備前焼の里 伊部の街並み
岡山県南東端、備前市の伊部(いんべ)は、六古窯*のひとつ、備前焼*のまちである。備前焼は釉薬を使わず、千数百度の高温で1週間以上かけて焼き締めた焼き物で、現在も松割木を燃料に、昔ながらの登り窯で焼かれている。陶土には「ひよせ」と呼ばれる、田の底にある鉄分の多い粘土を、風雨にさらすなどして数年寝かしたものが使われている。土の質感を残す素朴な風合いが魅力だが、最大の特徴は焼成時の窯の状態によって色や模様が変化する「窯変」*である。一つとして同じ焼き色、焼き味のものがなく、自分だけの一品に出会う楽しみがある。
JR赤穂線伊部駅の建物は備前焼伝統産業会館になっていて、2階では備前焼陶友会会員や窯元の作品を展示・即売している。駅の東隣にある「備前焼ミュージアム」は、「備前市美術館」として現在建て替え工事を進めており、2025年4月の新装オープンを予定している。リニューアル後は、陶芸ファンのみならず、幅広い来館者が楽しめる多彩なイベントや展示が企画される予定だ。
伊部地区には50軒を超える窯元やギャラリーがあり、展示販売だけでなく、制作過程の見学や陶芸体験ができるところもある。毎年10月第3日曜日とその前日の土曜日に開催される「備前焼まつり」には全国から多くの愛好家が集まる。
JR赤穂線伊部駅の建物は備前焼伝統産業会館になっていて、2階では備前焼陶友会会員や窯元の作品を展示・即売している。駅の東隣にある「備前焼ミュージアム」は、「備前市美術館」として現在建て替え工事を進めており、2025年4月の新装オープンを予定している。リニューアル後は、陶芸ファンのみならず、幅広い来館者が楽しめる多彩なイベントや展示が企画される予定だ。
伊部地区には50軒を超える窯元やギャラリーがあり、展示販売だけでなく、制作過程の見学や陶芸体験ができるところもある。毎年10月第3日曜日とその前日の土曜日に開催される「備前焼まつり」には全国から多くの愛好家が集まる。
みどころ
伊部駅の北側、旧山陽道に沿って窯元やギャラリーが軒を連ねる。窯元の赤レンガの四角い煙突、備前焼を用いた案内板や舗装など、どこか懐かしさを感じる落ち着いた雰囲気の街並みが味わい深い。
駅南側の山麓にある伊部南大窯跡には、室町時代後期から江戸時代中期にかけて共同経営による大量生産に使われたと推定される半地下式の登り窯3基と巨大な物原(ものはら=壊れた陶器や窯の道具が捨てられた場所)が残っている。とくに東側の窯跡は全長53.8mと、国内で最大規模のものである。江戸時代中期以降、国内各地で陶磁器が焼かれるようになると、大量生産の必要はなくなり、効率の良い小型の窯が求められた。駅の北側、旧山陽道から山側に少し入ったところにある天保窯は、天保年間(1830~1843年)に築かれた小型の窯の一つで、1940(昭和15)年頃まで使用されていた。大きなトンネル構造の大窯とは異なり、小さな室を並べた構造になっている。旧山陽道を東に進むと、屋根瓦、狛犬、参道の敷石、絵馬などあらゆるものに備前焼が使われている天津神社がある。本殿の奥から、伊部のまちを一望できる展望台に至る遊歩道がつながっている。
駅南側の山麓にある伊部南大窯跡には、室町時代後期から江戸時代中期にかけて共同経営による大量生産に使われたと推定される半地下式の登り窯3基と巨大な物原(ものはら=壊れた陶器や窯の道具が捨てられた場所)が残っている。とくに東側の窯跡は全長53.8mと、国内で最大規模のものである。江戸時代中期以降、国内各地で陶磁器が焼かれるようになると、大量生産の必要はなくなり、効率の良い小型の窯が求められた。駅の北側、旧山陽道から山側に少し入ったところにある天保窯は、天保年間(1830~1843年)に築かれた小型の窯の一つで、1940(昭和15)年頃まで使用されていた。大きなトンネル構造の大窯とは異なり、小さな室を並べた構造になっている。旧山陽道を東に進むと、屋根瓦、狛犬、参道の敷石、絵馬などあらゆるものに備前焼が使われている天津神社がある。本殿の奥から、伊部のまちを一望できる展望台に至る遊歩道がつながっている。
補足情報
*六古窯:日本を代表する陶磁器の産地のうち、中世から現在まで続く、越前、備前、信楽、瀬戸、常滑、丹波の6つの産地。
*備前焼:ルーツは古代の須恵器にあり、12世紀頃から伊部周辺を拠点として水がめやすり鉢などの実用品の生産を本格化した。桃山時代に茶の湯が流行すると茶陶として愛用され、江戸時代には藩の監理下に置かれた。その後、しだいに有田・瀬戸などの施釉薬陶磁器に押されて衰退し、明治期には土管や耐火レンガなど工業製品への技術転用に活路を見出した。昭和に入り、古くから続く窯元の名門出身で、のちに人間国宝となる金重陶陽(1896~1967)が、桃山時代の備前焼(古備前)への回帰を提唱し、伝統的技法を再現して芸術性を高め、人気が再燃した。
*窯変:窯の内部で作品に生じた色の変化。焼き色の種類には、窯の中で炭を被ったり、灰に埋もれることで、還元焼成 (不完全燃焼、いぶし焼きの状態) となって、ネズミ色・暗灰色・青色などに発色する「胡麻」や「桟切(さんぎり)」、作品を重ねて置くことにより焼きむらを出す「牡丹餅(ぼたもち)」、作品に藁を巻いて化学変化を起こさせる「緋襷(ひだすき)」などがある。
*備前焼:ルーツは古代の須恵器にあり、12世紀頃から伊部周辺を拠点として水がめやすり鉢などの実用品の生産を本格化した。桃山時代に茶の湯が流行すると茶陶として愛用され、江戸時代には藩の監理下に置かれた。その後、しだいに有田・瀬戸などの施釉薬陶磁器に押されて衰退し、明治期には土管や耐火レンガなど工業製品への技術転用に活路を見出した。昭和に入り、古くから続く窯元の名門出身で、のちに人間国宝となる金重陶陽(1896~1967)が、桃山時代の備前焼(古備前)への回帰を提唱し、伝統的技法を再現して芸術性を高め、人気が再燃した。
*窯変:窯の内部で作品に生じた色の変化。焼き色の種類には、窯の中で炭を被ったり、灰に埋もれることで、還元焼成 (不完全燃焼、いぶし焼きの状態) となって、ネズミ色・暗灰色・青色などに発色する「胡麻」や「桟切(さんぎり)」、作品を重ねて置くことにより焼きむらを出す「牡丹餅(ぼたもち)」、作品に藁を巻いて化学変化を起こさせる「緋襷(ひだすき)」などがある。
関連リンク | 備前市備前焼振興課(WEBサイト) |
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参考文献 |
備前市備前焼振興課(WEBサイト) 岡山観光WEB(公益社団法人岡山県観光連盟)(WEBサイト) ぶらっと備前(備前観光協会)(WEBサイト) 「岡山県の歴史散歩」山川出版社 協同組合岡山県備前焼陶友会(WEBサイト) |
2024年10月現在
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