日光山輪王寺にっこうざんりんのうじ

長坂を登りつめると、日光開山勝道上人像の前へ出る。太い眉、大きな鼻、右手に錫杖を持つ上人像の後ろに、山内最大の建物である三仏堂がどっしりと静まっている。このあたりが輪王寺の中心部で、三仏堂を本堂に、勝道上人像をとり囲むように一山15院の甍が連なる。神仏習合の地であるため、このほか四本竜寺・開山堂・大猷院廟・慈眼堂など、輪王寺所管の堂塔は山内一円に散在している。 
 奈良時代の四本龍寺を草創に、平安時代には満願寺と号して、日光三所権現信仰を支える寺であったが、秀吉の寺領没収で荒廃。1613(慶長18)年、天海大僧正が日光山第53世座主となり、東照大権現の日光山遷座が行われ、1621(元和7)年に本坊・光明院が再興された。1654(承応3)年、日光山第55世座主に後水尾天皇の皇子一品守澄法親王がつき、日光山輪王寺宮と号し、比叡山延暦寺・東叡山寛永寺と並ぶ天台宗三山の一つとなった。明治維新後、輪王寺宮の廃止によって一時は満願寺と称したが、1883(明治16)年、再び輪王寺の称号が許され、以後門跡寺院として現在に至る。
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みどころ

奈良時代に創建された寺院。東叡山・比叡山と並ぶ天台宗の大本山である。
 平安時代に創建され、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられた本堂(三仏堂)は、日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で見ごたえがある。三仏堂の内陣には、千手観音(男体山)・阿弥陀如来(女峰山)・馬頭観音(太郎山)三体の本尊(高さ7.5m)が祀られている。
 三仏堂の南側、宝物殿に隣接する日本庭園「逍遥園」は、小規模ながらも四季を通じて様々な花木が楽しめる。
 なお、同じく世界遺産に登録された「日光東照宮」、「日光二荒山神社(別宮本宮神社、別宮滝尾神社を含む)」も数分の距離になるので、あわせて参拝したい。(溝尾 良隆)
 国宝:大猷院本殿・相の間・拝殿
 重要文化財:三仏堂・常行堂・法華堂・護法天堂*・慈眼堂・四本龍寺・開山堂・相輪橖(そうりんとう)*
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補足情報

*輪王寺三仏堂:重層入母屋造、銅瓦葺、正面32m、側面25m、日光山内最大の建造物である。総本堂としていまの二荒山神社社務所のあたりに建っていたが、明治の神仏分離で解体、現在地に移された。一段低い石敷の内陣には左から馬頭観音・阿弥陀如来・千手観音の3体が祀られている。3体とも高さ7.5mの巨大な木造金箔像で日光三所権現本地仏とされる。
*金剛桜(天然記念物):三仏堂前にあるヤマザクラの老木。根回り約5.8m、根元から数本の支幹に分かれて、見事な枝ぶりである。満開は4月下旬~5月上旬。
*護法天堂:三仏堂の後方にあり、毘沙門天・大黒天・弁財天の護法善神三天を祀る。
*相輪橖(そうりんとう):三仏堂の左後方にある。1643(寛永20)年に3代将軍家光の発願で、天海大僧正が比叡山の相輪橖にならって造立したと伝える。高さ約13m、4本の副柱が支える青銅の身には24個の金鈴と金瓔珞が飾られ、この鈴風にあたると、人はもちろん鳥獣草木に至るまで仏の功徳を受けるといわれる。
*糸割符燈篭:相輪橖前面にある2基の青銅燈篭で、1648(慶安元)年4月、家康の33回忌に糸割符仲間が東照宮に奉納したもの。民間奉納では破格の扱いである。
*輪王寺宝物殿:輪王寺所蔵の奈良時代以来の仏像・工芸品・書画など約3万点を収蔵、常時50~60点を展示している。
*年中行事:開山会(4月1日、開山堂)、強飯式(4月2日、三仏堂)、延年の舞(5月17日、三仏堂)。
*輪王寺逍遥園:輪王寺門跡の庭園。近江八景を模した江戸時代の作庭で、鳴虫山を借景に、風趣に富む趣向である。新緑・紅葉のころは一段と美しい。
関連リンク 日光山輪王寺(WEBサイト)
参考文献 日光山輪王寺(WEBサイト)

2022年06月現在

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