会陽(裸祭り)えよう(はだかまつり)

JR赤穂線西大寺駅から徒歩10分、吉井川河畔にある西大寺観音院は、751(天保勝宝3)年に周防国玖珂庄(現、山口県岩国市玖珂町)に住む藤原皆足姫(ふじわらみなたるひめ)が、金岡郷(現、西大寺金岡)に小堂を建て観音像を安置したのが始まりと伝えられる。
 会陽は、2月の第3土曜日22時に、西大寺観音院の本堂の御福窓から投下される2本の宝木(しんぎ)*をめぐって、約10,000人のまわしを締めた裸の男たちが激しい争奪戦を繰り広げる祭事である。この宝木を獲得した者は「福男」と呼ばれ、その年の福が得られるといわれている。500年以上続く祭事は「会陽(えよう)裸祭り」として有名で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
もともとは、旧正月の元旦から14日間、国家安泰などを願って祈祷する修正会(しゅしょうえ)の結願の日の行事から発生したものである。結願時に寺で配られる牛玉(ごおう)と呼ばれる護符に御利益があると評判になり、希望者が殺到したことから、1510(永正7)年、当時の住職が、紙の牛玉が破れないよう木に巻きつけて信徒の頭上に投与したのが起源とされる。競り合いの激しさから、身体の自由を得るため、潔白清浄の姿でもある裸となり、徐々に現在の形になったと伝えられる。かつては旧暦1月14日に行われていたが、1962(昭和37)年からは2月第3土曜日に行われている。
 現在、会陽を主催するのは西大寺会陽奉賛会(岡山商工会議所西大寺支所内に事務局を設置)で、事前に2本の宝木それぞれに協賛者である祝主(いわいぬし)が決められている。会陽の行事は19日前の「事始め式」に始まり、その3日後には約4km離れた無量寿院から宝木の原木を授かる「宝木取り」が行われ、その翌日には寺の僧により「宝木削り」の秘儀が執り行われる。このとき、宝木は寸法より4~5cm長く作られ、所定の寸法に切った切れ端を検分のために保存する。2週間前からは修正会が始まり、14日間の祈祷を行う。
#

みどころ

西大寺観音院の重厚で装飾的な仁王門をくぐると、小ぶりながら均整の取れた三重塔が建つ。広い境内の中央に建つ巨大な本堂(1863年建立)のふきはなしの外陣、石門に隣接する垢離取場(こりとりば)、吉井川沿いの観覧席などを見ると、祭り以外の平時であっても会陽の賑わいを想像できる。本堂を拝観すると、宝木を投下する御福窓(ごふくまど)から願いを書いた散華を投下することができる。
 会陽当日の21時近くになると、「裸」と称される参加者たちが、町内での練り歩きを経て、「わっしょい、わっしょい」というかけ声とともに境内に入ってくる。まず、垢離取場(こりとりば)で身を清めた後、本堂に詣でて本尊の千手観音を拝し、牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)に詣でる。それが済むと、本堂の裏手を抜けて四本柱(しほんばしら)をくぐり、大床(おおゆか)とよばれる板敷きの本堂外陣に上がって両手を上げた姿勢で押し合い*を始める。間口約14m、奥行9mの大床上の密集は、1人あたりのスペースが枡1個分と表現される。裸の大集団が押し合っていると摩擦熱や熱気で耐えられなくなるため、御福窓の脇窓から柄杓(ひしゃく)で清水(せいすい)が撒かれる。
 22時になると、堂内のすべての明りが消され、まず細い木片5~6本を束にして小型の牛玉紙で巻いた串牛玉(くしご)が100束投げられる。ついで、奉書紙で包んだ直径約4cm、長さ約20cmの一対2本の宝木が投下される。争奪戦は宝木が境内の外へ出た時点で終了となるため、1時間以上もみ合いが続くことも珍しくない。いったん宝木を手にしても、大勢が奪いに押し寄せるため、参加者の多くはグループをつくり、宝木をリレーしたり、宝木の所在を分かりにくくするなどの作戦をとっている。「宝木が抜けたもよう」というアナウンスが入ると、群衆は散り始め、祭りは終わる。宝木は検分を受けて真正なものであれば、取り主は晴れて福男に認定され、牛玉紙が授けられ、祝主から祝儀が贈られる。宝木は住職の祈願ののち、厨子に納められ、祝主に授けられる。
#

補足情報

*古来より、大床に上がる前に四本柱でもみ合い邪鬼を踏み鎮め合う事を「地押し(じおし)」と呼ぶが、大床で押し合う事を「本押し」とも呼ぶようになった。
※コロナ禍のため2021~2023年は儀式のみを行うなどして祭事を継続してきたが、2024年は4年ぶりに宝木争奪戦が復活した。争奪戦には中学生以上の男性なら誰でも参加でき、当日に申し込みをすれば飛び入り参加も認められている。安全対策のため、飲酒厳禁、ケガ防止のための膝サポーターを除き、まわし以外のものを身に着けないこと、まわしに緊急連絡先などを記入した名札をつけることとしている。女性は争奪戦には参加できないが、垢離取(こりとり)の地押し巡行に参加する。
※修正会の結願行事(終了時に行う行事)は、東北の蘇民祭、大阪四天王寺のどやどや、奈良県念仏寺陀々堂の鬼はしりなど民俗行事と結びついた例が多い。会陽はおもに岡山県・香川県での呼び名で、語源は、一陽来復(いちようらいふく:困難で厳しい冬が過ぎ、陽春を迎えるの意)にあり、春迎えの行事とされている。岡山県では103箇所の寺社で会陽が行われていたが、負傷者が出る危険性や、趣旨を逸脱したけんか騒ぎによる治安の悪化などを理由として、取りやめたり、形式を変え、現在は13箇所で行われている。