三菱重工長崎造船所みつびしじゅうこうながさきぞうせんじょ

三菱重工長崎造船所は1857(安政4)年 、徳川幕府によって着工された長崎鎔鉄所*に始まり、現在長崎港西岸に工場が広がる。かつて戦艦「武蔵」を建造した船台と2つの30万トンドックがあり、護衛艦などの建造・修理改造を行っている。
 1898(明治31)年、三菱合資会社三菱造船所の鋳物工場に併設して赤煉瓦造りの「木型場」が建設された。三菱重工業株式会社発祥の長崎造船所に現存する最も古い工場建屋で、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」(2015年登録)の構成資産の1つとなっている。
 長崎工場にあるジャイアント・カンチレバークレーンは、三菱合資会社時代の1909(明治42)年に導入された。スコットランド/グラスゴーにあったアップルビー社製で、ハンマーヘッド型クレーンとしては日本に初めて設置されたもの。電気モーターで駆動し大型船用装備品の荷重に耐える吊り上げ能力を持っている。古くから蒸気タービンや船舶用プロペラなどの出荷に使用されてきた。100年以上を経た今も稼働している。
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みどころ

ジャイアント・カンチレバークレーンは船舶用機械を吊り上げて船に積み込む役目を担っており、歴史的にも貴重な稼働資産である。国際的にも現存しているものは少なく、長崎造船所のこのクレーンは非常に大きな価値があるとされる。海のそばで使われているうえに、戦火にも見舞われ過酷な時代を経てきたにもかかわらず、メンテナンスが行き届いている為、モーターともども現在も稼動している。
 長崎港の中央にそびえており、対岸の長崎水辺の森公園や、稲佐山からの俯瞰ではっきり認識できる巨大でユニークな建造物である。こうした施設以外にも、長崎港から出港する船の上から造船所の巨大な施設や様々なクレーンの迫力ある姿を見ることができる。
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補足情報

*徳川幕府の長崎鎔鉄所:1853(嘉永6)年に来航したペリーに刺激された幕府が長崎に海軍伝習所を開き、船修理工場を造ることにした。修理工場は1857(安政4)年「長崎鎔鉄所」として着工され、1861(万延2)年に「長崎製鉄所」として竣工した。
*見学は学生の社会科見学、修学旅行の事前予約に限られている。(2024年現在)