宮崎県
印刷する1871(明治6)年に明治政府が実施した「廃藩置県」により、日向国が廃止、美々津県と都城県の2県が置かれ、その後1873(明治8)年には美々津県と都城県が合併し宮崎県が誕生したが、1876(明治9)年に本県は鹿児島県に併合されることになった。西南戦争終結後、鹿児島から分離独立する動きが起こり、1883(明治16)年に宮崎県が再置されることとなった。
「宮崎」の名称の「宮」は「神宮(神社)」のこと、「崎」のつく地名は突き出た地や先端を意味することが多く、宮崎の場合は「前(さき)」のことで、「宮前」が語源と言われている。
県土は山岳地帯が多く、まとまった平地としては宮崎平野と西北諸県盆地があるくらいで、県境部一帯には北から祖母山、傾山をはじめ、国見山・市房山等の九州山脈の高峰が連なり、南部は霧島火山帯の雄大な山容が展開している。これらを水源に五ヶ瀬川・耳川・一ツ瀬川・大淀川等の河川が太平洋に注ぎ、豊富な水資源をもたらしている。森林面積が県土の7割強を占め、全国有数の森林県となっている。
温暖な気温と豊富な雨量に恵まれ、年間緑に包まれ、「太陽と緑のくに」とも呼ばれている。
古代の伝説を伝える県北の高千穂や霧島連山の麓には、高千穂峡やえびの高原など、スケールの大きな自然が広がっている。霧島錦江湾国立公園、日南海岸国定公園、日豊海岸国定公園、祖母傾国定公園、九州中央山地国定公園などがある。県の南部は、かつてハネムーンのメッカとして賑わった日南海岸をはじめ、青島神社や、鵜戸神宮、また江戸時代の面影をとどめる城下町・飫肥など多彩な魅力が集積している。