中山神社なかやまじんじゃ

JR津山駅から北へ約5kmにある、古くは『延喜式』、『今昔物語』などにもその名を記す美作国一ノ宮。主祭神の鏡作神(かがみつくりのかみ)は、三種の神器の一つ「八咫鏡」を造ったとされる。創建は707(慶雲4)年と伝えられ、もとの社殿は毛利・尼子氏の二度にわたる戦乱で焼失したが、1559(永禄2)年、尼子晴久が美作地方を平定した際に再建された。本殿は入母屋造妻入という独特の建築様式で、中山造と呼ばれ、以後の美作地方の神社建築の模範となった。
 中世以降は農耕牛馬の守護神として農民の尊敬を受け、江戸中期から明治時代にかけて門前に牛馬市が立った。
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みどころ

津山市郊外にある一ノ宮にふさわしい広大で荘厳な神社。門前の集落から続く長い参道に立つ花岡岩の大鳥居は1791年(寛政3)の建設で、高さは約11mある。両柱を支える貫が柱を貫通していない(木鼻がない)この地方独特の形式で、このような鳥居を中山鳥居ともいう。神門は津山城二の丸にあった四脚薬医門を明治初頭(1843年)に移築したものである。本殿は正面五・五間、側面五・五間、単層入母屋造・妻入(唐破風向拝付き)・桧皮葺きの壮大なもので、約137m2(41.5坪)の延床面積があり、単一の社としては全国上位の大きさとされる。
 かつて112もの摂社・末社があったが、戦国時代の災禍により、すべて焼失したといわれ、現在では総神殿、国司神社、御崎神社、猿神社のみとなっている。このうち、本殿裏の斜面を上ったところにある猿神社は、『今昔物語』にも記されている猿神を祀る末社である。子宝や安産に後利益があるとされ、赤い布で作った小さな猿のぬいぐるみが奉納されている。神門前の狛犬の顔が猿の顔になっているのもこの神社の特徴である。
 大鳥居の手前の道路脇にある「祝木(いぼぎ)のケヤキ」は樹齢800年と推定され、周囲は約9mある。高さ5mほどで枝分かれし、中は空洞になっていて大国主命を祀る祠がある。