ベネッセアートサイト直島べねっせあーとさいとなおしま

ベネッセアートサイト直島は岡山市に本拠を置く、通信教育などで知られる、株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人 福武財団が瀬戸内海の直島、豊島、犬島などで展開する現代アートに関わるさまざまな活動である。美術館、宿泊事業、集落の古民家などを使ったインスタレーション*のほか、刊行物やシンポジウムなどの情報発信も行っている。
 拠点となる直島は、高松市の北約13km、岡山県玉野市の南約3kmに位置する周囲16km、面積8km2、人口約3,000人の島。香川県に属しているが、電力は中国電力から、水道は岡山県玉野市から供給を受けるなど、経済的には距離の近い岡山県に依存している。高松港からはフェリーで約1時間、高速船で約30分、玉野市の宇野港からはフェリーで20分ほど。島の北部には1917(大正6)年に創業を開始した銅や金の製錬所(現・三菱マテリアル(株)直島製錬所)があり、ハマチや海苔の養殖漁業も主要産業である。
 直島では1960(昭和35)年代に風光明媚な島の南部にリゾート開発会社を誘致し、200人収容のレストハウスを中心とした海水浴とキャンプのための施設をオープンさせた。しかし、国立公園内のため大規模開発を行うには制約があり、石油ショックの影響もあって、数年で業者は撤退した。子どもが自然や文化を体験できる場をつくりたいと考えていた福武書店(ベネッセの前身)の創業者、福武哲彦氏がこの跡地に着目した。島の南側を「清潔・健康・快適」な観光地として開発したいとする町政の方向性と一致し、哲彦氏の遺志を継いだ福武總一郎社長(現名誉顧問)が1989(昭和64・平成元)年に安藤忠雄を監修としてむかえ直島国際キャンプ場をスタート、さらに1992(平成4)年に安藤忠雄設計のベネッセハウス(ホテルと美術館の複合施設)をオープンさせた。
 ベネッセハウス開館当初は、以前から収集していた企業コレクションを常設展示し、同時に企画展も行うという、各地の美術館と同様のスタイルであった。その後1994(平成6)年秋、展示スペースを野外にも広げた「OUT OF BOUNDS」展を開催する。この企画展では、アーティストを直島に招き、建物や周囲の海岸などから作品の設置場所を選び、その場所のための作品を制作してもらう手法をとった。翌1995(平成7)年にはヴェネツィア・ビエンナーレ*の関連プログラムとして、「文化の多様性を前提としたコミュニケーションの促進」をテーマとする「トランスカルチャー」展を開催し、現代アートの認知度が高い海外での評価を確立するとともに、ビエンナーレに出展した若手アーティストに贈る第一回「ベネッセ賞」を主催した。1996(平成8)年以降は、購入した作品の展示だけではなく、アーティストを招いて直島のため作品を制作してもらうコミッションワーク(委託制作)形式によるサイトスペシフィック・ワーク*へと方針を本格的に転換する。
 1998(平成10)年、島民生活の中心となる本村集落の古い民家などで、建物やそのスペースそのものをアート作品とする「家プロジェクト」を開始。第1号の「角屋(かどや)」では、アーティストの宮島達男が町民125人を公募して、作品を構成する125個のデジタル・カウンターの点滅速度をセッティングしてもらう手法を取った。集落の中のアート作品は、アーティストと地元の人のふれあい、住民同士のコミュニケーションのきっかけをつくった。ベネッセハウスがオープン10周年を迎えた2001(平成13)年秋の「スタンダード」展では、「家プロジェクト」の手法をフェリー発着港のある宮之浦(みやのうら)や三菱マテリアル関連施設など島全体に広げ、常設の作品に加えて、期間限定の作品を複数用意し、直島におけるアート活動のあゆみを紹介した。この企画展では作品の監視や受付などに島内外からボランティアを募ったことにより、島民と来島者の交流が生まれた。
 2004(平成16)年には、直島全域にわたる現代アート活動の総称を「ベネッセアートサイト直島」とした。
なお、同年には、公益財団法人福武財団が「自然と人間を考える場所」として地中美術館を開館。安藤忠雄設計の建物は瀬戸内の美しい景観を損なわないよう大半が地下に埋設されており、自然、アート、建築の融合による新たな美術館像を提示した。また、同財団は、2008(平成20)年には岡山県の犬島で、製錬所の遺構を保存・再生した、犬島アートプロジェクト「精錬所」(2010(平成22)年「犬島精錬所美術館」に改称)を公開。以降も、2010(平成22)年には豊島に「豊島美術館」を開館している。 
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みどころ

今や「現代アートの聖地」とまで言われるようになった直島。展示されているアート作品は、どれも世界的に有名な超一流の建築家、芸術家のもの。瀬戸内海の美しい自然と建築と現代アートの融合は国際的にも有名で、外国人観光客が多い。現役作家が作品を制作する現代アートの同時代性をいかし、場所とアート作品を結びつけることにより、地域の魅力を創出する手法は、近年、地域再生の面からも注目されている。
 島の玄関口、宮浦港に着くと、草間彌生の「赤かぼちゃ」が出迎え、すぐにアートの島であること実感できる。港の近くには実際に入浴できる大竹伸朗のアート作品、直島銭湯「I♥湯」(アイラヴユ)がある。
 「家プロジェクト」のある本村集落は島の中央部に位置し、町役場や学校などの公共施設が集積している。これら一連の公共建築は、ベネッセの開発が始まる以前の1970(昭和45)年代から一貫して石井和紘*が手がけており、風土に合ったデザインが特徴である。町役場は、西本願寺飛雲閣をモチーフとしたポストモダン建築で、窓や塀、外階段から内部の壁に至るまで日本の有名建築をコラージュした個性的なデザインだが、集落に溶け込んでいる。これらの建築を眺めながら、「家プロジェクト」や古民家カフェを巡るのも楽しい。
 地中美術館では、モネの「睡蓮」とともに、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアといった2人のランド・アート*で知られる作家を配している。ベネッセアートサイト直島は、ベネッセの企業理念である「よく生きる」ことを考える場として位置づけられている。ベネッセハウスでの宿泊はそのための滞在手段であり、美術館そのものに泊まるという贅沢な時間を過ごすことができる一方で、観光色の強いリゾートと比較すると設備やサービスは限定されている。
 よく現代アートはわかりにくいと言われるが、空間全体を使った体感型の作品が多いので、その場所や島に流れる時間に身を任せ、何かを感じたり、考えたり、あるいはあえて何も考えない時間を過ごせばよい。隣の島 豊島には、アーティスト・内藤礼と建築家・西沢立衛による「豊島美術館」、瀬戸内海を望む小高い丘の棚田の一角にある、水滴のような形をした真っ白な建物がある。広さ約40×60m、高さ最大4.3mの空間に柱が1本もないコンクリート・シェル構造で、天井にある2か所の開口部から、周囲の風、音、光を取り込んでいる。
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補足情報

*インスタレーション(installation):現代アートの表現方法の一つで、ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。映像や音響が用いられることもある。
*ヴェネツィア・ビエンナーレ: イタリアのヴェネツィアで隔年開催される国際美術展。1895(明治28)年発足と世界でもっとも長い歴史を誇り、現代美術の最新動向を発信する場として世界中の注目を集める。
*サイトスペシフィック・アート:美術作品が特定の場所に帰属する性質を示す用語。特定の場所のために制作された作品および経過を指す。
*石井和紘(いしいかずひろ)1944~ 2015年。:公共建築や集合住宅の研究で知られる東京大学 吉武泰水(やすみ)研究室の出身で、直島小学校の設計を担当した当時、24歳の大学院生だった。三宅親連(ちかつぐ)町長(当時)から高く評価され、その後も多くの直島の公共建築を手がけた。
*ランド・アート:アース・ワーク、アース・アートとも呼ばれる。1960(昭和35)年代末から実践された、屋外で土や砂などの自然の物質を用い、土木工事に匹敵する大規模な制作プロセスを経た美術作品。デ・マリアの「ライトニングフィールド」(1977(昭和52)年)はアメリカ・ニューメキシコ州の荒野に400本の金属ポールを一定の間隔で格子状に並べ、ポールに雷が落ちることを暗示したもの。タレルは1979(昭和54)年以降、アリゾナ州北部の死火山の噴火口とその周辺の土地を買い取り、「天然の天文台」に改造するプロジェクトを進めている。