観自在王院跡かんじざいおういんあと

毛越寺の東隣にあり、JR平泉駅より徒歩8分。近年、発掘調査に基づいて庭園が復元された。安倍宗任(あべのむねとう)*の娘である奥州藤原氏二代基衡の妻が建立したもので、調査によれば境域は東西約120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残り、大阿弥陀堂*跡と小阿弥陀堂跡を中心とし前面に復元された舞鶴が池*東岸には鐘楼、普賢堂と伝える跡がある。大小二棟の阿弥陀堂跡の前面に舞鶴が池を中心にした浄土庭園が広がり、境内の背後には金鶏山が位置している。近世までに往時の堂塔をすべて失い、庭園も荒廃して後には水田化したが、遺跡発掘調査の成果に基づいて伽藍遺構と庭園の修復・整備が行われた。ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構は平安時代に書かれた日本最古の造園の秘伝書『作庭記』に書かれている通りと考えられている。
 観自在王院跡は、2011(平成23)年6月、他の構成資産である中尊寺、毛越寺、無量光院跡、金鶏山とともに、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の名称で世界遺産に登録された。世界遺産委員会は、観自在王院跡が毛越寺・無量光院跡とともに「現世における仏国土(浄土)の象徴的な表現として造営された」資産であると高く評価している。
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みどころ

平泉駅から歩いて間もなく、毛越寺に隣接しており、世界遺産を気軽に体感できる場所。方形の舞鶴が池を中心に、巨石を積み重ねた荒磯様の石組、こじんまりした洲浜(すはま)、東西に長い中島などが点在しており、平安時代の「作庭記」に基づいて作られたもので、ほぼ完全に残っている貴重な浄土庭園の遺構である。
 歴史的な知識をもとに眺めれば、その美しさはひとしおに感じられる。静かで落ち着いた雰囲気なので、ゆったりと過ごしたい場所。
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補足情報

*安倍宗任(あべのむねとう):生没年不詳。平安中期の陸奥の豪族。頼時の子。前九年合戦(1051(永承6)年〜1062(康平5)年)で兄貞任とともに戦ったが、貞任敗死後、陸奥守源頼義の軍に降伏。伊予(愛媛県)に配流、のち大宰府に移された。
*大阿弥陀堂:正面3間、側面2間で鎌倉幕府の事跡を記した史書「吾妻鏡」によれば四壁に洛陽の霊地名所を図絵し、仏壇は銀、高欄は磨金とある。
*舞鶴が池:浄土庭園として造られ、西岸に滝頭石組、東岸に洲浜があった。約20の巨石からなる滝跡の石組が残る。