住宅と旧中山家住宅。旧飛田家住宅の建築年代は18世紀前半のものとされ、常陸太田市から移築。曲がり屋形式で国指定重要文化財。旧中山家住宅はの建築年代は不詳だが、17世紀後半ともいわれ、坂東市から移築された。県の指定文化財。