円通寺
JR新倉敷駅より約4km、倉敷市西部、玉島の小高い丘(白華山)にある曹洞宗の古刹。創建については不詳であるが、同寺の縁起では、奈良時代の僧、行基の開基と伝えられ、「星浦の観音」と呼ばれる霊場であったとされる。本尊は聖観音菩薩。その後、1698(元禄11)年に徳翁良高禅師により再興された。江戸時代後期に、漢詩人・歌人・書家として名高い僧、良寛(1758~1831年)が修行した寺として知られている。
みどころ
円通寺の庭園は、山の斜面から出た巨岩奇岩を自然のまま石組として取り入れた迫力のある築山石庭である。珍しい茅葺屋根の本堂は江戸時代中期に建てられたもので、周囲の景観に溶け込んでいる。本堂から通路をはさんで南側にある、もう一つの茅葺屋根の建物は修行僧の寄宿舎だったところで、今は「良寛堂」とよばれている。
良寛は現在の新潟県出雲崎の生まれ。1779(安永8)年、円通寺10世大忍国仙が越後を巡錫中、出雲崎の光照寺で良寛と出会い、良寛は一行に従って円通寺で修業を続けた。国仙の示寂後は諸国行脚の旅を始め、円通寺を離れて越後に戻った。
境内を含む一帯は円通寺公園となっており、桜・ツツジなど季節の花の名所にもなっている。ミニ西国霊場があり、頂上には良寛と童の大きな石像が建つ。江戸時代に備中松山藩の港町として栄えた玉島の町並みと瀬戸内海の眺望が素晴らしい。
良寛は現在の新潟県出雲崎の生まれ。1779(安永8)年、円通寺10世大忍国仙が越後を巡錫中、出雲崎の光照寺で良寛と出会い、良寛は一行に従って円通寺で修業を続けた。国仙の示寂後は諸国行脚の旅を始め、円通寺を離れて越後に戻った。
境内を含む一帯は円通寺公園となっており、桜・ツツジなど季節の花の名所にもなっている。ミニ西国霊場があり、頂上には良寛と童の大きな石像が建つ。江戸時代に備中松山藩の港町として栄えた玉島の町並みと瀬戸内海の眺望が素晴らしい。
補足情報
※玉島の郷土料理に、円通寺の修行僧が食べていたという、幅広で長い麺の「しのうどん」がある。幅2cm、長さは1.5mあり、麺1本でお椀がいっぱいになるので、別名「一筋一椀」と呼ばれていた。高度経済成長期が過ぎる頃にはほとんど廃れてしまっていたが、地元有志の取り組みにより復活し、円通寺公園の国民宿舎と玉島のいくつかの店舗で扱っている。
関連リンク | 曹洞宗円通寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
曹洞宗円通寺(WEBサイト) 岡山観光WEB(公益社団法人岡山県観光連盟)(WEBサイト) 倉敷観光WEB(倉敷市)(WEBサイト) 「岡山県の歴史散歩」山川出版社 |
2024年10月現在
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