備中国分寺
JR吉備線(桃太郎線)・伯備線総社駅から東へ約5km。奈良時代、天平13(741)年の聖武天皇の詔(みことのり)により日本各地に建立された国分寺の一つ。中世に廃寺となり、天正年間(1573~92)に備中高松城主清水宗治(しみず・むねはる)の援助で再興されたという。その後再び衰微したが、江戸時代中期に清水山惣持院住職の増鉄上人が、上林領主蒔田定英(まいた・さだひで)の援助で復興した。現在の伽藍はそれ以降に再建されたもので、山門・客殿・裏書院・庫裏は武家屋敷風の造りになっている。境内にそびえる五重塔は、文政4(1821)年に建設が始まり、弘化元(1844)年頃に完成したと考えられている。高さは約34.3mで、三層までは欅(ケヤキ)材、四・五層は松材が主体となっている。昭和55(1980)年、国の重要文化財に指定された。
みどころ
田園風景の中に建つ五重塔は、吉備路を代表する景観である。周辺を彩る菜の花、レンゲ、ヒマワリ、赤米、コスモスなどとともに、季節や時間により表情を変え、撮影スポットとしても人気がある。寺の前を東西に走るサイクリングロードは車道から離れており、のんびりと風景を楽しむことができる。備中国分寺の五重塔は上層と下層の屋根がほぼ同じ大きさの細長い造りで、相輪も短く、江戸時代後期の様式を濃く残している。初層の蟇股(かえるまた)には十二支の彫刻が施されている。
境内とその周辺は創建当初の備中国分寺跡である。寺域は東西約160m・南北約180mで、中門・南門の礎石の一部、井戸の跡などがみられる。昭和43(1968)年、国の史跡に指定されている。
境内とその周辺は創建当初の備中国分寺跡である。寺域は東西約160m・南北約180mで、中門・南門の礎石の一部、井戸の跡などがみられる。昭和43(1968)年、国の史跡に指定されている。
関連リンク | 総社観光ナビ(総社市)(WEBサイト) |
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参考文献 |
総社観光ナビ(総社市)(WEBサイト) 岡山観光WEB(公益社団法人岡山県観光連盟)(WEBサイト) 「岡山県の歴史散歩」山川出版社 |
2024年10月現在
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