無量光院跡むりょうこういんあと

JR平泉駅の北800mにある。鎌倉幕府の事跡を記した史書『吾妻鏡』によれば、無量光院跡は新御堂(しんみどう)と号し、奥州藤原氏三代秀衡が宇治平等院を模して建立したといわれ、現在土壇・礎石・池跡などが残されている。毛越寺・観自在王院と並ぶ臨池伽藍(りんちがらん)*で、堂内の四壁の扉に観経(かんぎょう)*の大意を図絵し、本尊は丈六*の阿弥陀仏。三重の宝塔があり、庭園は金鶏山*を背景とした浄土庭園であったといわれる。近くに伽羅御所跡・柳之御所遺跡がある。奥州藤原氏滅亡後、伽藍が消滅・荒廃し、池は水田化したが、遺跡は良好な状態で保存されている。
 無量光院跡は、2011(平成23)年6月、他の構成資産である中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、金鶏山とともに、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の名称で世界遺産に登録された。世界遺産委員会は、無量光院を完成形とする平泉の浄土庭園について「池泉・樹林・金鶏山山頂と関連して仏堂を周到に配置することにより実体化した理想郷の光景」として、高く評価している。
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みどころ

「浄土庭園の最高傑作」という評価を与えられた庭園ではあるが、土塁や礎石、池跡のみを残すのみであった。現在は史跡整備が進み当時の庭園空間に戻りつつあり、静寂で美しい雰囲気から、浄土庭園の名残を感じることができる。水辺の美しい景観を眺めていると気持ちが鎮まる自然景観である。
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補足情報

*臨池伽藍:伽藍配置は寝殿造にならい、本堂前に池を造り中島を橋台とし池に橋を渡した。
*観経(かんぎょう):『観無量寿経』の略称。浄土教諸宗のよりどころとする経典で、「観経」と略称され、浄土三部経の一つ。劉宋の畺良耶舎が漢訳。1巻。インドのマガダ国、ビンビサーラ国王の韋提希(いだいけ)夫人が、自分の子アジャータシャトル(阿闍世王)の悪逆に苦しめられ、救いを求めたとき、仏陀が神通力をもって十方の浄土を示し、阿弥陀仏とその浄土を説いた劇的な内容をもつ。
*丈六:「一丈六尺(約4.85m)」の略。仏像の標準的な高さとされる。
*金鶏山:秀衡が築いた築山で、山頂に黄金の雌雄一対の鶏を埋め平泉の守りにしたといわれる。