県の南西部、小田川の自然堤防の上に道を通してできた集落で、旧山陽道*の宿場町として栄えた。関ケ原の戦いののち天領・備中松山藩領(池田家)・庭瀬藩領(松平家)など支配体制がめまぐるしく変化したが、1699(元禄12)年に庭瀬藩領板倉家2万石の所領となり、その後、同家が11代にわたって支配し、明治を迎えた。この間、矢掛には陣屋が...
岡山藩主池田光政*によって創建された庶民のための教育機関。光政は岡山城内に藩校「岡山学校」を設けるとともに、藩内各地に123か所の手習所(てならいじょ)を設け、藩士や庶民の子弟の教育に力を注いだ。 光政は池田家の菩提寺であった京都妙心寺護国院が焼失したのを機に、墓所を岡山に移すこととした。その候補地として、和気郡木谷...
岡山県南東端、備前市の伊部(いんべ)は、六古窯*のひとつ、備前焼*のまちである。備前焼は釉薬を使わず、千数百度の高温で1週間以上かけて焼き締めた焼き物で、現在も松割木を燃料に、昔ながらの登り窯で焼かれている。陶土には「ひよせ」と呼ばれる、田の底にある鉄分の多い粘土を、風雨にさらすなどして数年寝かしたものが使われている...
JR津山駅から北へ約5kmにある、古くは『延喜式』、『今昔物語』などにもその名を記す美作国一ノ宮。主祭神の鏡作神(かがみつくりのかみ)は、三種の神器の一つ「八咫鏡」を造ったとされる。創建は707(慶雲4)年と伝えられ、もとの社殿は毛利・尼子氏の二度にわたる戦乱で焼失したが、1559(永禄2)年、尼子晴久が美作地方を平定した際に再...
JR津山駅の北約1km、市の中央部にあり、別名を鶴山城ともいう。織田信長の小姓で本能寺の変で最期を遂げた森 蘭丸の末弟、森 忠政が1604(慶長9)年に築城にかかり、約13年かけて1616(元和2)年に完成させた。森家4代約19万石、越前松平家9代約10万石の居城として、明治の廃藩置県まで続いた。城の南部を吉井川が東流し、その支流である宮川...
JR津山駅の北2kmにある衆楽園は、津山藩2代藩主、森 長継(ながつぐ)が江戸時代初期の明暦年間(1655~1658年)*に築いた池泉回遊式の大名庭園である。藩の接待などに使われ、「御対面所」とも呼ばれていた。その後、森氏に代わって入封した松平氏に引き継がれ、幕末に至るまで、主として藩の別邸の庭園として使用された。1870(明治3)年...
津山の城下町は、津山城を築いた初代津山藩主森 忠政*1により、吉井川の左岸(北側)に出雲街道*2に沿って東西に細長く形成された。城の周辺に武家地、街道沿いに町人地、町の外縁部に社寺を配置している。城下の出雲街道には、約3kmの範囲に18カ所の鍵曲がり(かいまがり)*3が設けられており、軍事色の強い城下町であった。大きな戦禍に...
JR吉備線(桃太郎線)服部駅からタクシーで15~20分、吉備高原南縁の鬼城山(標高約400m)に築かれた古代山城。『日本書紀』などの歴史書にその名がみられず、築造の目的・時期については諸説あるが、天智天皇2(663)年の白村江の戦いにおける敗北を受けて、国土防衛のために西日本各地に作られた山城の一つとみる説が有力である。鬼ノ城の...
JR吉備線(桃太郎線)・伯備線総社駅から東へ約5km。奈良時代、天平13(741)年の聖武天皇の詔(みことのり)により日本各地に建立された国分寺の一つ。中世に廃寺となり、天正年間(1573~92)に備中高松城主清水宗治(しみず・むねはる)の援助で再興されたという。その後再び衰微したが、江戸時代中期に清水山惣持院住職の増鉄上人が、上...
瀬戸中央自動車道水島ICから県道21号線を岡山方面に1kmほど、蟻峰山(ぎほうざん)の山裾にある、紀州の熊野権現を勧請したと伝わる古社。近くの五流尊滝院とは明治まで神仏混交で、修験者が奉仕してきた。社伝によれば、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ、役行者ともいう)* が699(文武天皇3)年、呪術で民衆を惑わすという科で伊豆に...
JR新倉敷駅より約4km、倉敷市西部、玉島の小高い丘(白華山)にある曹洞宗の古刹。創建については不詳であるが、同寺の縁起では、奈良時代の僧、行基の開基と伝えられ、「星浦の観音」と呼ばれる霊場であったとされる。本尊は聖観音菩薩。その後、1698(元禄11)年に徳翁良高禅師により再興された。江戸時代後期に、漢詩人・歌人・書家として...
第二次世界大戦の空襲を免れた倉敷には、江戸時代から昭和まで各時代の建物が残っている。JR倉敷駅から南に徒歩15分ほど、倉敷川畔と鶴形山を含む倉敷美観地区*は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。江戸から明治にかけて運河として利用された倉敷川の川畔には、白壁の商家や土蔵が並び、川沿いの柳並木と調和して、しっ...
1889年(明治22年)に建設された紡績工場跡を再開発し、1974(昭和49)年に開業した、ホテルと文化施設をあわせもつ複合観光施設。倉敷美観地区に隣接し、その名のとおり、蔦(アイビー)に覆われた赤レンガ造りの建物と、1,400m2にも及ぶ広大な中庭広場(スクエア)が印象的な、地域住民や観光客の憩いの場となっている。敷地内...
倉敷川沿い、美観地区の一画にある大原美術館は、1930(昭和5)年開館の西洋美術を中心とした私立美術館である。開館前年に亡くなった西洋画家の児島虎次郎*1を悼み、その支援者だった倉敷の実業家、大原孫三郎*2が設立した。大原家は地元屈指の大地主で、クラボウ(倉敷紡績株式会社)の創業家である。現在の高梁市成羽町出身の児島は、東...
県の南端、瀬戸大橋の本州側の起点である児島は繊維産業が盛んで、1965(昭和40)年に初めてジーンズの国産化に成功し「国産ジーンズ発祥の地」となった。JR本四備讃線(瀬戸大橋線)児島駅から徒歩15分ほどの「児島ジーンズストリート」には、地元ジーンズメーカーの直営ショップやデニム雑貨を扱う店が連なる。2009年頃から地元メーカーや児...
岡山ブルーライン邑久ICから約15分、JR赤穂線西大寺駅または邑久駅からバスで約30分、岡山県南東部、瀬戸内市の牛窓は古くから西国航路の風待ち、潮待ちの港として栄え、『万葉集』や『山家集』などにも詠まれている。江戸時代には、参勤交代や朝鮮通信使の寄港地として繁栄した。近年では、温暖な気候と点在する島々の風景から、「日本のエ...
県南東部、瀬戸内市牛窓町にある日本オリーブ株式会社の自社農園。JR赤穂線邑久駅から南東へ約10km、瀬戸内海を一望できる高台にある。約2,000本のオリーブが10万m2の敷地に栽培されている大規模農園である。1942(昭和17)年に地元の資産家の服部和一郎(はっとり・わいちろう)が阿弥陀山(166.5m)の松林を開墾し、小豆島の友...
蒜山高原は、岡山県最北部、蒜山三座(上蒜山、中蒜山、下蒜山)の南麓に広がる東西20km、南北10km、標高500~600mほどの盆地である。西日本屈指の高原リゾート地で、遊園地、観光牧場、ワイナリー、ハーブ園、乗馬施設など多彩な観光スポットが点在している。鉄道は通っていないが、米子自動車道のインターチェンジから近く、週末や観光シー...
中国勝山駅の北西約5km、旭川の支流で星山(1,030m)を源流とする神庭川水域にある。高さ110m、幅20mの中国地方随一のスケールを誇る名瀑で、一帯は国指定名勝(神庭瀑)、岡山県立自然公園に指定されている。 水量が豊富で迫力があり、ただ豪快なだけでなく、岩肌に白布を引いたように見える水しぶきが神秘的だ。滝の中央には黒い岩が突...
新見市の中南部及び真庭市南西部一帯にかけては、阿哲台*と呼ばれるカルスト台地が広がる。JR伯備線井倉駅の南東約900mにある井倉洞は、高梁川沿いにそそり立つ石灰岩の絶壁に開口する全長1.2kmの鍾乳洞である。石灰岩の節理に沿う溶食作用の結果できた割れ目が発達したもので、前半部は南北方向に、後半部は北北東方向に延びている 1957...
頼久寺は備中松山城の城下町にある、臨済宗永源寺派に属する寺院。創建は明らかではないが、足利尊氏の命により1339(暦応2)年に備中安国寺として再興される以前から存在した古刹。その後、永正年間(1504〜1521年)に備中松山城主、上野頼久が伽藍を再興し寺領を与えたことから、頼久の死後、その名を加え、天柱山安国頼久禅寺と称した。通...
高梁市街の北側、大松山・天神の丸・小松山・前山の4つの峰から成る臥牛山(480m)に築かれた山城。承久の乱(1221年)後に有漢郷(現・高梁市有漢町)の地頭となった秋葉重信が、1240(延応2・仁治元)年、最北峰の大松山(470m)に砦を築いたことに始まると伝わる。戦国時代には、山陰と山陽を結ぶ要地として激しい争奪戦が繰り返されるな...
JR備中高梁駅から約25km、吉備高原西部、標高550mの山あいにある、銅山*と赤色顔料のベンガラ*の製造で栄えたまち。旧吹屋往来*に沿って、赤褐色の石州瓦とベンガラ格子に赤い土壁や白漆喰壁の町並みが続く。この町並みは、ベンガラの製造・販売で財を成した豪商たちが石州(現在の島根県)から宮大工を招き、江戸後期から明治にかけて形...
約400年前から備中地方一円に伝承されている神楽。その起源は、荒神*を勧請し、その前で演じられる荒神神楽*にある。備中地方の荒神は土地をひらいた地神(産土神・うぶすながみ)としての性質が強く、凶作、疫病、災害などは荒神の祟りであると信じられており、荒神の鎮魂を願う神事として荒神神楽があった。旧来の荒神神楽は面をつけない...
岡山県北部、鳥取県境の鏡野町にある、こぢんまりした静かな温泉地で、美作三湯*の一つに数えられる。吉井川に架かる奥津橋を中心に温泉街が形成されており、数件の風情ある老舗旅館と素朴な民宿が並ぶ。また、同じく吉井川沿いの大釣、般若寺、川西などの温泉を含めて奥津温泉と呼ぶこともある。温泉の歴史は古く、江戸時代には津山藩が専...
JR津山線誕生寺駅の北西700m、法然の生家漆間家の屋敷跡に建つ浄土宗の特別寺院で、山号を栃社(とちこそ)山という。1193(建久4)年、法力坊蓮生(ほうりきぼうれんせい)*が創建した。法然の父、漆間時国(うるま・ときくに)は久米の押領使(おうりょうし)*で、法然が9歳のとき、預所(あずかりどころ)*の明石定明(あかし・さだ...
岡山自動車道賀陽ICから北東へ11kmにある加茂総社宮は、宇甘川のほとりに鎮座する。境内には樹齢500~600年のスギ、ヒノキ、イチョウの巨木がそびえ、歴史を感じさせる神社である。本殿は江戸時代中期のものといわれ、大祭のとき、神輿を安置する長床を左右に配している。 毎年10月第3日曜日に行われる大祭は、旧加茂川町(現、吉備中央町...
岡山県西部の笠岡港から約26kmにある北木島*は、古くから良質の御影石の産地として知られる。江戸時代初期の大坂城修築の際には、大量の石垣石を送り出している。北木石は白色を主とした中粒の黒雲母花崗岩で、「中目」、「瀬戸白」、「瀬戸赤」、「サビ石」の4種類があり、「中目」が最も多い。断層により比較的大きな固まりとして島が形成...
岡山市北西部から総社市にかけての「吉備路」と呼ばれる一帯は、古代吉備王国時代の中心地だったと考えられており、畿内の大王墓に匹敵する巨大な古墳が多くある。なかでも、JR吉備(桃太郎)線 備中高松駅から南西へ約2.5kmのところにある造山古墳は、古墳時代中期(5世紀初頭)に築かれた全長約350m、県下最大、全国第4位の墳丘規模をもつ...
岡山市西部、吉備の中山*(標高175m)の西麓に鎮座する。当地を治めたとされる大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)*を主祭神とし、その一族の神々を祀っている。創建時期は不詳だが、927(延長5)年に撰進された延喜式神名帳では、すでに名神大社に列せられていた古社で、吉備国総鎮守として崇敬されてきた。7世紀後半頃、吉備国の三国...
羽柴(豊臣)秀吉の水攻めで有名な備中高松城址の北、龍王山にある日蓮宗の寺で、正式名称を最上稲荷山妙教寺という。明治の廃仏毀釈を逃れ、寺でありながら鳥居があり、神宮形式をあわせ持つ本殿(霊光殿)など神仏習合時代の形態を現在も残している。 縁起によれば、752(天平勝宝4)年、この地で修行していた報恩大師*に孝謙天皇の病...
岡山駅から路面電車の通る「桃太郎大通り」を東へ1.7km、岡山市内を流れる旭川西岸にあり、対岸には金沢の兼六園や水戸の偕楽園とならぶ名園とされる岡山後楽園がある。天守の黒く塗られた下見板張りの外観から、「烏城」(うじよう)、「金烏城」とも呼ばれる。かつて本丸には30の櫓と6の城門を誇っていたが、明治期の国有化と太平洋戦争下...
岡山駅から路面電車の通る「桃太郎大通り」を東へ約500m、中心市街地を南北に流れる西川用水の両岸に、1974(昭和49)年から1983(昭和58)年にかけて整備された公園。桃太郎大通りから、旧国道2号線と交わる瓦橋までの1kmが「西川緑道公園中流」で、北に「西川緑道公園上流」(0.9km)、南に「枝川緑道公園」(0.5km)が整備され、総延長2.4...
旭川をはさんで岡山城の対岸にあり、水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本の名園の一つとされる。岡山藩主池田綱政が家臣の津田永忠に命じて1687(貞享4)年に着工、1700(元禄13)年に一応の完成をみた。操山(みさおやま)をはじめとする東側の山を借景とした回遊式の明るく優美な庭園で、広い芝生や池、曲水、築山などが配されている。...
JR赤穂線西大寺駅から徒歩10分、吉井川河畔にある西大寺観音院は、751(天保勝宝3)年に周防国玖珂庄(現、山口県岩国市玖珂町)に住む藤原皆足姫(ふじわらみなたるひめ)が、金岡郷(現、西大寺金岡)に小堂を建て観音像を安置したのが始まりと伝えられる。 会陽は、2月の第3土曜日22時に、西大寺観音院の本堂の御福窓から投下される2本...
JR吉備線(桃太郎線)備前一宮駅からすぐ、岡山市西部、吉備の中山*(標高175m)の北東麓に鎮座する。祭神は当地を治めたとされる大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)*。 中世以後は、戦国大名の赤松氏や宇喜多氏からも尊ばれ、江戸時代になると岡山藩主池田氏の援助で社殿が再建・整備され、1697(元禄10)年には三間社流造・檜皮...
「ままかり」とは、サッパという体長10~15cmほどのニシン科の魚を2枚におろして酢漬けにしたもので、「(自分の家のご飯を食べつくし)隣家にご飯(ママ)を借りに行くほどおいしい」ことに由来する。「ままかりずし」は、「ままかり」を握りずしにした岡山県の郷土料理で、昔から家庭の味としてつくられてきた。地元では酢漬けにする前の鮮...
瀬戸内海は、本州西部、四国、九州に囲まれた日本最大の内海で、東西およそ450km、南北15~55 km、面積23,203km2である。灘や湾と呼ばれる広い部分が、瀬戸や海峡と呼ばれる狭い水路で連結された複雑な構造を持つ。平均水深が38.0mと非常に浅い海だが、瀬戸や海峡では水深100mを超える。700以上の島(有人島は約150)がある多島海...
瀬戸大橋は、本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋のひとつで、1988(昭和63)年に開通した。海峡部9.4km、上部が自動車道路(瀬戸中央自動車道)、下部が鉄道(JR本四備讃線、愛称:瀬戸大橋線)の道路・鉄道併用橋としては、世界最大級の橋梁群である。塩飽諸島の櫃石(ひついし)島・岩黒(いわぐろ)島・羽佐(わさ)島・与島の4つの島をつた...
ベネッセアートサイト直島は岡山市に本拠を置く、通信教育などで知られる、株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人 福武財団が瀬戸内海の直島、豊島、犬島などで展開する現代アートに関わるさまざまな活動である。美術館、宿泊事業、集落の古民家などを使ったインスタレーション*のほか、刊行物やシンポジウムなどの情報発信も行っ...